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鈴鹿サーキットの若手レーサー育成機関「SRS-Kart/Formula」新体制発表会。Principalに佐藤琢磨選手が就任

レッドブルとも協力してF1で勝てる日本人ドライバー育成を加速

2018年11月7日 開催

鈴鹿サーキットの若手レーサー育成機関「SRS-Kart/Formula」のPrincipalに就任した佐藤琢磨選手

 鈴鹿サーキットを運営するモビリティランドと本田技研工業は11月7日、東京 青山にある「ホンダウエルカムプラザ青山」で共同記者会見を行ない、鈴鹿サーキットの若手レーサー育成機関「SRS-Kart」(通称SRS-K、カートを利用)、「SRS-Formula」(同SRS-F、フォーミュラカーを利用)」の新体制を発表した。

 これまで両機関の校長を務めてきた日本人初のフルタイムF1ドライバーの中嶋悟氏が勇退し、校長に代わる新しい代表職としてPrincipal(英語で代表の意味)が置かれることになり、その新Principalに日本人初のインディ500ウィナーの佐藤琢磨選手が就任することが発表された。

 そして、副代表に相当するVice Principalには1997年にプロスト・グランプリ、1998年にミナルディからF1に参戦した元F1ドライバーの中野信治選手が就任することも併せて明らかにされた。

 また、F2などのF1に繋がるフォーミュラの参戦体制について、本田技研工業 モータースポーツ部 部長 山本雅史氏は「思い切った体制にしようと考えている」と述べ、再来年に日本人ドライバーがF1のスーパーライセンスを獲得してF1に昇格するために、これまでとは違った新しい考え方で臨んでいくことを示唆した。

未来を見据えて佐藤琢磨選手をPrincipalに、中野信治選手をVice Principalに任命

本田技研工業株式会社 モータースポーツ部 部長 山本雅史氏

 記者会見の冒頭では、本田技研工業 モータースポーツ部 部長 山本雅史氏が、今年のホンダのモータースポーツの総括と今回の新しい取り組みに関して説明した。

 山本氏は「今年のF1はスクーデリア・トロロッソと組んでいい雰囲気で、開発も進んできて、来期に向けて頑張っており、今週末のブラジルと月末のアブダビの2戦を残すのみとなっている。来年はレッドブルとも組むので飛躍の年にしていきたい。また、スーパーフォーミュラは鈴鹿の最終戦で山本尚貴選手が、ホンダにとって2013年以来のシリーズチャンピオンを獲得した、皆さまのご支援の賜だと考えている。さらに今週末もSUPER GTではどうしてもダブルタイトルが欲しいと研究所とも一緒になって努力を続けている」と述べ、スーパーフォーミュラはタイトル獲得、そしてF1はトロロッソと組んで着実に開発した年になったと説明した。

 その上で山本氏は「ホンダでは技術の向上などに取り組んでいるが、技術だけでなく、若者の応援をする。今シーズンは、F2、F3、F4に若手を投入して、現場での勉強をしている。インディ500ウィナーの佐藤琢磨選手も、今年のスーパーフォーミュラ王者の山本尚貴選手もSRSが輩出したドライバーであり、今後も世界に羽ばたいてくれる若手ドライバーを輩出するために、SRSをアップデートしていく」と述べ、これまで校長を務めてきた日本人初のフルタイムF1ドライバーである中嶋悟氏の校長勇退と、昨年のインディ500ウィナーである佐藤琢磨選手を新設するPrincipal(英語で代表の意味)に任命し、そして1997年(プロスト・グランプリ)と1998年(ミナルディ)にF1に参戦し、その後インディ500、ル・マン24時間レースに参戦して日本人としては初めて世界三大レースに参戦した中野信治選手をVice Principal(英語で副代表の意味)に任命したことを発表した。

株式会社モビリティランド 代表取締役社長 山下晋氏

 続いて、モビリティランド 代表取締役社長 山下晋氏が「すでにSRSの卒業生は500名を超えており、ある程度の成功を収めた。だが、世界ではさまざまな変化が起きており、レッドブルやメルセデスの育成プログラムがいい例だが、子供のころから訓練されて、18~19でトップレベルに成長するという例が出てきている。われわれも頑張ってきたが、まだ他にやれることがあるのではないか」とコメント。新しい時代への対応が必要だと述べ、それに対応するために現役ドライバーのベテランである佐藤琢磨選手や中野信治選手にPrincipalのポジションをお願いしたと説明した。

