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室屋義秀選手、レッドブル・エアレース参戦の11年を振り返る

「負けたことは今後飛び続けるための極めて強いモチベーション」

2019年9月10日 開催

室屋義秀選手が11年間のエアレース活動を振り返った

 レッドブル・エアレースは先日開催された千葉大会で14シーズンの歴史に幕を閉じた。室屋義秀選手は、エアレースに2009年から日本人として唯一参戦し、2017年に年間シリーズチャンピオンを獲得。最終戦となった千葉大会では奇跡の大逆転優勝を遂げ、有終の美を飾った。千葉大会の翌週となる9月10日に報告会が行なわれ、室屋選手が2009年からの11年間のエアレース活動を振り返った。

 会場のスクリーンに室屋選手のエアレースの成績をグラフ化したイメージ図が表示され、成績にはアップダウンがあるものの、平均的には右肩上がりで推移し、最終年となった2019年シーズンは4戦3勝、勝率75%と圧倒的な強さを見せるまで上昇した。

 エアレース参戦からの11年を、参戦初期の2009年~2010年、エアレースが中断した2011年~2013年、再開後の2014年~2015年、チャンピオンを獲得した2017年を含む2016年~2019年の4つのセクションに分け、室屋選手がエアレースと向き合った11年が語られた。

エアレースの成績をグラフ化。11年間の活動が4つの時間軸に分けられた

2009年~2010年:エアレースに参戦

 2008年まで室屋選手はアクロバット飛行に参戦していたが、2009年に日本人初、アジア人初のエアレースパイロットとなる。だが、待ち受けていたのは平坦な道のりではなかった。

2009年:年間順位 14位、最高位 6位
2010年:年間順位 12位、最高位 12位

最初のセクションでは2009年~2010年にフォーカス
エアレース参戦当時を振り返る室屋選手
室屋選手のコメント

 2003年にレッドブル・エアレースが始まったころ、アクロバット飛行の最高峰であるアンリミテッドのトップ選手がエアレースに参戦していて、当時はTVでメジャーリーグを指をくわえて見ている感じで、「凄いなあ~」という印象でした。

 アクロバット飛行で操縦技術を磨き、2009年からエアレースに参戦できることになり、2008年に10か月間、スペインでマット・ホールらと一緒にトレーニングキャンプして、2008年10月にスーパーライセンスの試験を受けました。

 2009年、最初の1~2戦はコースを飛び切るのが目標。勝つとか勝たないじゃなく、コースをどうやって飛ぶのか、という感じでした。でも日本人初、アジア初のエアレース参戦だったので、まわりからは「優勝できますか?」と聞かれたりして、その期待に引きずられてまわりに飲み込まれていきました。まわりからの期待に応えようと、自分の限界点に上乗せして、実力を含め、準備も含め、過大な目標を掲げていたと思います。

2009年のフライトの様子 (c)AP Images/Red Bull Content Pool
2009年の室屋選手 (c)aniel Grund/Red Bull Content Pool

 2010年は第4戦のウィンザー(カナダ)で機体を壊し、次戦のニューヨーク(USA)では用意した別の機体を壊し、カナダで壊した機体は並行してドイツに送って修理して次のドイツに参戦と大変な時期で、このままじゃ危ないなあという感じでした。

 このころ、ハンネス(ハンネス・アルヒ選手:2008年チャンピオン、2016年にヘリコプター事故で他界)が機体を貸してくれたりメンタル的にも助けてくれたりして、その後もハンネスから大きな影響を受けました。

 振り返ると、2009年~2010年はエアレースで上位にいきたいと思っていても、何をしたらいいかよく分かっていなかった。デビューが決まった段階では頂点に近いところに来たと思いましたが、そこで優勝する人と下位にいる人では天と地の差があることが分かり始めた時期でした。

2010年シーズンの室屋選手 (c)Getty Images / Red Bull Content Pool

2011年~2013年:エアレースの休止と東日本大震災

 2010年に2011年からエアレースが休止されることが発表された。そして2011年3月、東日本大震災が発生。室屋選手が活動の拠点とする「ふくしまスカイパーク」の滑走路も被害を受けた。

2つ目のセクションでは2011年~2013年にフォーカス
ステージに左側にはチャンピオントロフィや千葉大会の優勝トロフィが飾られた
室屋選手のコメント

 エアレースのルールの変更などもあり、2011年からエアレースが休止になりました、休止なので再開するはずですが、それがいつになるかは分かりませんでした。「さぁどうしよう」と思っていたら東日本大震災があり、このままでは生活も成り立たないし、飛行機のスポーツは続けられないかなあと感じていました。

