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ポルシェと東大先端研が提供する、若者の“考える力”を養うプログラム「ラーン ウィズ ポルシェ 2023」に密着してみた【前編】

レストアする「60年代の空冷ポルシェ」の正体とは?

2021年にスタートしたポルシェジャパン独自のCSRプロジェクト「LEARN with Porsche 2023」。今回はものづくりが好きな若者向けのプログラムに密着取材した

「LEARN」プログラムの意義

「じゃあ、今日は馬を捕まえて、乗ってみよう」

 その場にいた全員が面食らった顔をしたのも当然だ。ここに集まった高校生たちは、「60年代の空冷ポルシェを甦らせる」というプログラムに参加するために、期待に胸を膨らませ、はるばる北海道の地までやって来たのだから。

 Learn(学ぶ)、Enthusiastically(熱心に)、Actively(積極的に)、Realistically(現実的に)、Naturally(自然に)。その頭文字を取った「LEARN」は、東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍さんを中心として行なわれる、現在の学校教育とは違った学びを提供するプログラムだ。その中でも、ポルシェジャパンと共同で行なわれる「LEARN with Porsche(ラーン ウィズ ポルシェ)」は、今回が3回目の開催となる。

「LEARN with Porsche 2023」の募集要項を見ると、「ものづくりの好きな高校生集まれ 60年代の空冷ポルシェを甦らせよ! - 人や機械からものづくりの知恵を学ぶ5日間 -」というタイトルがあり、そのほかには「おそらく北海道でポルシェをレストアするのだろうな」と分かるだけの簡単な概要が記載されているのみ。実は「LEARN with Porsche」は、プロジェクトの詳しい内容や行き先すら知らせず、集まった高校生たちに自主的に考えて行動してもらおうというプログラムなのだ。

「LEARN」の中心となる中邑さんは、どんな学生でも、ありのまま、それぞれが個性を発揮して生きられる場を創ろうと「LEARN」を生み出したという。今回集まってきた「ものづくり」に興味がある学生たちも例外ではない。

「最近の学生たちは、言われたことや指示されたことを忠実に守るだけの子が多くなっていますよね。受験する子は受験のことばかり考えたり、言われた通りに授業をこなして、そのまま会社へ入る。イノベーションを起こす社会を作るには、もっと違う教育も必要なんじゃないかと思っているんです」。

 中邑さんは、東京大学で授業を教えている時にも、学生の変化を感じているという。勉強ができても、人間的な“おもしろみ”がない。仲間内で盛り上がりはしても、社会に向かっていくような人はいない。日本には社会課題が山積しているのに、それを見つけて考える人は限りなく少なくなっている。「LEARN」のプログラムを通し、そういった社会課題にも自ら気づける人になってほしいという思いもあるという。

「60年代の空冷ポルシェを甦らせよ! - 人や機械からものづくりの知恵を学ぶ5日間 -」と銘打って行なわれた今回のプロジェクト。主導したのは東京大学先端科学技術研究センター「個別最適な学び研究」寄付研究部門の中邑賢龍さん(左)、アドバイザーを務めた田中次郎さん(中)、ポルシェジャパン株式会社 広報部 部長 黒岩真治さん(右)だ

 今回、「LEARN with Porsche」に参加したのは9名の高校生。元々北海道出身の子もいるが、ほとんどが自分で飛行機に乗り、全国各地から北海道までやってきた。もちろん全員が初対面で、共通しているのはクルマやものづくりに興味があり、「60年代の空冷ポルシェを直したい」と思っていることだけ。自己紹介もそこそこに、いきなり「馬を捕まえて乗ろう」という指令が出されたのだ。

北海道十勝地方で行なわれた今回のプロジェクトには、9名の高校生が参加。プロジェクトの概要について説明が行なわれつつ、まずは馬を捕まえるミッションが与えられた

馬とクルマの関係

プロジェクトの舞台となった「森の馬小屋」

「どうして馬に乗るんだろう」「ポルシェは?」と困惑する彼ら。中邑さんから「ポルシェやその他の自動車の原点とも言える馬を、自分の手で感じてほしい」という話を聞き、分かったような分からないような表情で、まずは馬を捕まえる場所へと向かうことになった。

 今回、馬との触れ合いやポルシェのレストアの拠点となったのは「森の馬小屋」。この場所のオーナーは、今回のプロジェクトのアドバイザーでもある田中次郎さん。中邑さんとは学生時代からの付き合いがあり、「LEARN」についても深く共感しているという。

 まず、馬の扱い方について、馬と人の安全を考慮して、最初にしっかりと次郎さんからレクチャーを受ける。次郎さんは必要な部分はとても丁寧に教えてくれる一方で、危険な行為をしたり、言われたことを守ったりしていない時にははっきりと叱る。

「最近の学校は、怒らない教育になっていますよね。教育をする上で怒るというのは、その子たちに単純に感情をぶつけたり、否定している訳ではなくて、『それは考え直さなきゃいけないよ』っていうアドバイスなんです。それを強く言っているだけで、今の教育現場でも大切なことだと思います」と中邑さん。

