インプレッション
クライスラー「イプシロン」
Text by 武田公実(2013/1/11 07:34)
2013年1月から、日本市場へのデリバリーが正式に開始されることになったクライスラー「イプシロン」。
このネーミングを聞いて、若干の違和感を覚える向きもあるかもしれない。近年「イプシロン(=Y)」の名跡を初めて名乗った車は、1994年にイタリアから誕生したランチア「イプシロン」。かつて日本でも大ヒットを博したアウトビアンキ「A112」「Y10」の後継に当たるモデルである。その後、イプシロンは、2002年に2代目、さらに2010年には現行の3代目へと進化することになるが、いずれも日本への正規輸入は無く、並行輸入のみとされていた。
ところが、ランチアの親会社であるフィアット・グループが、北米ビッグ3の一角を占めるクライスラーを傘下に収めたことから状況は一変。英連邦などの左側通行/右ハンドルの国では、今後ランチアの各モデルがクライスラーブランドで販売されることになったと言う。
それはわが国も例外ではなく、右ハンドルの純然たる日本仕様車が「クライスラー イプシロン」として正規導入されるに至ったのである。
したがって、話が若干ややこしくなって恐縮なのだが、今回のインプレッションでも、あくまで「ランチア」時代以来の系譜を継承したニューモデルとして、リポートを進めさせていただくこととしたい。
クライスラー発のエコカー
クライスラー イプシロンのエクステリアにおける最大の特徴は、2代目ランチア イプシロンまでの3ドアから、後席にもドアを加えて5ドアとなったことだろう。
しかし、リアのドアノブをリア・サイドウインドーのグラフィックに巧みに隠したヒドゥンタイプとし、一見したところでは3ドア、あるいは3ドアクーペとも錯覚させてしまうような、極めてユニークなスタイルとなっている。
全長は先代のランチア イプシロンより若干延ばされているが、逆に全幅は4cmほど狭い1670mmとされ、現在のセグメントBコンパクトの中でさえも貴重と言うべき5ナンバー輸入車となった。
しかし、クライスラー/ランチア イプシロンにおける最大の注目ポイントは、フィアット500に搭載されて、世界中の自動車ファンを興奮のるつぼに叩き込んだ新エンジン「ツインエア」ユニットが、「フィアット」ブランド以外のモデルに初導入されたことだろう。
今や、世界に冠たるテクノロジー集団として世界的に認知されることになったFPT(フィアット・パフォーマンス・テクノロジー)が、まさに満を持して開発したこのエンジンは、現在の自動車業界でグローバルスタンダードとなっているダウンサイジング・トレンドの常識をさらに超えたもの。排気量はわずか875ccで、しかも燃費の大敵たるフリクションロスを最小限に抑えるため、昨今では極めてユニークな直列2気筒とされている。
FPTでは既に自然吸気の65PS、ターボ過給の85PS/105PSの3つのチューンを用意しているとの由だが、クライスラー イプシロンに搭載されるのは、フィアット500と同じ85PSのターボ版。これもフィアット500でその効果を実証済みのアイドリングストップ機構「ゴー&ストップ・システム」なども採用され、現代のガソリンエンジンの中でも、特に環境性能を強く意識した低燃費/低CO2エンジンに仕上がっているという。
日本仕様車に組み合わされるトランスミッションは、自動モード付5速シーケンシャルMTのみとなっており、車両本体価格はスタンダードモデルに相当する「ゴールド」仕様で235万円。レザーシートやバイキセノンヘッドライト、クルーズコントロール、そして16インチのホイール/タイアなどの豪華装備を追加した「プラチナ」仕様では260万円となっている。
美意識を示したデザインと個性的な走り
近年のランチアは、半ば偏執的とも思われるほどにデザインへの強いこだわりを見せてきたが、それはクライスラーブランドを名乗ろうともまったく変わらない。今回の新型イプシロンでも、彼らの美意識は存分に生かされているようだ。
