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ポルシェと東大先端研が展開する独自の教育プログラム「LEARN with Porsche」、東大 安田講堂で開かれた集大成のシンポジウムに密着

東京大学 大講堂(安田講堂)でポルシェジャパンと東京大学 先端科学技術研究センター共催のシンポジウム「これからの教育探究会議『今の教育、これでいいのか?~中高生たちが審判を下す!~』」が開催された

 赤門と並ぶ東京大学のシンボルといえば大講堂、通称「安田講堂」だ。100年前の1925年、安田善次郎の寄付によって竣工した赤茶色のタイル貼り講堂は、国の有形文化財にも登録されている。そんな日本最高学府のシンボリックな建物の前に2025年2月16日、2台のポルシェの姿があった。

 一般でも自由に出入りができる東大 本郷キャンパスは、キャリーケースを持った外国人観光客も多く、東京の人気観光スポットの1つでもある。この日たまたま居合わせた人たちは「なぜここにスポーツカー?」「何が始まるの?」と不思議に思ったに違いない。

 安田講堂ではこの日、ポルシェジャパンと東京大学 先端科学技術研究センターが共催したシンポジウム「これからの教育探究会議『今の教育、これでいいのか?~中高生たちが審判を下す!~』」が開催された。

安田講堂前にはポルシェの最新モデル「タイカン クロスツーリスモ」(左)と「911カレラGTS」(右)が並べられた
垂直性を強調した安田講堂の外観とポルシェの流線形ボディ。この対比はポルシェと東大というプロジェクト共催同士の意外性に通じるようなものがあった
こんな機会がなければ足を踏み入れることはなかった安田講堂。圧巻の内観に感動だった

 本稿では、オープニングトークで登壇した東京大学先端科学技術研究センター LEARNディレクターの中邑賢龍さんとポルシェジャパン広報部長の黒岩真治さん、この2名の立役者に焦点を当てながら4年間の「LEARN with Porsche」の取り組みの本質と裏話的な内容をお伝えする。

2021年から始動した「LEARN with Porsche(ラーンウィズポルシェ)」

東京大学先端科学技術研究センター LEARNディレクター 中邑賢龍さん

「LEARN(ラーン)」は、東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍(なかむら けんりゅう)シニアリサーチフェロー率いる「個別最適な学び研究」寄付研究部門が運営する、学校教育と違った学びの場を提供する若者向けのプログラム。

 その取り組みにポルシェジャパンが賛同し、2021年から同社のCSR活動として支援しているのが「LEARN with Porsche」だ。広報部長の黒岩真治さんによると、東大先端研とタッグを組んだ理由は、「LEARNは独創性があって、体験型で、未来志向で、何か突き抜けた若者の夢をかなえる支援をしたいと思っていたポルシェジャパンの思想と合ったから」だという。

「LEARN with Porsche」では、書類選考とオンライン面接を経て毎回約10名のスカラーシップ生を選抜し、北海道や九州などで5日間のサマープログラムを実施している。2023年からは1960年代のポルシェトラクターをレストアしてよみがえらせる「ものづくりプログラム」も加わった。

 プログラムは基本的に、初日の集合場所と時間以外は明かされずにスタートする。スマートフォンやタブレット、PCなどの情報端末は使用禁止だ。筆者が2024年8月に密着取材した4回目のサマープログラムでは、学校名と学年を言わない“新ルール”も設けられた。

 初対面同士の中高生たちは、提示されたミッションに対して共に考え意見を出し合い、個々の多様な能力を発揮しながら、長いようで短い5日間を過ごして仲間となっていく。この「LEARN with Porsche」は過去4年間で6回のプログラムを開催し、計55名の中高生が参加している。

2023年 LEARN with Porsche「ものづくりプログラム」

「LEARN with Porsche」に参加した学生たちが集まってきたシンポジウム当日。久しぶりの仲間との再会に笑顔があふれていた

 シンポジウム前日には、学生たち数名が本番で登壇するセクションのリハーサルが行なわれた。「ここで“表彰”の話が入ります」「学生たちは先に名前を言うようにしようか」などと、流れをつかみながら段取りを確認していく。中邑さんからは、学生たちに「短くても長くてもいい。自分の言葉で本音を語って」とアドバイスがあった。

