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激戦のル・マン24時間レースを優勝したトヨタレーシング、勝利の裏側を小林可夢偉チーム代表・中嶋一貴チームディレクターに聞く
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- トヨタ自動車株式会社
2026年9月24日 06:30
2026年6月13日16時(現地時間)~翌14日16時の24時間にわたって第94回ル・マン24時間レースがフランス ル・マン市のサルトサーキットで開催された。2026年のル・マン24時間は、7号車 トヨタ TR010 HYBRID(マイク・コンウェイ/ニック・デ・フリース/小林可夢偉)がBMWやキャディラックと最後まで争い、7位までが同一周回というル・マン24時間史上にも残るレースを制した。
特にBMW M Hybrid V8と繰り広げたデッドヒートは、日本時間で夕方過ぎから始まりゴール時刻である23時まで続いたため、多くの人が視聴し、ル・マン24時間レースの過酷さや激しさを知ることになった。
激戦のル・マン24時間レース制覇を成し遂げたトヨタレーシング
この激戦のル・マン24時間レースを4年ぶり、6度目の制覇を成し遂げたトヨタ自動車は、2025年までのTOYOTA GAZOO Racingという体制から、2026年はTOYOTA RACING GmbH(以下、トヨタレーシング)という体制に変更。この体制変更は、東京オートサロン2026において中嶋裕樹副社長がモリゾウこと豊田章男会長に挑戦状をたたきつけるという形で発表され、その際にトヨタレーシング会長でもある中嶋氏は、「モリゾウの力を借りずにトヨタのエンジニアだけで必ずル・マン24時間で優勝し、トロフィーをここに叩き付ける」と宣言。世界最高峰の技術を追求する場としてル・マン24時間レースを捉え直し、「For the Engineering Race」を掲げて戦い抜いた。
このトヨタレーシングWECチームの本拠地は、ドイツ ケルン市にあり、ケルンと日本をリモートで結ぶ形で、トヨタレーシングへの体制変更、そして勝利の裏側を小林可夢偉チーム代表、中嶋一貴TOYOTA RACING GmbH副会長兼チームディレクターに聞くことができたので、ここにお届けする。
トヨタレーシングへの体制変更の難しさ
このトヨタレーシングへの体制変更は、2025年6月のル・マン24時間レースでフェラーリに敗れ、さらに9月のWEC富士6時間でアルピーヌやプジョーなどフランス勢に敗れたころから検討されはじめ、最終的には2026年1月の東京オートサロンの直前に公表することを決定。26年6月のル・マン24時間レースへ向けて急ピッチで体制構築が進められた。
中嶋一貴チームディレクターは、「(トヨタレーシングの本拠地である)ケルンの会社で言えば、純粋に社名も含めて、いろいろなところを変えるというところでは大変さはありました。それと同時にトヨタレーシングという名前になるにあたって、どういうことを世の中に訴えかけていくかというところ、理念というところを中嶋さん(中嶋裕樹 トヨタレーシング会長)はじめ、上原さん(上原隆史 トヨタレーシング マネージングダイレクター)もそうですし、可夢偉だったり自分だったり入らせていただいて、議論を重ねていきました」と、理念づくりの大変さを語る。常に自問自答しながら、トヨタレーシングとして世の中に伝えたいところを考え続けたことに大変さがあったという。
現場のチームをマネジメントし、7号車のドライバーとしても参戦する小林可夢偉チーム代表は、「(トヨタレーシングに)名前が変わるが、それは名前が変わっただけなのかという、まず頭の整理ですよね。なぜそれが変わるのかという根本の部分について……。つまり、モリゾウさんが『トヨタレーシングでやっていくんだ』ということを決断したときから、なんでモリゾウさんはそう考えたのかを、自分自身で理解するというところから始まりました。でも正直、やり出したころはモリゾウさんの意思を僕自身100%理解しきれてなかったんだろうなと正直思います」と、初期の思いを吐露した。当初は可夢偉チーム代表自身、すべてを理解してチーム運営ができていたわけではないという。
「中嶋会長も上原マネージングダイレクターもモリゾウさんとコミュニケーションを取っている中で、自分はチーム代表という立場でありながらドライバーとしてこの組織の中にいる。チームの1人として、トヨタレーシングとして何をすべきか、どういうことを意識していかないといけないのかということを、チーム運営を進めていく中で理解していきました。それが大変だったかどうかと言うと……、大変というよりも、まず自分自身も意識を変える、意識を変えるというのはどういうことなのかをチーム内で伝えていくことが大事だと思いました。トヨタレーシングというのは結果を求める組織なので、どういうことを重きにおいてやっていくのかの整理がまず必要」。