佐藤琢磨選手がSRS時代の思い出を交え、Principal就任の抱負を語る

佐藤琢磨選手

 次いで、佐藤琢磨選手がSRS時代からの経験や思い出などを語り、SRS Principalの活動について説明した。

 鈴鹿サーキットのSRSのプログラムは、1993年にはSRS-Kが、1995年にSRS-Fが相次いで開始されており、佐藤琢磨選手はそのSRS-Fの第3期生(1997年)の出身。その後全日本F3選手権を経てイギリスのジュニアフォーミュラ、そしてイギリスF3選手権へとステップアップし、2001年に日本人としては初めて(そして今のところ最後の)イギリスF3チャンピオンになり、2002年にF1へとステップアップしていった。そしてその後は、2010年からインディカーシリーズに参戦を開始し、2017年のインディ500で日本人として初優勝したというのはよく知られているストーリーだ。以下は佐藤選手のコメントになる。

佐藤琢磨選手のコメント:自分はSRS-Fの第3期生で、ここからレース人生が始まっている。自分の夢をもらった場所が鈴鹿サーキットである。1987年に10歳でF1を鈴鹿で見て、レーサーになると決めた。だが、自分の両親はレースとは関わっていなかったので、F1の衝撃を受けてから10年間、レースの世界に足を踏み入れられなかった。自転車が挑戦する唯一の道具だったが、SRSの存在を大学1年の時に知ったのが転機になった。

 大きな資金がなくてもレースをステップアップしていけるスクールの定義は大変素晴らしかったのだが、第1期、第2期のころはまだ誰も知らない状態で、定員も満たなかったと聞いている。そこに第1期の卒業生である山西康司選手が彗星のように現われて、1996年の全日本F3選手権でチャンピオンを争う大活躍をしたことで、1996年末に募集された第3期は大人気になった。それで、金石年弘選手、松田次生選手のような、すでにカートで有名な存在だったドライバーを含めて70名も入校説明会に集まった。ところが自分はカートをやっていなかったので、実績もなく、説明会で70名からその年に募集していた7名にどうやって絞るのかと聞くと、履歴書での「書類審査」だと言われた。いったんはそこで引き下がったが、自分の履歴書は1行で、しかも他はみんな10代なのに自分は基準スレスレの20歳と、このままでは100%落ちると思った。そこで、もう1度自分は今までのレース経験はないけど、やりたいのでチャンスが欲しいと嘆願したら、協議してくれて希望者は面接を行なってもらうことになった。それを決めてくれた人が自分にとって恩人に当たる人だが、想いの丈を伝えたところ、経験がないのにただ1人入校させてもらえた。

 そうして、SRS-Fに入校したら100時間という走行枠が用意されており、全日本F3に換算すると実に2シーズン分たっぷり走り込むことができた。その後、自分としては挑戦を続け、多くの人の協力で新しい道を切り開いてきた。

 それから25年やってきて、SRSに対して僕自身も何かしたいとホンダさんと相談してきた。間接的に選手と話をしたり、エキシビションレースに出たりなどはしてきたが、これまでは実現できていなかったことにも取り組んで行きたい。25年間という歴史、500名の卒業生がいて、世界を戦えるドライバーが何人もいるまでに成長したという歴史を中嶋校長から引き継いで、さらに発展させていきたい。そして、自分も40になって、次の時代も気になっていたので、ホンダの皆さんと話していたところ急激に決まっていった。まさか自分がPrincipalになるとは思っていなかったが、中嶋悟校長から引き継げるのは嬉しい。

 ただ、インディカーシリーズは北米で開催されており、春から秋は顔を出せないので、僕の代わりにホンダの想いを伝えてくれる存在として、中野信治選手をVice Principalにして現役ドライバー2トップでやろうと考えた。F1を目指してイギリスに渡っている中で、共通の知人を介して、当時は雲の上の存在であるF1ドライバーの中野信治さんと知り合い、その背中を見ながら信治さんの軌跡を追うような形でF1に上がり、その後北米に渡った。まだ自分はル・マンには出たことがないが、ル・マン24時間にも参戦した経験をお持ちの信治さんは後進の育成にも力を入れていただいており、一緒に若手ドライバーに何かを伝えていきたい。

