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モリゾウ選手ことトヨタ自動車 豊田章男社長とTGR WRCチーム ラトバラ代表がダートコースで対決
2022年11月18日 11:25
ラトバラ代表 vs. モリゾウ選手の第2戦が蒲郡のKIZUNAで開かれる
日本でWRCラリージャパンが12年ぶりに開催され、無事ゴールを迎えた翌日となる11月14日、愛知県蒲郡市のトヨタグループ蒲郡研修所「KIZUNA」内にあるダートコースでもう一つの戦いが始まっていた。
トヨタ自動車 代表取締役 豊田章男社長は、マスタードライバーとしてトヨタ車の走りの味を決めているほか、モリゾウ選手としてラリーやサーキットレースに参戦するほどの運転好きというのはよく知られた話。この日、豊田章男社長は2022年シーズンにおけるWRC(世界ラリー選手権)のドライバーチャンピオン、コドライバーチャンピオン、マニュファクチャラーチャンピオンの3冠を獲得したTOYOTA GAZOO Racing World Rally Teamの面々をKIZUNAに招待。シーズンエンドの記念写真やチームとの歓談を行なっていた。
訪れていたのは、ヤリ-マティ・ラトバラ代表、エルフィン・エバンス選手、スコット・マーティン選手、カッレ・ロバンペラ選手、ヨンネ・ハルットゥネン選手、セバスチャン・オジェ選手、バンサン・ランデ選手、勝田貴元選手、アーロン・ジョンストン選手のWRCチームと、スーパー耐久でルーキーレーシングから参戦し、水素カローラのドライバーや86の開発ドライバーを務めている佐々木雅弘選手。いずれもトップクラスの選手で、豪華なメンバーであることは間違いない。
豊田章男社長は、トヨタ自動車社長としての側面もあるが、ルーキーレーシングのオーナー兼ドライバーでもあり、GAZOO Racingのドライバーとして走るときもある。最近分かった見分け方としては、黒縁のめがねをかけているときが豊田章男氏で、スポーツタイプのアイウェアをしているときがモリゾウ選手。ルーキーかGAZOOかはレーシングスーツで判断すればよい。この日は、スポーツタイプのアイウェアに、ベルギーのラリーで走ったWRC仕様のレーシングスーツ。つまり、WRC仕様のモリゾウ選手として、世界を戦った選手たちをもてなしていたわけだ。
そんなモリゾウ選手だが、この日は対決の日でもあるという。実は、ヤリ-マティ・ラトバラ代表とモリゾウ選手はタイムを競うシリーズ戦を行なっており、第1戦は5月の富士24時間で実施。そのときは、予選タイムはモリゾウ選手がラトバラ代表に勝ち、レースタイムはラトバラ代表がモリゾウ選手に勝ち(ラトバラ代表は、もちろんWRCの名選手)、1勝1敗となっていた。
今回、モリゾウ選手は世界的選手に勝つための手段を考えた。第2戦をラリージャパンの翌日である月曜日に設定。さらにGAZOO Racing WRTとしての共同記者会見を月曜日午前中に組み込み、勝負レースを午後に実施。コースはモリゾウ選手が勝手知ったるKIZUNAのダートコースとし、コースレイアウトはスーパー耐久でチームメイトの佐々木選手がプランニング。佐々木選手によって、モリゾウ選手の走りのよさが出るよう、そしてWRCドライバーが悩むような工夫が行なわれていたと思われる。
要は、モリゾウ選手はその知略の限りをつくして、ダートでラトバラ代表やWRCドライバーに勝つための準備、つまり段取りを整えていた。
知略の限りをつくして勝利を目指すモリゾウ選手&佐々木選手
チームとしての記念撮影を終えた後、早速ダートコースでの戦いが始まった。コース設定をした佐々木選手による説明で、佐々木選手とモリゾウ選手は1人乗りで、WRCドライバーたちには重量面で不利となるようにコドライバーとのペアが必須というルールが語られる。不利となるが、そこは世界のWRCドライバー、ダートでのレースとあってかこのルールはすんなり受け入れられた。