「今までならこうだろうなと思っていたところを、1歩2歩3歩と立ち止まって、一度考えるという部分は、今までとやり方が違かったと思います。そして、一度理解ができたら、次のステップとしてはそれをどういうふうにみんなに伝えていくか、どういうふうにそれをインフルエンスさせていくかっていうところに考えが移っていきました。僕が理解した上で伝えていくっていうところの難しさがあったと思いますね」と、可夢偉チーム代表は自分自身がトヨタレーシングとしてなすべきことをしっかり理解することで、チームに新体制の意識を広めていった。
「For the Engineering Race」で、ル・マン24時間レース前に意識が一つに
現在のトヨタのル・マンをはじめとするWECへの挑戦は、豊田章男氏が社長時代の2011年に決断を行なっており、2012年からハイブリッド車両である「TS030 HYBRID」での戦いが始まった。2018年にはマツダに続き、日本メーカーとしては2番目にル・マン24時間制覇を成し遂げ、2018年から2022年まで5連覇とアウディに並ぶ連覇記録を築き上げた(アウディは5連覇×2)。しかしながら、2023年からは6連覇記録を持つフェラーリがル・マン24時間レースに復帰。まるで、自身の記録がトヨタに並ばれるのを防ぐように復帰して、そこから3連勝し、2026年も優勝候補と見られていた。
トヨタは、その巻き返しを図るためにトヨタレーシングという新組織にしたわけだが、その組織がうまく回り始めたのはいつごろのことだったのだろう。
可夢偉チーム代表は、「For the Engineering Race」という目標がチームをよい方向に変えていったという。
「多分なのですけど2つ軸があって、パフォーマンス面と、トヨタレーシングというものが結果を残すための組織であるというところです。そして結果を残せているのかどうかというところの物差しとなるところが事実上、ル・マンしかない。それ以外のところは、正直言うとどれだけほかのメーカーも、パフォーマンスをしっかり出し切っているかっていうところも見えないし、そういう面ではル・マンに行ってル・マンを走るまで、自分たちがやってきたことっていうのが正しいのかっていうのは正直分かりませんでした」。
「チーム内での意識が変わってきているっていうのは、ル・マン前でも感じていたかなと思います。シーズン開幕前に中嶋副社長にケルンに来ていただいたときに、この『For the Engineering Race』っていうチームのスローガンを、会社内ではちょっとずつ伝えていたと思うんですよね。世の中に出したのはル・マン前だったんですけども、社内ではもうちょっと早い段階で伝えていました。そこをちょっと先行させたのは、『For the Engineering Race』というスローガンを言ったときに、多分チームのみんなはすぐには理解できないだろうな、と。チーム員全員が理解した状態でル・マンに挑むという余韻みたいなところも大事だと思いました。ですので、このスローガンを中嶋副社長が結構早い段階で伝えてくれたっていうのは、1つのきっかけだったかなと思います。とはいえ、ル・マンを勝つんだというトヨタの想い、モリゾウさんの想いが、チーム全員にル・マンに行くまでに浸透していたのは、チームにとっては大きな変化だったなと思います。今までそうしていなかったのかと言うと、そうではないんですけども、今年については、今まで以上にメッセージ性が強かったと思います」(可夢偉チーム代表)。
それは、一貴チームディレクターも同様で「For the Engineering Race」によってチームの目標が明確となり、ル・マン24時間レースに挑むよい流れが作られていったという認識だという。
「(トヨタレーシングへの)変化は始まっていたんじゃないかなとは思います。ル・マンに勝つっていうところに注力して、1番の優先目標としてやっていくっていうことを明確に示してもらっていたと思います。ル・マンに勝つためにチームとして足りないところ、技術的に足りないところはどこなのか。レースをやるだけではなく、そういった技術も鍛えていく活動も含めて、名前が変わる前に動き出させていただいていたっていうところはあって。その下地から、トヨタレーシングとしての中嶋(会長)さんと上原(マネージングダイレクター)さんの元でやらせていただいていたことが今年のル・マンにつながったっていう部分は大きいと思います。ル・マンの前に『手応えがどうか?』と言われると、本当に可夢偉が言ったようにル・マンでやってみないと分からないっていうところはありました。