中野信治選手

 そして先ほど山本部長からもお話しがあったとおり、山本尚貴選手が、今年のスーパーフォーミュラでチャンピオンを獲得した。その山本選手もSRSの卒業生だし、自分が生徒だったときも、当時はフォーミュラニッポンに出ていた高木虎之助さん、脇坂寿一さん、そして山西選手といった元気ドライバーが一緒に走った。その豪華な講師陣もSRSの魅力の1つ。また、本来レースは結果がすべてで、レースの週末は可能な限り挑戦する。しかし、スクールのいいところは失敗することができて、挑戦ができること。それで何かを学ぶことができる。結果は残らなくても、学生の特権として、自分も何度も叱られたけど、そのたびによりいいレーサーになろうと心に誓ってやってきた。

 自分はドライバーは求心力を持っている必要があると考えている。こいつ伸びるかもしれないという魅力的な人だと思われる人間力が大事。そうなれば、どのチームに在籍していても、パフォーマンスが発揮できるようにする。その経験を講師陣が生徒に伝えていくことで、世界で戦えるドライバーを育てたい。そういう自覚を持ったドライバーをサポートしていきたい。

 すでに直近でF1に直結するドライバーもいるが、次の世代、次の次の世代も育成していく必要がある。日本では16歳から限定ライセンスでフォーミュラカーに乗れる。どんなことができるのか楽しみで、大役を中嶋校長から引き継いだので頑張っていきたい。

ホンダのジュニアフォーミュラの体制は「思い切ったラインアップ」へとてこ入れを山本部長が示唆

山本モータースポーツ部長

 記者会見の終了後には質疑応答が行なわれ、F1直下のカテゴリーであるF2での育成ドライバーの活躍や、レッドブル側が必要としている日本人ドライバーの条件などについて質問が出た。

 ホンダの山本氏は「レッドブル側のドライバー育成の責任者であるヘルムート・マルコ博士と話しているのは、表彰台、それも真ん中に乗れる日本人ドライバーを育成していきたいという話をしている。レッドブルも独自のジュニア・ドライバー・プログラムを持っており、そのカリキュラムに日本の若手をすでに送り込んでいる。レッドブルとトロロッソで4席もシートがあるのだから、世界で戦える、世界で本当にトップに立てるドライバーをレッドブルとともに育成していきたい」と述べ、レッドブルとも協力してF1で勝てる日本人ドライバーの育成を加速していくと説明した。

 また、今年日本人ドライバーとしてF2に牧野任祐選手、福住仁嶺選手の2人が参戦し、牧野選手がイタリアラウンドの第1レースで優勝する結果を出した(日本人ドライバーがF2、その前身となるGP2の第1レースで勝ったのはこれが初めて)が、F1に昇格するために必要なスーパーライセンスを得るほどランキング上位にはなれなかったことについても質問が出た。

 山本氏は「彼らはスーパーライセンスを獲得するという課題があったが、今年のF2は車両も替わりエンジンの性能も安定せず、そのためにレースがローリングスタートになるなど混乱があって、それに大きく影響を受けた。私も今年それを見ていて学んだことの1つとして、強いチーム弱いチームに分かれてしまったが、それでもレースの週末の過ごし方を、F1チームの幹部たちはよく見ている。調子がよくないマシンでもどんな結果にもっていくか、それを見ている。来年に関しては、今の時点では最終的に決定していないが思い切ったラインアップにしようと調整している。世界で表彰台の真ん中に上れる可能性を極めていきたい。来年を楽しみにしていてほしい」と述べた。

 普通であれば今年走った2人が継続と考えるのが妥当な線だが、それを超えた「思い切ったラインアップ」にするとのことなので、第3の若手ドライバーが出てくるのか、それは現時点では分からないが、少なくとも今年の2人が継続する以上の何かが計画されていると考えてよさそうで、再来年のF1昇格に向けてホンダもジュニアドライバー育成にさらに力を入れることは間違いなさそうだ。

左から本田技研工業株式会社 モータースポーツ部 部長 山本雅史氏、佐藤琢磨選手、中野信治選手、株式会社モビリティランド 代表取締役 社長 山下晋氏