 2008年までと同様に、アクロバット飛行の世界選手権に挑むのもいいのですが、そのためのトレーニングがキツいのも分かっていました。参戦したいけどキツいのは嫌だなという自分の弱いところもあって、大震災がやらない理由になるかなあと思ったりもしました。でも、そのときに福島の人が「こんな時期だから行きなさい」と背中を押してくれて、「じゃぁやろう」と気を取り直したんです。

 アクロバット飛行の最高峰、アンリミテッドクラスに参戦。勝てる体制ではなかったけれど、まさか予選落ちするとは思いませんでした。予選落ちした瞬間は「やめようか」と思いましたが、操縦技術が足りないのは確かだったので、アンリミテッドの下のアドバンスクラスで基礎から丁寧に丁寧にやり直してみようと思ったのが2012年でした。

 操縦技術と並行してメンタルの向上もありました。2010年にエアレースで苦戦していたころ、ハンネスのアドバイスでメンタルトレーニングを始めました。それまでは気合いと根性でいけると思っていましたが、実際にはいけない壁があって、メンタルの力を研究し始めて、2012年くらいに形になり始めたと思います。

 2013年に2014年からエアレースが再開するとアナウンスがあり、パイロットが集合してライセンスの発給のトレーニングキャンプをやって、いよいよ始まるって感じになりました。

エアレース休止中はアクロバット飛行に参戦 (c)Rutger Pauw / Red Bull Content Pool
エアショーに参加した室屋選手のフライト (c)Taro Imahara/Red Bull Content Pool

2014年~2015年:エアレース再開。日本での開催も決定

 2014年、3年の空白を経てエアレースが再開された。室屋選手は技術面でもメンタル面でも着実に進化し、初表彰台を獲得する。2014年11月に会見が行なわれ、翌2015年から日本でエアレースが開催されることが発表された。2015年は2度表彰台に立つなど大きな前進を見せた。

2014年:年間順位 9位、最高位 3位
2015年:年間順位 6位、最高位 3位(2回)

3つ目のセクションでは2014年~2015年にフォーカス
エアレース再開後について語る室屋選手
室屋選手のコメント

 2014年は開幕からよい感触がありました。トレーニングによって技術面も向上し、以前のように苦戦することもなく飛べて、ベストタイムの狙えるようになりました。第2戦で初めて表彰台に立つこともできました。この2014年に2017年のチャンピオン獲得をターゲットとし、早々に新しい機体を発注しています。2014年には2015年から日本でエアレースが開催されることが決まりました。

オーストリア レッドブルリンクでフライトする室屋選手 (c)Samo Vidic/Red Bull Content Pool
2014年第2戦、クロアチアで室屋選手(右)は初表彰台を獲得。1位はハンネス・アルヒ選手(中央)、2位はポール・ボノム選手(左) (c)Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool
2014年11月、2015年から千葉でエアレースが開催されることが発表された。左から千葉市長の熊谷俊人氏、レッドブル・エアレース ゼネラル・マネージャーのエリック・ウルフ氏、室屋選手 (c)Naoyuki Shibata/Red Bull Content Pool

 2014年に発注した機体が2015年に納入され、勝つための材料が揃ったと思いました。2015年は新しい機体で速くなりオーバーGがあったりして、それに対応した新しいテクニックを身につけ、さらに2015年の後半には2016年に向けてウイングレット(翼の先端の形状)を作り、機体も進化しました。

ハンガリー大会でフライトする室屋選手 (c)Samo Vidic/Red Bull Content Pool
2015年シーズンの室屋選手 (c)Balazs Gardi/Red Bull Content Pool
2015年は2回表彰台を獲得した。左からマット・ホール選手、ポール・ボノム選手選手、室屋選手 (c)Balazs Gardi/Red Bull Content Pool

2016年~2019年:年間チャンピオンを獲得

 2016年の強力な武器となるはずだったウイングレットは使用が差し止められた。それでも2016年は千葉大会で初優勝。2017年は第2戦のアメリカ大会、第3戦の千葉大会で優勝するが、第5戦のロシアで13位に沈んでチャンピオン争いから後退。第7戦のドイツ大会、最終戦となる第8戦のアメリカ大会で優勝し、逆転で年間チャンピオンを獲得した。

4つ目のセクションでは2016年~2019年にフォーカス
チャンピオン獲得への道のりを語る室屋選手

 2018年は開幕戦を2位発進するが徐々に成績を落とし、終盤で復調の兆しを見せるも年間成績は5位。2019年は開幕戦、第2戦を連勝し、最終戦となる千葉大会も優勝して4戦3勝の成績を残すが、年間チャンピオン争いは1ポイント差で2位となった。