チームとして、レースにフォーカスするようなアプローチになっていっていたところに名前が変わって、やっぱりチームメンバーも名前が変わるにあたって『なんで名前変わるんだ?』という純粋な疑問が生まれるわけですよね。可夢偉が言ったみたいに、『For the Engineering Race』っていうスローガンも含め、自分たちの目指すべきところを明確にするためにこういうスローガンでやっていくっていうことを、みんなすごく前向きに受け止めてくれたと思います。中嶋さんにも上原さんにも頻繁にケルン来ていただいて、直接メンバーに話していただいたこともあって、ル・マンに向かう雰囲気としてはいい流れというか雰囲気を持って臨めたんじゃないかなと思ってます」(一貴チームディレクター)。
トヨタレーシングの提灯と、チームのはっぴが、明るい雰囲気を作り出す
ル・マン24時間レースを優勝した際、トヨタレーシング中嶋裕樹会長に「トヨタレーシングに体制を変更して、チームとしてまとまったと感じたのはいつごろ?」と聞いたときに明確に答えてくれたのは、「可夢偉の提灯、提灯とワッショイ。あれが結構大きかった」ということだった。
ル・マン24時間レースにおけるトヨタレーシングのホスピタリティでは、軒先に提灯が飾られ、チームスタッフのかけ声として「ワッショイ!!」を採用。チームウェアのほかにはっぴが用意されていた。
可夢偉チーム代表に提灯や「ワッショイ!!」を採用した経緯を聞くと、「トヨタレーシングになったときに本当に自分たちでチームが一つになれる、外国人にも使える、かけ声ってなんだ?みたいなことをみんなで話し合っているときに、なんか神様が降りてきまして。ふと出たワッショイがんかピンときまして」。
そのかけ声がお祭り的な感じなので、国際色豊かなチームでやってみると「意外にいいなって感じだった」とのだという。
ル・マン24時間レースはさまざまな国のチームが参加しており、日本チームらしいカラーを出していきたかったということもあり、「ワッショイ!!」からお祭りが連想できることから提灯につながり、中嶋会長に相談する形で提灯やはっぴを作らせてもらったと、可夢偉チーム代表は語る。
「ル・マンのときは、本当にプレッシャーとかいろいろなことがありました。、チームって真面目にやっていると、すごく集中しているからそれが暗さとして伝わっていってしまう。でもそういう状況で、逆にはっぴを着るとか、何かちょっと違うことをやっているとリラックスした雰囲気が出る。厳しいレースをしている中でも常に笑顔があったりとか、面白さみたいなのがあったなと感じています」(可夢偉チーム代表)と、かけ声や提灯、はっぴといった日本文化を採り入れたことが、チーム全体の雰囲気改善につながったよいきっかけだと語り、中嶋会長や平井社長が率先してはっぴを着てくれたことが、チームを盛り上げてくれたと、チームの雰囲気を振り返る。
ル・マン24時間レースの予選は7号車が14位、8号車が15位。そこからの巻き返しについて
ル・マン24時間レースについては、決勝日前の予選で7号車 TR010ハイブリッド(マイク・コンウェイ/ニック・デ・フリース/小林可夢偉)が14位、8号車 TR010ハイブリッド(セバスチャン・ブエミ/ブレンドン・ハートレー/平川亮)が15位と、最終予選であるハイパーポールに進出できず下位に沈んだ。
そこから巻き返し、決勝は7号車が優勝、8号車が3位と2台とも表彰台に上る結果となるのだが、予選終了時に不安はなかったのだろうか?
可夢偉チーム代表は、「僕らはレースに向けての準備しかしてなかった」「もうちょっと予選で前に行けたらいいなっていう気持ちはあったものの、実際は行けていても多分数ポジション上だろうなというのがまあ本音なところなんですよ」と、予選よりも決勝にフォーカスしていたという状況を語る。
「24時間は長いので、長いレースを本当にミスなく、チームの戦略どおりにドライバー全員が練習走行中のパフォーマンスを出したら、必ずトップ争いに行けるだろうという気持ちはありました」と、決勝ペースの自信は確実に持っていたのだという。
「実際、最終局面でしっかり上位に行けて、8号車はブレーキのトラブルはあったものの、セーフティカーやFCYのときだったのでそんなにロスが大きくなく復帰できた。最終的に、ほかのメーカーは1台に対してトヨタは上位に2台いることで戦略の幅が広くなり、選べるようになったのですが、そういうことをできたっていうのは、本当にチームの強さがあったからだと思います」と、チーム戦略を最後まで選択できる状況に持っていけたことが勝利につながったと指摘する
トラブルの影響を、エンジニア、メカニック、ドライバーで最小限に抑えたことが勝利の要因
戦略について、「For the Engineering Race」を掲げたトヨタレーシングだからことできたことはあるのだろうか?
