トピック

ポルシェと東大先端研が提供する、若者の“考える力”を養うプログラム「ラーン ウィズ ポルシェ 2023」に密着してみた【後編】

落胆、奮闘、歓喜。さまざまな感情から学生たちは何を得たか?

「60年代の空冷ポルシェ」の正体はなんとトラクター

ポルシェトラクターのレストア作業スタート

「60年代の空冷ポルシェ」と聞いたら、何を思い浮かべるだろう。おそらくクルマ好きの大半が考えるのは、初代の911、いわゆる「ナローポルシェ」ではないだろうか。今回、「LEARN with Porsche」に参加した高校生たちも、ほとんど全員が911のクラシックカーを思い描いていたようだ。ずんぐりと佇む「ポルシェトラクター」を見て、誰もが表情を曇らせていた。

 しかし、ここにこそ東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍さんのもくろみがあった。「専門家を呼んで911をレストアさせるということもできるかもしれませんが、5日のプログラムでは到底時間が足りないし、何より結局マニュアル通りに直さなければいけなくなるでしょう。このポルシェトラクターをレストアするには、何も手順がないし、とにかく自分たちで考えて手を動かしてみなければいけない。そこに学びや発見があるのではないかと思うんです」。

 1日目は馬を捕まえて乗馬体験をし、そして衝撃の空冷ポルシェと対面した。そして、2日目からの4日間は、いよいよポルシェトラクターのレストア作業だ。ボンネット、タイヤ、リアフェンダーまわりを担当する3つの班に分かれて作業を行なう。そして、全面的にレストアのサポートをしてくれたのが、馬のレクチャーをしてくれた田中次郎さんと池田猛さんだ。池田さんは北海道出身で農家の三男として生まれ、それこそ日常的に馬やトラクターに触れてきた。そして、トラクターのディーラーに48年間務め、クラシックトラクターを約10台も所有しているトラクターのスペシャリストでもある。

ポルシェトラクターのレストア作業は東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍さん(右)をはじめ、田中次郎さん(左)と池田猛さん(中)がサポートしながら進められた
レストア前のポルシェトラクターは、約60年前となる1960年代に生産されたモデルという。30PSを発生する1.75リッターの4サイクル2気筒ディーゼルエンジンを積み、ボディサイズは3470×1530×1450mm(全長×全幅×全高)。重量は1510kgとのこと。ポルシェトラクターを止めていたところの屋根が落下してしまったため、車体が傾いてしまっている
こちらは2021年に池田さんがポルシェトラクターを引き取ったときのもの

巨大なタイヤをどう外す?

 池田さんの指示を仰ぎながら、まずは各パーツの取り外しからスタート。実はこれだけでもひと苦労。それぞれのパーツが大きく、ボルトなども手が届きにくい場所にあったりする。各班に分かれたものの、ボンネットなどが大きいため、近くにいた人たちが集まって支えたり外すのを手伝っていた。話を聞くと、昨日は「911じゃなかった」というガッカリ感をみんなで共有したことで、逆に団結は深まったそう。2日目からはその落胆した気持ちを切り替えて、全員がしっかりと作業に臨んでいた。

 乗用車ならさほど苦労しないタイヤの脱着ですら、トラクターでは大仕事。特に後輪は胸の高さほどの大きさがあり、1人で取り外して引っ張り出すのは難しい。池田さんや次郎さんにタイヤをうまく動かすコツを聞きながら、なんとか4輪を外すことに成功。しかし、ここからタイヤ交換のためにタイヤを外すのがさらに大変な作業なのだ。

 最初にタイヤ班となったのは、赤松くん、齊藤くん、中井くん、堀くんの4名。まずはホイールのリムに固定されているビードを落とすのだが、手動のタイヤチェンジャーで押し込んでも、なかなかビードは落ちない。そこで池田さんが取り出してきたのは、自分で加工したL字型の金属片だ。それをタイヤとホイールの隙間に差し込み、ハンマーで何度かたたくとビードがストンと落ちた。とにかくここにあるものを使って、なんとかできないか工夫しなければいけない。全員がそれを再認識したようだ。まずはみんなで切断機を使って、その金属片を加工することに。切断機もただ単純に切り落とすだけではなく、手の感触をしっかり感じながら刃を下ろしていかないと、モーターが焼けてしまいパワーが出なくなる。道具1つひとつの使い方を覚えながら、それぞれが自分の手で何かしなければと行動し始めたのが伝わってきた。