有利不利はそのくらいで、まずはコースのレイアウト紹介を兼ねた1周の同乗走行が始まった。佐々木選手に聞いたところ、1周しかしないことでコースを記憶させず、タイムアップを阻む狙いがあったという。ところがここで計算違いが起こる。確かにWRCドライバーたちはコース紹介車(レッキ車とでもいえばよいですかね)に乗り込んだが、コドライバーはKIZUNAダートコースのゲストハウス横にあるタワーに上り、コースの確認を始めた。つまり、ウェイト代わりに乗ってもらうつもりだったコドライバーが最高の、それも世界最高レベルのガイド役として乗ることになってしまったのだ。
見るとレッキ車に乗り込んだドライバーはスマホでコースをインカー撮影し、コドライバーはタワーからレッキ車を上から撮影。戻ったドライバーとコドラは互いの映像を突き合わせるなど、超ホンキモードでコース学習を始めていた。
「モータースポーツを通じてクルマを鍛える」が目の前に
やや策に溺れた感があるモリゾウ選手と佐々木選手は、残念な様子かと思いきや2人で楽しそうに会話をしている。「やっぱ世界トップはすごいよね~」「本気度がすごいね」と。不利な状況を超高速で改善していく、世界トップの打ち合わせを見られるのは確かに貴重な機会だ。
コドラを載せることが不利だか有利だか分からない状況で勝負は始まった。使用する車種は1本目がラリチャレでモリゾウ選手が使用しているGRヤリス モリゾウ号で、2本目が以前モリゾウ選手が使用していた86のモリゾウ2号。車種を変えつつ2本走った合計タイムで勝敗が決まる。佐々木選手によると、「世界のトップドライバーが同じクルマで2本走ったら絶対負ける。そこで、1本ずつクルマを変えている」とのこと。勝つために知略の限りをつくすのは、どちらも同じようだ。
トップバッターはラリージャパンで3位表彰台を獲得した勝田選手とジョンストン選手のペア。最も調子のよいペアかもしれない。勝田選手はスタート位置に着くと思いきや、いきなりコース外走行でドリフトをしまくる。おそらくラリチャレGRヤリスの特性をつかむためと、タイヤを温めるためもあるのだろう。このスタート前のアクションには、全員から「ペナルティ、ペナルティ」の大合唱。面白すぎる。
勝田選手、エバンス選手、ラトバラ代表、佐々木選手らが走り、いよいよモリゾウ選手の順に。チーム一同見守っていたが、ここでモリゾウ選手は前半素晴らしい走りを見せる。モリゾウ選手の走行は大胆というより緻密。小回りの箇所で速度を落とさずスムーズに走り抜けていく。さすが愛車だけあって、得意不得意を知り抜いているようだ。
これはすごいタイムが記録されるかと思ったとき、GRヤリスのモリゾウ号は失速。コースの途中で止まってしまった。すぐに今回のメカニックを務める齋藤主査が駆け寄った。
実はこれ、WRCドライバーの踏力が強すぎてクラッチペダルが曲がってしまったとのこと。クラッチが奥まで入って戻ってこなくなってしまったという。齋藤主査は早速ピットにGRヤリスを持って行きメンテナンス。どこをどう直したのか確認し忘れてしまったが、GRヤリスは復活した。「レース現場で鍛える」を目の前で見ることができたし、修復時間の短さは驚くべきものだった。
短時間で直ったGRヤリスは、モリゾウ選手は一休みして世界チャンピオンのロバンペラ選手の手に。ロバンペラ選手はモリゾウ選手と佐々木選手の仕掛けにはまったのか、初見のコースを走るのに苦労していた感じだった。
そして、再びモリゾウ選手へ。小回りコーナーのドライビングのうまさがモリゾウ選手の特徴だ。ただ、1本目のほうが勢いがあったかもという印象を受けた。しっかり走りをまとめ上げてゴールイン。
全ドライバーが走ったところで、前半のタイム発表会を実施。このイベントでは1本ごとにタイムが明かされず、前半戦、後半戦とまとめて発表される。この方式により、タイム発表会は大いに盛り上がっていた。