東京大学先端科学技術研究センター内のENEOSホールで行なわれたリハーサルには、本番で登壇した学生たちが参加した
「“参考人”の皆さんにはどこで喋ってもらいますか?」と立ち位置などを確認する中邑さんと鈴木おさむさん
ポルシェジャパン広報部長の黒岩真治さん。伝えたい想いをリハーサルから丁寧に言葉にしていた印象

 リハーサル後に中邑さんの研究室で行なった最終ミーティングの場で、ポルシェジャパンの黒岩さんは、この研究室に初めてアポを取って訪れた2020年8月のことを話してくれた。2020年といえば新型コロナウイルスに翻弄された最初の年で、8月といえば東京2020 オリンピックが開催されるはずだったあの夏だ。

「中邑さんから“初対面だからマスクを外して話しませんか?”と最初に言われていい意味でびっくりしたことを覚えています。なかなか本題に入らずにクルマの話ばかりしていたのですが、あの雑談こそがこのプロジェクトの土壌になったと思っています」。

 当時、ポルシェジャパンとしては産学連携の実績は一切なく、“スポーツカーブランドのポルシェが国立大学の東大と何をする?”と自問自答するたびに不安だったという。影も形もないところから始まった「LEARN with Porsche」はその後スタートを切り、1年後の2021年8月27日に北海道で第1回目のサマープログラムが開催されている。

いすを運んだり受付をしたり、スカラーシップ生たちが分担してシンポジウムの運営をサポート

 そんな「LEARN with Porsche」主催のシンポジウムは、第1回のスカラーシップ生が作ったという曲を流しながら、過去のプログラムの写真がスクリーンに映し出される演出でスタートした。続いて中邑さんとポルシェジャパン黒岩さんによるオープニングトークだ。

 間髪をいれずに鈴木おさむさん(スタートアップファクトリー代表)が壇上に上がり、「LEARNの教育を中高生はどう審判するか?」と題した“LEARN裁判”が開廷した。検事役・鈴木おさむさんの軽妙なトークで進行した裁判には、プログラムに参加した関係者も“参考人”として登壇した。

「このプログラムはいかに学生たちを振り回して困らせているんじゃないかということを今日皆さんに伝えたいんです!」と検事役の鈴木おさむさん
モータージャーナリストの藤島知子さんと(左)ロボットクリエイターの高橋智隆さん(右)。藤島さんは2021年のプログラムでポルシェ「911 ターボ」の助手席に学生たちを乗せてサーキットを全開走行している
2022年のプログラムに同行し学生たちと一緒に漁をして「楽しかったです、私こんなカツオ釣れたんです!」と懐かしそうに話した料理研究家の土井善晴さん
ものづくりプログラムで講師を務めたエンジニアの池田猛さんと(左)と牧場主の田中次郎さん(右)。レストアするのがトラクターだと知った学生たちは「皆がっかりしてましたね」と当時の様子を語った
鈴木おさむ検事から「不安だったよね?」「大変だったでしょ?」と誘導尋問されて手を挙げる過去の学生たち

 鈴木おさむさんに誘導尋問されながら裁判の成り行きを黙って聞いていた8人の学生たちだったが、最後に「言いたいことがあります!」と1人ずつプログラムへの思いを語った。ある子は「学校では教えてもらえない経験を通して自分たちの頭で考えて対処することを学んだ」といい、ある子は「自分たちで何をすべきか考えて動くことがおもしろかった」と話した。「自分で考えて聞いて見て手を動かすということの重要性を感じた」、「スマホがなかったから今までにないほどいろいろなことを考えていた」という子もいた。共通しているのは、LEARNでは“考えることを学んだ”ということだろう。最後は「今日ここで喋った経験もきっと新たな教育になったのではないかと思います」と結んだ鈴木おさむさんのメッセージに大きな拍手が挙がっていた。

「LEARNではたくさんの地域の人に話しかけて情報を得るように言われた。知らない人と話すのが苦手だったけど、力をふりしぼって聞いてみたら思いもよらない情報が見つかることがあった」

 続いてのセクション「教育とは違う分野のリーダーたちがこれからの若者に何を望むか?」では、ロボットクリエイターの高橋智隆さん、音楽プロデューサー・作編曲家の松任谷正隆さん、料理研究家の土井善晴さん、東京大学先端科学技術研究センター所長の杉山正和さんが登壇。さまざまな分野で何かを楽しくやり続けているトップランナーたちが、「やり続けて見えてきたもの」と「諦めたもの」をテーマに自然体で語ってくれた。