2016年:年間順位 6位、最高位 1位(1回)
2017年:年間順位 1位、最高位 1位(4回)
2018年:年間順位 5位、最高位 2位(2回)
2019年:年間順位 2位、最高位 1位(3回)

室屋選手のコメント

 2016年は勝てる材料のウイングレットが封じられ、3位くらいを狙ったシーズンでした。2017年は予定どおりチャンピオンを狙ってシーズンイン。第2戦のアメリカで勝って、第3戦の千葉も勝てて序盤はよい感じだったのですが、第5戦のカザン(ロシア)で沈み、続く第6戦のポルトガルでは機体のトラブルで出場はほぼ不可能な状況でした。それでも最後のプラクティスの直前に機体を直せて、決勝では6位でポイントを獲得できました。

2016年の千葉大会の室屋選手のフライト (c)Armin Walcher / Red Bull Content Pool
フライト中の室屋選手 (c)Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool
2016年の千葉大会で初優勝 (c)Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

 2017年はバーチカル・ターンの研究をしていて、バーチカル・ターンの今までのセオリーが違っていたことを見つけた年でした。ポルトガルから次戦のドイツの間に500回くらいバーチカル・ターンの練習をして、「今日はトータル1000G(10Gのターン×100回)くらい飛んだね」とボロボロになるくらいトレーニングをしたおかげで、第7戦のドイツ、最終戦のインディアナポリスと連勝できました。インディアナポリスで優勝して、年間チャンピオンを獲得できた瞬間は、特別な人にしか許されないものだと思い、ありがたく感じました。

2017年の最終戦。チャンピオンを獲得した室屋選手のフライト (c)Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool
2017年の室屋選手 (c)Joerg Mitter / Red Bull Content Pool
年間チャンピオンに輝いた室屋選手 (c)Predrag Vuckovic/Red Bull Content Pool

 2018年はディフェンディング・チャンピオンとして迎えたのですが、チャンピオンを獲得したことで環境の変化もあり、色々なものの流れがコントロールできなくなりました。それでも前半は何とか持ちこたえていたのですが、中盤戦から崩れ、千葉ではオーバーGで負けました。色々な失敗を経て、2018年の後半からチームが落ち着き、再び表彰台に戻れることができました。

2018年は開幕戦で2位となるが、その後失速した (c)Andreas Langreiter / Red Bull Content Pool
2018年の室屋選手 (c)Balazs Gardi/Red Bull Content Pool
2018年開幕戦の表彰式。左から室屋選手、マイケル・グーリアン選手、マルティン・ソンカ選手 (c)Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

 2019年は4戦して3勝。1ポイント差でチャンピオンを逃しましたが、負けたことは今後飛び続けるための極めて強いモチベーションになっていますし、勝つと僕はダメになっちゃうので、負けてよかったかなと思っています。

2019年千葉大会。大逆転優勝を遂げた室屋選手のフライト
優勝インタビューを受ける室屋選手
2019年、エアレース最終戦で優勝した室屋選手(中央) (c)Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

 11年間、毎戦毎戦の積み重ねが全体を押し上げてきたと思います。レース結果に一喜一憂するんですけど、そこに長く翻弄されることなく、僕らは行き先を見失わないで進んでこられたのでトップが取れたと思っています。

 2009年の自分と今の自分が戦ったら100戦100勝だと思います。2009年にはトップの人とそれほどの差があると気付いていなかったので、ちょっとラッキーがあったら勝てるかな、いい飛行機さえあれば勝てかな、と思っていました。チーム、機体はもちろん、技術的なもの、自分のもののとらえ方、考え方、準備の仕方を学んで、向かう道が明確に描けるようになりました。それに向かって長い時間努力ができるようになって、アップダウンがあってもそれを波のように捉えられるようになり、翻弄されずに自分の舵取りができるようになったことで、結果として人生が楽になり楽しめるようになりました。

 2003年にレッドブルがエアレースを始めて、われわれパイロットに翼を与えてくれた(Red Bull Gives You Wings=翼をさずける)ことに感謝しています。エアレースの11年は人生の中の一部で、このセクターは終わるけれど人生が終わるわけではないので、これからもまだまだフライト活動は続けていきます。自分はパイロット以外はできないので、パイロットとしてこれからもチャレンジしていきます。

会場に飾られた千葉大会の優勝トロフィと、2017年のチャンピオンのトロフィ