池田さんが手伝いながらホイールからタイヤを外す

 真っ先に後輪の大きいタイヤのビードを落としたのは堀くんだった。堀くんは工業高校に通っていて、学生の頃から「グランツーリスモ」(しかもお父さんから譲り受けた初代)をプレイしてクルマが好きになったそう。部活動ではエコランなどにも参加していて、クルマの扱いも慣れている様子。チャレンジ精神が旺盛で、他の組の溶接もやってみたいと自ら手伝いに行っている姿も印象的だった。堀くんのやり方を見たり、お互い話をしたりして、他のタイヤ班のみんなも奮闘している。

堀誠優くん

 齋藤くんはカートをしていることもあって、自分でカートを整備したり、FRPのパーツを補修したり、さらには家業の手伝いの傍ら、なんとスバル360をほぼ1人でレストアしているそうだ。クルマのパーツや仕組みをよく知っているから、率先して作業したり、仲間と仲良くなるにつれてアドバイスをしたりする姿も見受けられた。

齋藤玲くん

 赤松くんは自分では「クルマは好きだけど、みんなほどは詳しくない」と言いながらも、さまざまなところに目を向けて黙々と作業に取り組んでいたのが印象的だった。タイヤを外す時には、池田さんから「体の使い方が一番上手」と褒められるシーンも。

赤松賢くん

 中井くんはアメリカの学校に通っていて、主にロボット工学の勉強をしているとか。普段はロボットを組み立てる繊細な作業が多いので、今回のようにハンマーで大きいものをたたくということ自体が新鮮、と笑顔で話してくれた。1人ひとり違う境遇にありながら、それぞれが協力して目の前の作業に取り組む姿を見ていると、とても頼もしく感じる。

中井健翔くん

ひずみやへこんだボディを板金、塗装

 ポルシェトラクターのボディまわりでは、リアフェンダーのひずみを直したり、へこんだ部分を叩き出したりする細かい板金作業からスタート。たたくと塗装が剥がれる部分もあるので、ある程度形が整ったら、後で再塗装しやすいようにフェンダーまわりをやすりがけして面を均一にする。

 この班はベイカーくん、山中くん、佐藤くんの3名。彼らは翌日からタイヤ担当と入れ替わることになり、ホイールの塗装なども熱心に行なっていた。ポルシェトラクターのボディ用の赤色は、池田さんが業者に頼んで塗装色を再現したものが用意されたが、ホイールの色は別。やや黄色がかったクリーム色を自分たちで調合して作らなければいけない。

 佐藤くんはこの色の調合の責任者を任せられると、微妙な色調整を最後までしっかりやり切っていた。ホイールが大きいため、このカラーリングがトラクターの印象を決めると言っても過言ではない。実際に調合した色を塗ってみると、とてもきれいでかっこいいクリーム色に仕上がっていた。佐藤くんからは最後まで責任を持とうという意思が伝わってきて、ホイール全体だけではなく、ボルトの1本1本まできちんと塗装していた。彼は元々家にある家電を自分で修理するのが好きなのだという。これまで修理して一番おもしろかったのは、電話の子機。ただ、本当は直せるものならクルマを直したいとずっと思っていて、このプロジェクトに参加したそうだ。F1も大好きで、大学ではモータースポーツなどにも通じる航空宇宙工学を勉強したいという。

佐藤太一くん

 エアブラシを使った塗装は初めてだと言っていた山中くんは、器用にエアブラシを使いこなし、最後には塗装職人になっていた。彼はスポーツカーにとても詳しく、本当はエンジンに興味があるそう。今回のレストアでエンジンに触れないことは残念そうにしていたが、それ以外の作業にも活き活きと取り組んでいた。

山中光稀くん(右)

 ベイカーくんは、数か月前にとあるクルマに乗せてもらってからクルマに興味を抱いたという。数か月間で好きになったとは思えないくらいクルマに詳しいので驚いていると、自分でトヨタ博物館に行って勉強しているのだと教えてくれた。興味があったらとことんやってみるタイプで、今は音楽活動も熱心にしているとか。