ロボットクリエイターの高橋智隆さんは「諦めたことは普通のキャリア。逆に得たものは行き当たりばったりなことをしながら人と違うことを歩む人生」とコメント
音楽プロデューサーで作編曲家の松任谷正隆氏さんは「小学校の給食がまずくて食べられなかったのが挫折の始まり。大学3年のころに就職活動に出遅れてそのまま今まできてしまった。続けてきたのは遊びの延長ばかり」と振り返った
料理研究家の土井善晴さんは「一流料理の世界という上ばかりを目指していた自分がぱっと横を向いたらまわりにやるべきことがたくさんあった。超一流とお金を諦めたことで家庭料理にたずさわる今がある気がする」と笑顔で語った
東京大学 先端科学技術研究センター 所長の杉山正和教授は「東大の研究者って挫折なんかないように思われるかもしれないが、何の研究をしていいか分からなくなってもがいていたときがある」と、苦悩の側面も吐露

 なお、“あらゆる方々”を対象に参加費無料で開催されたシンポジウムの様子は関連記事も合わせて読んでみてほしい。

お金を出して終わりではない。プログラムの全行程にスポンサーが同行する意味

 企業のCSR=社会貢献活動においては、寄付をして終わりというケースも多くあるなか、「LEARN with Porsche」は、メディアによる同行取材の記事公開を当初から一貫して強く意識しており、広報部長である黒岩さんがすべてのプログラムに全日程アテンドしていることが特徴だ。といっても、積極的に前に出て学生たちとコミュニケーションをとるわけではなく、後ろで静かに見守っているスタイル。おそらく学生たちは、「あのすらっと背の高い人がポルシェの人なんだ」とプログラムの途中で気づいているのではないだろうか。

 それについてはミーティングの際に、東大先端研の特任助教でLEARN統括マネージャーを務める赤松裕美さんから黒岩さんにこんな質問が飛んでいた。

「私たち東大側からすれば、ポルシェさんがプログラムに参加して一緒に楽しんでくださるのは大変ありがたく、学生たちにとっても大きな意味があることだと思っています。とはいえ業種もまったく違うし、おそらくお仕事に活きる要素はないのではと思うのですが、それでも同行することにはどんな意味があるのでしょうか?」

学生向けのビジネススクールをやりたいという赤松さん。「LEARN with Porsche」自体がいいビジネススクールのようなものと話していた

 すると黒岩さんは、「利益に直結しないCSRは、企業内で継続が難しいと言われる活動だと思いますが、このLEARN with Porscheが4年連続で続いているのは、自分が現場で見てきたことを自身の言葉で関係者にしっかり伝えているからだと思います。このような社会貢献活動は、社内の理解なしには成立しません」ときっぱり。

 そんな雑談の中で、中邑さんの「黒岩さんとは学生の教育を一緒にやっている感覚がありますね。学校の教育とは別のわれわれだけの教育を」という言葉も印象的だった。

「このシンポジウムに東大側の産学連携担当の理事が来るのは大きな意味がある」と話していた中邑さん

 実はポルシェジャパンは、この「LEARN with Porsche」の取り組みで、日本自動車会議所と日刊自動車新聞が主催する第4回クルマ・社会・パートナーシップ大賞の「SDGs貢献賞」を2月上旬に受賞している。

 CSP大賞と呼ばれるこの賞は、自動車業界で働く550万人と自動車ユーザーによる貢献活動に感謝を伝えて、世の中の人に広く知ってもらうことを目的とした、クルマ業界では栄えある賞だ。ポルシェというクルマを通じて持続的で質の高い教育機会を生み出していることが評価された今回の受賞は、シンポジウムに華を添えるものとなっていた。

北海道であろうと九州であろうとポルシェを現地に持っていく

ポルシェのCSR活動を象徴する写真として紹介された1枚

 そしてプログラムに同行するのは広報の黒岩さんだけではない。北海道であろうと九州であろうと、必ず最新のポルシェを現地に持っていくことも「LEARN with Porsche」の特徴だ。2023年の「ものづくりプログラム」では、黒岩さん自ら東京からMT車(911 カレラT)を運転して十勝まで運んだという。