「全体的に見てすごくみんな落ち着いていたなっていうのは正直あります。どんな状況であってもみんな焦らずに、しっかり自分たちのやるべきことを集中して出し切れていたので、全体通してよかった。(8号車の)ボルトが緩んでいたということもメカニックは冷静に対応して見つけ、冷静に判断して直そうと。逆にあのまま引っ張っていたら本当にどうなっていたか分からないっていうのもあります。あの決断を、あそこでしたのはよかったと思うし、正直僕らのドライブシャフト(7号車に起きていたドライブシャフトのトルクセンサートラブル)に関してはチームができることは何もなくて、買ってきたセンサーを付けるしかないので。もしかしたら、ほかのチームに起こっていたかもしれないですし。そこは分からないですけど。これはルールなので、ほかのオプションがなくて、(運転で)対応するしかないかなと思っています」と、8号車に起きたトラブルに対するメカニックの自主的な判断と冷静な対応を、可夢偉チーム代表は高く評価した。
8号車に終盤起きていたフロントタイヤのボルトまわりのトラブルは映像でも流れていたので、トラブル発生を理解していた人も多いだろう。一方、7号車に起きていたドライブシャフトのトルクセンサートラブルについては映像に映ることなく、7号車のドライバーの運転によってカバーしていた。
ル・マン24時間のハイパーカーでは、どれだけエネルギーを使っているのかが管理されており、あるルールの下に出力などに上限が決められていたりする。それを管理するトルクセンサーがドライブシャフトに取り付けられており、実は7号車ではこのトルクセンサーが故障し、本来決められた最大出力より10Nmほど出力が低く抑えられてしまうトラブルが発生していた。
この辺りの細かい部分については、一貴チームディレクターが解説。「ドライブシャフトに関しては、出力を落とさざるを得ない状況になったときに、バックアップのモードに切り替えなければいけない結構ギリギリの線でした。バックアップのモードにすると確実に一定量のパワーを落とさざるを得ないのです。でもその状況の中で可夢偉が言ったみたいにドラシャのセンサーの値が安定していたわけではありませんでした。バックアップに切り替えないですむような、ロジックというかその辺りも現場のエンジニアがFIAと折衝しながら、レース中に走れるように裏の努力をしていました。エンジニアが現象を見て、安定しない中で少しでもパワーが下がってしまうことを避けるために、例えばどんな走り方ができるかというところもドライバーとコミュニケーションしながらやっていまして。それがよかったのか、効いたのかっていうのは分からないですが、最後にパワーがマシな状態で7号車が戦えたっていうのも、レース結果にはすごく影響したと思います。その辺りはバックグランドでデータ分析をしているエンジニアの働きが結果につながったところと思いますし、経験値のあるメンバーもたくさんいるので、過去の経験をもとにそういったソリューションを現場で考えるっていうことは、まさにチーム力として発揮できた部分だと思います」と語り、最大出力が抑えられた状況の中、エンジニアとドライバーの協力で工夫して走らせ続けたことが、ゴール直前のエンジン状況のよさにつながった面もあるとの見解を示し、クルマに起きたトラブルを、エンジニアとドライバーが協力して影響を最低限に抑えたことが勝利の要因になっていたと明かしてくれた。
ル・マン24時間レースの優勝が、トヨタレーシングにもたらしたもの
表に出ないトラブルをチームで乗り切り、戦いの厳しかったル・マン24時間レースを1-3フィニッシュしたことで、トヨタレーシングが得たものは何だったのだろうか?