ベイカー舞空くん

もっとも苦労したボンネット修復

 このレストア作業の中で、おそらくもっとも苦労していたのがボンネットを担当した牧くんと石田くんだ。他の仲間たちは、タイヤやボディまわりのポジションを入れ替えて作業をしていたが、この2人はずっとボンネットにかかりきり。それもそのはず、ボンネットのへこみは思ったよりも大きく、単純にたたき出すだけでは板金できそうもないということで、一度“患部”を切断し、溶接しながら形を整えることにしたのだ。本来であれば、3日目から塗装に入るはずだったが、4日目の夕方ギリギリまで板金と溶接を必死に続けていた。ここまでやり切れたのも、牧くんと石田くんだったからだろう。

もっとも負担が大きかったといえるボンネット担当の牧くんと石田くん

 牧くんはご両親が元々自動車関連の仕事をしていて、学生の頃から大きな影響を受けてきたという。工業高校の自動車科に所属しているので、クルマの車種などだけではなく、基本的な道具の扱いや整備には長けている。「トラクターだと知ってたら来なかったです(笑)」と言いつつも、最後まで責任感をもってレストアをやり切っていた。

牧研太くん(左)

 そして、このプロジェクト全体のムードメーカーにもなっていた石田くん。彼は5歳から家業の手伝いをしていて、今はアルバイトとして仕事もしているので、溶接などはお手のもの。自分の技術がどれだけ通用するのか見てみたいと「LEARN」に参加したという。確かに彼の板金や溶接の技術はすごかった。しかし、参加者全体をさりげなくリードする雰囲気作りが、もっともチームに大きな影響を与えているように感じた。石田くんは、全員のあいさつもそこそこにレストアが始まってしまったので、雰囲気のわるいまま作業すると効率がよくないだろうと思い、自分から積極的に声をかけて仲良くしていたという。とても明るく振る舞っていたのもその裏返しだったのかもしれない。彼は地元が帯広ということもあって、仲間を誘い合って飲食店に行くなど、大人にもさまざまなことを教えてくれた。

石田詢くん

ロボットクリエイターの高橋智隆さんも助っ人に

2022年10月に受注を開始したばかりの911の新グレード「カレラT」も会場に

 毎日の作業が終わるとみんなクタクタになって宿に戻ってくる。作業着は真っ黒だし、おなかも空いている。そこからは自由行動になるのだが、使えるお金は限られているので、コインランドリーでの洗濯はみんなで声をかけて一緒に行ったり、部屋で集まってさまざまな話をしたり、最終日前夜には近隣の花火を見に行った子たちもいたようだ。そんな風に徐々に関係性も深まり、日を追うごとに長年の友人のようになっていく姿は大人からするとなんだかまぶしかった。

 そして、レストアの途中にはサプライズも。911のレストアではなかったので、がっかりした参加者のみんなだったが、ポルシェジャパンの広報マンである黒岩真治さんが、最新の911に乗ってきてくれたのだ。緑色の「911 カレラT」が到着すると、みんな作業も忘れて911に見入っていた。黒岩さんは、レストアの過程でさまざまなことを学んでもらえればと思いつつ、やはりポルシェの代表車である911の技術にも触れてほしいということで、わざわざ東京からマニュアル車を自走で運んできてくれたのだ。その後、1人ひとりに911の助手席にも乗ってもらったが、全員がスポーツカーとしての速さやその完成度に感動していた。

911 カレラTには学生たちも興味津々

 さらに、レストアの強力な助っ人として「キロボ」「エボルタ」などを製作してきたロボットクリエイターの高橋智隆さんも駆けつけてくれた。いつも中邑さんの急な呼び出しに振り回されているというが、おもしろそうだと思うプロジェクトには積極的に参加しているそう。高橋さんは参加者と交流しながらも、自らボンネットの中心に貼り付けられていたモールをきれいに直し、ライトまわりの塗装なども行なっていた。おもしろいなと思ったのは、高橋さんもいまだに何かを見て疑問を持ち、常に考えることをやめていないということ。ここへ来るまでに通ったトンネルを見て、「両側から掘り進めて、なぜこんなにきれいに繋がっているのか」を考えていたという。そうすると中邑さんも「同じことを考えていた」と。まわりにあるものを当たり前だと鵜呑みにせず、自分の中でかみ砕いて消化する。こういったことが重要なんだとお2人の会話を聞いているだけでも感じ取ることができた。