 LEARN裁判で鈴木おさむ検事は、「つらいことを学生たちに散々やらせておいて、最後は毎回ポルシェに乗せてテンション上げさせている!」と言って盛り上げていたが、それに対して“参考人”の黒岩さんはこう反論した。

「学生たちには炎天下で何分も撮影に付き合ってもらうこともあります。でもこうして足跡を残すことには意図があって、私たちは東大先端研とポルシェという組み合わせの意外性を通じて、多くの人にこの教育プロジェクトを知ってもらいたいと思っているからなのです。離島であろうとフェリーで運び、美しい景色を背景に学生たちの笑顔と最新型のポルシェの写真を必ず残し、できるだけ世の中の多くの人に見ていただけるよう意識しています」。

 冒頭の写真を見ていただければ、教育の聖地ともいえる東大の安田講堂で開催した今回のシンポジウムも例外ではないことがお分かりいただけるだろう。

夢に向かう力を引き出すプログラム「LEARN with Porsche」はこれからも

ポルシェジャパンを代表して登壇したフィリップ・フォン・ヴィツェンドルフさん。読もうとしていたスピーチの原稿を投げ捨てて、自分の言葉で語りかけた

 クロージングトークでは、ポルシェジャパンを代表してフィリップ・フォン・ヴィッツェンドルフさん(元ポルシェジャパン社長)が登壇。会場に来ている若い世代に向けて、ポルシェというクルマが理想のスポーツカーを作ろうとした1人の男性(フェリー・ポルシェ氏)の夢からきているエピソードを絡ませながら、人生にはゴールを持つことが必要だというメッセージを送った。

「ポルシェ氏のゴールがこんなことになりました。自分のためにクルマを作りたかっただけなんです。だからこそポルシェはここまで大きな自動車ブランドになって、若い世代を応援したいという気持ちでここに立っています。なぜなら若い皆さんこそが、私たちにとっての重要な宝だからです。これからも謙虚に、好奇心と野心を持って、他人には優しく、ゴールを持って夢を追いかけてください」とあいさつを結んだ。

中邑先生のアクティビティは以前から注目していたが、その全体像を見て想像以上に感動したと語った東大副学長の津田敦さん
シンポジウム終了後、ポルシェジャパンのフィリップ・フォン・ヴィツェンドルフさんの話に涙ぐみ、ハグしてもらう学生の姿も

 シンポジウムを終えた直後に、プログラムを主導する中邑さんと黒岩さんにお話をうかがった。

 中邑さんは「黒岩さんのアイデアで、鈴木おさむさんを呼んでちょっと変わったことを試みてみようという意味でいい発表の場になったんじゃないかなと思います。分かりやすく伝わったのではないでしょうか。次のセッションでは、穏やかに大人たちに語ってもらったのもよかったと思います。大人の生き方を学生たちが知る場ってなかなかないんじゃないかなって思うんですよね。ああいう機会も大切だなと思いました」と述べ、黒岩さんは「LEARNのスタイルで最後まできっちり詰めなかったから、余白があってすごくよかったと思います。自分も楽しめました。今まで数え切れないほどの発表会やイベントを主催してきましたが、ステージ上で涙をこらえた経験は初めてです」と感無量の表情。

 涙をこらえたというのは、むろんシンポジウムをやり切った達成感もあるだろうが、これまで「LEARN with Porsche」に参加してきた学生たちが壇上で自ら考え、感じたことをしっかり語る。そんな成長した姿を見せてくれたことにも起因しているだろう。

 そして2024年のサマープログラム以来、半年ぶりに会った高校生は帰りがけにこう言っていた。「明日と明後日は学校のテスト。だけど人生長い目で見たら今日はここに来るべきだと思ったから来ました」―――。

 LEARNの目的を聞かれると、中邑さんはいつも「明確なものはありません。学生たちが何かを感じ取る場、今の教育に欠けている場を提供しているだけ」と答える。次のスカラーシップ生が何かを感じ取る場所は一体どこで、そこにはどんな体験が待っているのだろうか。ポルシェジャパンの、“学生たちの夢に向かう力を引き出すための教育投資”がこれからも続いていくことを願っている。

Photo:木村直軌