日下部保雄の悠悠閑閑

メディア対抗ロードスター4時間耐久レース

 9月の第1土曜日は「メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」の日程と決まっている。今年もホリデーオート誌からお誘いを受けて、このレースに臨むことになった。このレースは1989年にNA型ロードスターで始められ、2018年で29回目を迎える伝統あるイベント。ロードスターがモデルチェンジするたびに新型に切り替えられてきた。30台近くある車両はすべてマツダが製作して管理され、イコールコンディションに保たれている。1年間、これだけの為に準備されており、メンテナンスもしっかり行なってくれる。

 レースの主旨はマツダが人馬一体と表現するように、クルマを操る楽しさを多くの人と共有したいというものだ。耐久レースで1回の乗車制限時間があるので、1人のドライバーが長く乗ることはできないし、編集部も必ず入ってドライバーとして、レースの面白さ、ドライビングの面白さを感じることも大きな目的の1つだ。

 しかも、4時間で使用できる燃料は60Lに制限されるので、燃費競争という意味もある。

 いつも上位につけているのだが、最終ラップにガス欠したり散々痛い目に遭っているので、昨年はエンジン回転を抑えて、抜かれても我慢の走りで最後は勝利の女神がわがチームに微笑むはずだった……が、終盤になってもトップグループでガス欠するクルマは少なく、結局6位に甘んじてしまった。

 これは上位陣とは戦略的に違うところがあるはずだというわけで、今回は走り方を変えてみることにした。前回の全日本学生自動車連盟が主催した鈴鹿のエコランレースでの走り方をベースにして、応用してみることにしたのだ。とはいうものの、チームの方針が最優先で、それに沿っての走り方であることに変わりはない。

 燃費レースとは言っても使用できる燃料が限られているだけで、タイム競争で相手よりも先にフィニッシュしなければ上位にもいけない。

 今年は例年以上に心に期するところがあったが、レース前の車検で事件が起こった。エンジンが停止して2度と息を吹き返さなくなったのだ。

 折からの雨でECUがやられたのかもしれない。いろいろと交換してイグニッションを押してもダメだ。メカニックが手を尽くしても復活の気配もない。

 公開練習の時間も迫っており万事休すかと思ったが、なんとスペアカーが用意されており、瞬く間に本番車と交換された。前後のバンパーなども移植され、ドアのゼッケンを除いて本番車と変わらなくなった。しかも、チョイノリしたところ結構調子がよく、心配していたエンジンの慣らし具合なども問題ない。いつもの楽しいロードスターの復活だ。しかしこれが後刻、トラブルの種になるとは思いもよらなかった。

前後のバンパーなどが瞬く間に移植され、手書きのゼッケンを付けた09号車が復活。このときは楽しいロードスターだと思っていたが……

 さて、わがチームのメンバーはホリデーオートの副編集長でレースに燃える加藤君、フェラーリ使いの太田哲也選手、AMG使いの瀬在仁志選手、そしてニュルの王者・木下隆之選手、私の5名である。メンバーとしては結構揃っていると思う。

 予選は赤旗中段で練習走行ができなかった運のない木下選手がアタック。ぶっつけ本場ながら強豪が渦巻く中、7番手タイムはさすがだった。

 監督ミーティングまでにはドライバーの出走順を申告しなければならず、木下選手は5番目、つまり大事なアンカーを務めることになったが、これが今回の彼の運のなさ第2弾だった。

 4時間耐久のスタートは16時。それまでの間にはステージカーではキャラクター劇(知らなかったが、茨城のキャラクターが戦うのが結構面白かった)や同乗走行などがあって来場者を飽きさせない。

 私がドライブする同乗走行の担当は「CX-5」。リアシートには小さなお客さんが乗ってきた。もちろんチャイルドシート付きである。お父さんはレースもやったことあるというモータースポーツ好きなので、この子も大きくなったらいろんなモータースポーツ・フィールドで活躍しているかもしれない、と考えると結構嬉しくなる。

最新のマツダ車に同乗走行できるプログラムもあり、可愛い同乗者との出会いがあった

 さて、16時にスタートした4時間耐久は加藤君がスタートから順調に順位を上げて5位前後を走る。燃費競争でもあるので、熱い中でも静かな戦いが続く。

 ところが、開始から15分ぐらいを経過したところで突然の豪雨がサーキットを水浸しにし、クラッシュするロードスターも出て赤旗中断。

 雨は次第に小降りになるが、赤旗再スタートは17時過ぎから。それまでの走行はチャラになって、すべてやり直しとなる。つまり乗車時間もハンディキャップも適用されるので、この時点で5番手乗車の木下選手が乗るチャンスはなくなってしまった。なぜなら、最大乗車時間は40分でそれ以上のピットストップはロスになってしまい、残り3時間をピットストップなどの必要タイムを考えると4人までとなってしまうからだ。

 再スタート後、加藤君は引き続き第1走者を担当し、ハンディ分の1分(木下選手のプロドライバーハンディである。実際は乗ってないけど……)のピットストップを消化してから、私に引き継がれる。使える燃料は変わらないので燃費は関係なくなった!全開走行である! しかも路面はほぼドライだ。新しいロードスターはご機嫌で、最終コーナーもノーブレーキで行ける。オー!こりゃいいぞ!

 ちょっとギヤオイルの匂いがするのが気なるが、順調に順位を上げて3位になった。よしよしと思った瞬間、いきなりクラッチが滑り出したではないか! 「なんじゃぁ!こりゃ~!!」と絶望感に襲われたのは言うまでもない。

 動揺しながら、高速の最終コーナーの立ち上がりでも滑り出したクラッチをなだめすかしてアクセルをジワリと踏んだり、シフトダウンもブレーキに合わせて丁寧にやったりしてタイムは1秒半ほど落ちてしまい、順位は徐々に下がる。ただ、不思議なことにクラッチの症状は一定していない。滑っているのは変わりがないが、その滑り方が一定しないのだ。

 後で分析してもらうと、トランスミッションのブリーザーから吹いたミッションオイルがクラッチに回ったのではないかということだった。ギヤオイルの不吉な匂いはこれだったのか! スペアカーになった時点でトラブルの種は抱えていたということだ。無念!

 自分のパートを終え、太田選手に引き継いだ際に新しく変わったシートベルトがうまく装着できず、ここでも無用のタイムロスをした。大田→アンカー瀬在でもベルトの装着がうまくいかなかったので、チームとして練習しておかなかったつけが回ったのだ。

 ここでもタイムロスを生じてしまったが、太田選手からウェットレースになった中、瀬在選手が雨の走行ラインを見つけたのか鬼神の追い上げを見せたものの、9位でレースを終えた。

 クラッチがすべてだったとはいえ接触などもあり、シートベルトの細かいミスが重なった結果で反省することも多い。せっかくの全開レースだったのに口惜しいゾ~。

まだ元気だったころの09号車。来年こそは……!

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。