ロボットクリエイターの高橋智隆さんもレストア作業のお手伝い。高橋さんの考え方に感銘を受けた生徒もおり、言動、行動で生徒たちに模範を示した

 さまざまな体験をしながらも、レストアは順調に進んでいると思った矢先、1つ事件が起こった。最終日の前日、池田さんがエンジンを試運転しようとクランキングするが、なかなか始動しない。そこでエンジンがかかりにくい冬場などに使うエンジン始動剤をエアクリーナーにシュッと吹きかけた時だった。エンジンまわりからパッと何かが散ったかと思うと、それきりエンジンが掛からなくなってしまったのだ。参加者のみんなもエンジンまわりに集まり「何が起こったのだろう」と心配そうに観察する。自動車に詳しい子たちからは、「冷却フィンが割れて、そこから空気が漏れてしまっているのでは」という意見も。池田さんは困り果てた様子で、「明日の最終日にエンジンがかかるかは五分五分かもしれない」と話すと、重い空気が立ちこめる。とはいえ、ここまで修復してきたトラクターをそのままにするわけにはいかないと、全員が最後まで自らが担当する部分のレストアをやり切った。

5日間で心に宿ったものは、忘れられないものになる

 そして、いよいよ最終日。それぞれが担当してピカピカになったパーツ、そして時間ギリギリまで板金や塗装を行なっていたボンネットをポルシェトラクターにはめ込んでいくと、その完成形は見違えるほどに美しく輝いていた。それは、きっとこのポルシェトラクターの元が美しいというだけではない。みんなが1つひとつの部品を理解し、その手で苦労しながら必死に直してきたからこそ、そう見えるのだろう。完成したポルシェトラクターを見つめる全員の表情を見て、最初に「トラクターなんて」と思っていた気持ちは、もうかけらもなくなっているのだろうなと伝わってきた。

 しかし、昨日動かなくなってしまったエンジンはかかるのだろうか。いやここまで完成したんだから、たとえエンジンがかからなくても……。さまざまな感情が去来する中、隣にいるベイカーくんに「エンジンかかるかな」と聞いてみると、「どうでしょうね。でも、僕は信じればかなう派です」と答えてくれた。

 エンジンが好きだと言っていた山中くんが運転席に座り、始動役を担当する。全員が固唾を飲んでその様子を見守っていた。レバーを引くと、ククッ、ククッ、ククッとトラクターはうなり始めるが、エンジンが始動する様子はない。ここでまた池田さんが、エアクリーナーに始動剤を吹きかける。ドコドコッと一瞬エンジンが動く気配がするが、ダメ。山中くんにレバーを戻すよう指示し、再度やり直し。同じ手順を数度繰り返していると、「やはり無理なのだろうか」という感情が沸きそうになる。しかし、全員がどこかで諦めていなかった。もう一度山中くんがレバーを引き、池田さんが祈るようにおまじないを吹きかける。すると、ドドドドッという大きいエンジン音とともに、マフラーから黒煙が吹き上がった。かかった! 信じられない気持ちでいると、次郎さんのおなじみの「ブラボー!」という声が響いてきて「本当にかかったのだ」と実感させられた。そして、池田さんの運転でポルシェトラクターは動き出す。全員が組み上げたパーツがかみ合って、きちんと走っている。それだけで感動的な光景だった。

エンジンがかかると同時に生徒たちからは拍手が。「ブラボー!」の声がひと際うれしかった瞬間だ

 そのあとは、全員でレストアして組み上げたトラクターを自らの手で運転してみることに。高校生なので、これが初めての運転になる子がほとんどだ。しかし誰もが怖がらずにハンドルを握り、走り終われば笑顔で帰ってきた。ポルシェトラクターがしっかり直って、あたたかい空気に包まれる。しかし、残念ながらすぐに別れの時間はやってきてしまった。

短期間ながらボディやホイールなどがレストアされ、当初とは比べ物にならないほどにきれいに仕上がったポルシェトラクター。敷地内の限られたスペースだったものの、生徒たちは思い思いにステアリングを握ってその走りを楽しんだ

 5日間ずっとあたたかく、そして厳しく指導してくれた次郎さんが「トラクター、動いたね。感動したよね。泣いた人?」と聞くと、数名が手を挙げたのを見て「俺も泣いちゃった、あの時! みんなの頑張りがこうやって目に見えたものになってよかったね、感動しました」と、あえて言葉を短く締めくくった。