その甲斐あってイプシロンのスタイリングは、Bセグメントコンパクトとしては出色のデザインコンシャスなものとなっている。
一見したところでは、日本市場には正規導入されていない上級モデル「デルタ」をそのまま縮小したかにも見えるが、実際に目の当たりにしてみると、その造形の贅沢さには驚いてしまうのだ。例えば前後のドアサイドに彫り込まれたえぐり状のプレスラインなど、このクラスの量産車とは思えないほど典雅なディテールが与えられている。
一方リアドアの採用により格段に使い勝手の向上したインテリアも、歴代イプシロンの伝統に違わず、スタイリッシュなデザインとされている。また内装のマテリアルについても吟味されており、例えばシートや内張りは、スタンダード版に当たる「ゴールド」に標準装備される「CASTIGLIO(カスティリオ)」ファブリックシートでも充分な上質感が味わえる。さらに上級版「プラチナ」をセレクトすれば、本革レザーシートによるシックな空間が実現することになる。この本革シートはサラッとした手触りが気持ちよく、美しくもゴージャス過ぎないインテリアデザインと相まって、軽妙な雰囲気を醸し出している。
そして実際にステアリングを握って走り出してみても、イプシロン持ち前の個性が損なわれることはなかった。車重はフィアット 500 ツインエアの上級版、「ラウンジ」仕様と比べても50kg増の1090kgとなるが、それでも我々ファンを驚喜させたツインエアの加速感は事実上不変のもの。いわゆる「エコ」ユニットながら、タウンドライブから高速クルージングまで小気味よい走りを見せてくれる。
また、ビート感の強い独特の排気音もフィアット 500譲りだが、遮音材がさらに奢られているのか、キャビンに侵入する音は最小限に食い止められており、アクセルを深く踏み込んだ時に聞こえてくる「パララッ!」という軽快なサウンドのみが、2気筒エンジンであることを思い出させる。この珠玉のパワープラントがもたらす唯一無二のカジュアル感には、伝統的なランチアブランドよりも、クライスラーブランドの方が少しだけ似つかわしい……という考え方もあるだろう。
そして独特のカジュアル感は、エンジン以外のフィーリングにも明瞭に感じられる。ホイールベースが2380mmと、このクラスとしてもかなり短めなこと。そして前述した細身のボディも相まって、街中や狭いパーキングなどでは非常に取りまわしがよい。しかし、そのホイールベースの短さはメリットばかりではなく、特に荒れた路面では少々ピョコピョコとしたハーシュネスを感じさせるという不可避的なデメリットももたらしているのは、ある意味仕方のないところだろう。
ところがスピード域が上がると、イプシロンのサスペンションは俄然本領を発揮してくる。高速道路における優れたスタビリティや意外なほどにフラットな乗り心地は、遥かに大きなサイズの車を思わせるものとなっていた。つまり、見た目どおりの洒脱なシティカーとしてだけではなく、長距離ドライブの友としても充分以上のパフォーマンスを発揮するのだ。これは長距離を日常的に走行する、ヨーロッパ生まれの車ならではの特質だろう。
ちなみに、これまで筆者は並行輸入されていた左ハンドルの現行ランチア イプシロンにもしばしば乗る機会があったが、今回のクライスラー版ではかつての輸入欧州車のごとき右ハンドル化による弊害はまったく無く、極めてナチュラルに乗ることができたことも特筆しておきたい。したがって、これまで国産コンパクトカーを愛用してきたユーザーにも、特に気構えることなく乗り換えできる車と言えるだろう。
例えばドイツ車の一部などには、イプシロンより少しだけ優れたクルマが存在するのも事実だが、実質的な性能差は日常の使用では無視しても構わない程度のものとも言える。
しかし、美しいスタイルや内装がもたらす生活の潤い、さらに言ってしまえば官能性のようなものもコンパクトカーに求めるなら、クライスラー イプシロンは、国産・輸入車を問わず「オンリーワン」のチョイスともなり得ると確信したのである。