田中次郎さんから馬の扱い方を聞く。次郎さんは厳しくも優しさに満ちた人格者で、プロジェクトのキーパーソンの1人

 レクチャーを受けた後は、草木が生い茂る山に分け入って、まずは馬探しから。なだらかな斜面を登っていき、少し開けた場所に出ると、数頭の馬が草を食んだり休んだりしているのを見つけた。参加者は3人1組になり、まずは馬の頭にかけて手綱を引くための「無口」をつけるところからスタート。

 思いの外、馬たちは人間に驚いたりせず、のんびり草を食みながら周囲をトコトコと歩いている。参加者のみんなは、それぞれが好きな馬の近くに寄って、なでたり声をかけたり、コミュニケーションを取り始めた。しかし、なかなか無口をつけることができない。なぜなら馬が草を食べ続けている限り、ずっと下を向いているので、無口を顔に差し入れることができないからだ。

 次郎さんは「このままだと馬は何時間も草を食べ続けるよ。後は自分たちでどうするか考えてやってみて」と声をかける。馬は数頭いるものの、少し観察しているだけでも、それぞれの性格は違いそうだということが分かってくる。人間が何をしていてものんびりマイペースな子、少し神経質にソワソワしている子、とにかく草を求めてウロウロしている子。それぞれの馬と向き合いながら、馬の機嫌を損ねないように顔を上げてもらって、なんとか全員が無口をつけることができた。

苦労しつつ無事に無口をつけ、「森の馬小屋」まで手綱を引いて戻る。参加者はお互いをよくしらない状態なので、「無口をつける」という同じ目標が設定されることでうまくコミュニケーションが図れたようだ

 実は、取材班の大人チームも挑戦していて、周辺の草を抜き、顔の前で食べさせるフリをして顔を上げさせたのだ。それを見た次郎さんには「ふーん、お金で釣るタイプだ?」とニヤッと笑われた。その時にハッとさせられたのは言うまでもない。

「馬は移動するためや仕事をさせるための“道具”ではなく、生き物なんです。それぞれに性格があるし、日々の機嫌も違う。『イヤ』って言う時もあるし、そしたら人間側からアプローチを変えなきゃいけない。これからレストアする時の自動車に対する接し方も同じだと思うんです」と次郎さん。大人でも学ぶことが多いプログラムだなと身につまされる。

 それぞれ馬を捕まえてくると、参加者はあっという間に馬に慣れて仲良くなっている様子。そこからブラッシングをしたり、体をなでたりして、馬が嫌がっていないことを確認すると、頭絡と鞍を装着した。まずは馬を引くところからスタートすると、すでにほとんどの馬がこちらの意思に合わせてくれるようになっていた。

 馬が自分より前に出そうになった時には、手綱を下に引っ張って首を下げさせると後ろに下がるので、その位置で鼻の頭をなでると、それ以上前に出てこなくなる。けなげにこちらに合わせてくれる姿に、最初は「なんで馬?」と思っていた参加者のみんなも、いつの間にか笑顔で馬と接していた。馬にまたがるころには人も馬もすっかり仲良くなっており、乗馬の時間をゆったりと楽しんでいた。ここまでお互いにろくなあいさつもできていない状態だったが、協力して馬を捕まえたり、乗馬体験したことで、仲間とも打ち解けられた様子。次郎さんは厳しい一面もあるが、参加者が1つひとつの課題をクリアする度に「ブラボー!」と目いっぱい褒めてくれるので、それぞれ達成感も味わえたようだ。

筆者も馬を捕まえ、頭絡と鞍の装着とともに乗馬も体験

 和やかな雰囲気の中、中邑さんが参加者を集めていよいよ本題に入る。「馬とは仲良くなれたと思うけど、実際に乗馬をしてみたことで『じゃあ移動する時に毎日馬に乗ろう』っていうのは難しいのが分かったよね。だから馬が内燃機関に代わって、今の自動車になったわけだ。それでも馬の方が良かった一面もあるから、その辺りも考えながら、今回のレストアにあたってもらえればと思う」。

 そんな話をしながら、中邑さんは次郎さんに向かって「ポルシェっていつ来るの?」とふいに質問した。「もういますよ」と次郎さん。「じゃあ早速見に行こう!」と声を掛けると、参加者のみんなの表情に期待の色が宿る。

 連れてこられたのは青いビニールシートの前。中邑さんと次郎さんがそのシートを剥がしていくと……現れたのは真っ赤なポルシェだった。その瞬間、一切の歓声は上がらず、その場が静まり返った。1人だけ「おもしろい冗談ですね」と呟いた子がいたが、それ以外の参加者は驚きと落胆を隠せない。確かにそこにあったのは紛れもない「60年代の空冷ポルシェ」だ。しかし、誰もが想像したであろう流線型の古い911ではない。大きな体躯で草を刈り、畑を耕し、かつては農家の相棒となっていた「ポルシェトラクター」だったのだ。

アンベールで出てきたのはなんとポルシェトラクター。何かの冗談かと思う学生たちはしばらく立ちつくす。無事にレストアすることができたのか? 続きは後編で

Photo:堤晋一