 池田さんは、「LEARN with Porsche」のプログラム中に71歳の誕生日を迎えたものの、作業中はずっと立ちっぱなしで各班の手伝いをし続けてくれた。「4日間短かったけど、バタバタしながらも形になってよかったね。エンジンがかかるかは本当に五分五分だと思ったけど、みんなの誠意が伝わったのかな。エンジンかかったし、トラクターに乗ることもできた。感動したかな? 僕も学生のころからクルマが好きで、免許を取って初めてクルマに乗って、エンジンがかかった時の感動って、今でも忘れられない。何かを1つ完成させるっていうのは、自信につながる。今回、その自信になったものを今後の勉強や社会に出た時に生かしてくれたらなと思います」。

 911を東京から北海道まで自走で運んだ黒岩さんは、さらにサプライズを用意してくれていた。「3年前、われわれポルシェジャパンが何か社会に還元できる活動はないだろうかと、中邑さんたちと協力して始まったのがこのプロジェクトです。今年は新しくものづくりに関わるテーマで何かやろうと中邑さんにご提案いただいて、僕にとってもそれは念願だったので、すぐに『ぜひ実現させましょう』と返事をしました。ポルシェの根底に流れるものづくりは、トラクターから911まで今も息づいています。これを見て、今回の経験をいつでも思い出してもらえたらうれしいです」。そう言って、黒岩さんは911ナローのミニカーを全員にプレゼントしてくれた。

ポルシェジャパンの黒岩さんから911ナローのミニカーを全員にプレゼントするといううれしいサプライズも

 最後に、中邑さんは少し言葉を詰まらせながらこう締めくくった。「ものづくりの先進国を走ってきた日本が、これからどう生きていくかを考えた時に、全てがブラックボックスになってしまっているよね。面接の時に『水洗トイレの水が止まらなくなったらどうする』と聞いたら、『専門業者を呼ぶ』。そう答えるような子が増えた。勉強ばかりするようになって、暇ならゲームして、身の回りのものを立ち止まって見たり、考えたりすることができなくなってしまった。池田さんがさまざまな工夫をしてレストアをしたり、どうしてエンジンをかけることができたのかって言ったら、これまで生きることに必要だったからだと思う。今は『お金を出してどうにかすればいいや』って、生きることに必死になることが少なくなってきた。その中から新しいものは生まれてこない、間違いなく。きっと君たちはこの国にいて将来が不安なこともあると思う。そんな不安を吹き飛ばすような居場所を、やっぱり僕たちが作らなきゃいけない。そういう思いでこの『LEARN』をやっています。ここから君たちがどう生きていくかは、君たちの勝手ではあるけど、僕らはこれからもこういう場所を創ろうと思っているから。こういうことをやってきたよって、友だちやまわりの人にも伝えてね」。

 参加者のみんなも最後に名残惜しそうに言葉を交わしていた。誰もが言っていたのは、「自分の好きなことや、共通の話題を語り合える新しい仲間ができたことがうれしい」ということ。5日間という短い期間だったが、ポルシェトラクターという未知の機械に一緒に立ち向かって、自分たちの力でレストアし切れたことは、全員の大きな経験になったようだ。「自動車の勉強をしていて教えてもらうことはあっても、これまで仲間同士で教え合うことはほとんどなかった。今回はみんなで教え合って協力できたことで仲良くなれたし、良い経験になった」という子も。そして、最初は911だと期待した空冷ポルシェがトラクターだった時はがっかりしたが、最後には愛着が湧いたというのも、全員が同じ意見だった。人知れず自分の悩みを抱えていた子も、自分で考えて手を動かすこと、そして誰かと協力することで、何か新しいことができるんだと自信を持てたようだった。

「生きることに必死になることが少なくなってきた」と中邑さんは危機感を募らせるが、今回のプログラムを経て生徒たちはその意味を理解したに違いない。たった5日間の出来事だったが、取材陣も参加者の将来が楽しみになった

 最初に中邑さんにお話を伺った時、「LEARN」は急に成果が出るプロジェクトではないと言っていた。まさに、参加者がこれからどんな世界へ羽ばたいていくかは、誰も知り得ない。ただ、この5日間で心に宿ったものは、忘れられないものになる、その予感だけはあった。種まきと似ているかな、とふと思ったが、いやトラクターだと思い直した。「LEARN」のプロジェクトは学生たちの土壌を耕し、豊かにする。参加者はそこにそれぞれ自分の種を植える。その後育っていく花や野菜や木はきっと、実り多いものになるはずだ。

Photo:堤晋一