一貴チームディレクターは、「優勝することができて、内容も含めて非常によかったように見えるとは思うのですけど、やっぱり反省点もたくさんあって、コマゴマとしたミスであったり、上手くいかなかったこともたくさんありました。もちろんそれは人間の能力であったり、それを発揮する力もあるでしょうし、組織的な問題だったり、ツールで助けられる問題だったり、いろいろあるとは思います。これだけたくさんル・マンのレースやってきても、毎年毎年そうやって新しい課題が出てくるっていうところは大きな成果なのかなと思います。特に人の部分に関しては、これだけ経験があるメンバーで取り組んでいるという話もしましたけれども、それでも、いくらレースをやってきてもやっぱりル・マンって特別なレースで、ル・マンでしかないプレッシャーもある中で、どういう風に力を発揮できるかっていうところは、ほかのどのレースでも経験できないです。また、成長する過程にもル・マンでしか経験できないことがあるっていうのは、改めて今年感じた部分でもあります。そうした経験を、いい意味で反省点や改善すべき点を持ちつつ、優勝という結果を得ることができたっていうのが一番大きな成果なのかなとは思っています。今後のレース、来年に向けてもよりよく改善していかなきゃいけないところもたくさんあります」と、一貴チームディレクターらしく冷静に分析。ル・マン24時間レースの怖さや勝つ喜びを一番経験している一貴チームディレクターの思いがこもった言葉だった。
一方、ドライバーとしても2度目のル・マン24時間レース優勝を成し遂げた可夢偉チーム代表は、「一言で言うと夢を共有できた。みなさんが夢を共有できた」と短い言葉で表現した。2026年のル・マン24時間レースには太田格之進選手もLMP2クラスに出場していたが、「(ル・マン24時間を)いつか勝ってみたいです」と言われたとのこと。「ドライバーにとっての夢を見せることができた」と可夢偉チーム代表は語った。
「今年のル・マンは本当にいろんな意味で壮絶だったし、これだけのメーカーの中で勝つということがどれだけ価値のあることだったっていうことも、関係者に伝えることができました。エンジニアの人たちにもル・マンで勝つ『夢』をしっかり伝えられ、レースを通して夢をみなさんと共有できたのかなと思っています。もちろんファンは、日本人ならば日本のメーカーを応援するという部分はあると思うのですが、そういうところは自然とあるものの、改めてこのル・マン24時間で勝つっていうことはどういうことだっていうことを、しっかり伝えられたと思っています。チームとしては、もっと強いチームづくりをしっかりやり続けないといけない。自分自身は、強いチーム、強いメンバーを鍛えるということにどういう意味があるのかっていうのを、何て言うのかな……。責任というのを感じたし、責任感を持ってこれからもル・マン24時間に挑戦し続けて、恥ずかしくない戦いをやっていかないといけないなと思います」と結んでくれた。
富士6時間レースに向けて
9月25日~27日の3日間にわたって、FIA 世界耐久選手権 第6戦 富士6時間耐久レースが富士スピードウェイで開催される。ル・マン24時間レースで戦ったハイパーカーやGT3マシンたちが日本にやってくるわけだが、ル・マンを制覇したトヨタレーシングとしては、どのような戦いを本拠地である日本のファンの前で見せてくれるのだろうか。一貴チームディレクター、可夢偉チーム代表に、それぞれメッセージをいただいた。
中嶋一貴チームディレクター
今年のル・マン24時間、またここまでのWECの各戦含めて本当にたくさんの応援を日本のみなさまにいただいていると思い、感謝しています。その上で特にル・マン24時間、今年すごくたくさんのポジティブな応援と反響をいただいたと思っています。
今回のWEC富士は、自分たちの戦いぶりをぜひ日本のみなさんに生で見てもらう機会なので。トヨタレーシングらしい戦い方を見てもらいたいと思っています。今年、クルマをはじめデザインも大きく変わって、そういったところも含めて本当に初めてのホームレースになるので、自分たちも楽しみに、していますし、みなさんにも見にきていただきたいなと思っています。
小林可夢偉チーム代表
ドライバー、チーム、あまり関係なくなるんですけど、ちょっとここ数年、ホームレースの富士で、若干我々苦戦をしていました。待望のアップデートをしたクルマで、どこまでしっかり戦えるクルマに変わったのかっていうところを中心に、ドライバーとしてもチームとしても、強いホームレースをしたいと思っています。しっかりパフォーマンスを最大限に富士で出せるようにと。
これも本当に難しいところで、得意、不得意っていう部分がそれぞれの参加メーカーごとにやっぱりあるものなのですが、我々としては富士で本当に強かったら、かなりクルマとしてはできのよいクルマだと言えるんじゃないのかなと。そういう部分を確かめるためにも、ル・マンは勝ったんですけどもこのWEC富士に対しては挑戦者的な立場で挑みます。
そういう姿を見に来てほしいと思いますし、ル・マンの影響もあってかチケットは売れていると聞いているので。レースというイベントは、僕らが行くから成り立つのではなく、やっぱりファンのみなさまがいらしてこそ成り立つ部分があります。
そういう意味でもレースを見に来ていただきたいし、「見に来て僕らを応援してね」って言いたいところなんですけども、僕の知っている人は結構いろんなメーカーであったり、いろんなドライバーを本当に応援するんですよね(笑)。それが文化を作っていくと思うので、自分の好きなクルマを見つけていただいてもいいし、自分の応援したいドライバーを見つけていただいてもいい。それが応援の醍醐味だと思うんで、僕らとは言わずに、まずレースを見に来て、応援したいなというチームやドライバーを探してもらうのも、個人にはいいのかなと思います。
Photo:中野英幸、編集部