肝心のタイムはというと、ラトバラ代表がトップ。2位はエバンス選手で、3位はなんとモリゾウ選手。WRCドライバーやコースレイアウターの佐々木選手よりも速いタイムを記録した。これにはモリゾウ選手も大よろこび。ただ、直接対決もかかっているラトバラ代表はもっとよろこぶ。全身でうれしさを爆発させていた。モリゾウ選手の幻の1本目は……と思うが、レースにたらればは禁物。WRCドライバーに不利と思われる86を使った後半戦に移っていった。
運命の後半戦、ラトバラ代表の泣きの1本
後半戦は、モリゾウ選手がラリチャレで以前使っていた86を使用。いわゆるモリゾウ2号車だ。FRの2号車による対決は、モリゾウ選手&佐々木選手の思惑どおり、WRCドライバーは苦労していた人と、華麗に走らせていた人に別れた。苦労をしていたのがラトバラ代表で、2度のパイロンタッチで、+4秒のペナルティをもらっていた。
華麗に走らせていたのが、ロバンペラ選手、エバンス選手、勝田選手。ちなみに後半戦で使用した86も、ダートでの連続走行で石が引っかかってしまいリタイア。最終的には赤い86、いわゆるモリゾウ1号まで対決に引っ張り出されていた。
モリゾウ選手によると、自分で走っているときはこのようになることはないとのこと。WRCトップのドライバーによる連続負荷が、86に強大な負荷を与えているのだろう。「レース現場で鍛える」を2度も見られ、さらにすぐに直ったり、すぐに別のクルマが出てきたりと、自動車会社の対応力に驚いた。
さて、モリゾウ選手のタイムはというと、なんと華麗に走った勝田選手とまったく同じ1分22秒00。コドライバーが乗っていないとはいえ、WRCで3位表彰台を獲得した勝田選手と同じタイムをモリゾウ選手は記録した。
前半、後半のタイムを合計しての優勝は佐々木選手。とくに後半のFRのタイムはほかと比べて速く、86の開発ドライバーとしての腕が光った。そして2位は、前半、後半をまとめ上げたエバンス選手。エバンス選手ならではの高いレベルでの安定した走りが記録につながった。
そして、3位はモリゾウ選手。前半もトップグループ、後半はミドルグループにつけ、世界チャンピオンを抑えて表彰台へ。モリゾウ選手は「ポディウム」と叫んで大よろこび。前半戦のラトバラ代表もそうだが、スポーツ選手がよろこぶときにしっかりよろこぶのは見ていて気持ちいい。
合計タイムの最下位はパイロンタッチペナルティもあってラトバラ代表に。ラトバラ代表は子供のようにくやしがり、最後にはもう1本走らせてくれというジェスチャーに。いわゆる「泣きの1本」というやつだ。
モリゾウ選手はどうするのかなと思ってみていたら、この泣きの1本を受け入れた。ただし、その泣きの1本には自分がコドラで乗るという。自分が横に乗ることで、ラトバラ代表に納得できる1本を走ってもらい、その結果をお互い受け入れるということだろう。そのラスト1本は、1分23秒8とモリゾウ選手の1分22秒00から遅れることに。ここに至って、ラトバラ代表は敗北を受け入れた。モリゾウ選手の見事な説得術を垣間見た思いだ。
これで3戦の勝負は、引き分けの富士24時間に加えてモリゾウ選手が一歩リード。モリゾウ選手によると次の戦いはチームの本拠地であるフィンランドになるという。第2戦はモリゾウ選手のホームでの戦いのため優位に進めたが、第3戦となるフィンランドはラトバラ代表の本拠地のため、今度はラトバラ代表が知謀の限りをつくすことになるかもしれない。
とはいえ、2人乗り対1人乗りというウェイト差はあるものの、WRCドライバーを上回るモリゾウ選手のタイムは驚異的だ。佐々木選手に同じタイムを出した勝田選手との走りの違いを聞いてみたが、やはりモリゾウ選手の小回りのうまさを挙げていた。
対決が終わった後は、みなで楽しく懇親会。その懇親会では先ほどの対決のビデオが編集されて上映され、とくにラトバラ代表の反応に全員大爆笑。結婚式の二次会のような華やかさ、楽しさで満ちていた。
モリゾウ選手はチームに対して3つの世界チャンピオン獲得のお礼を述べつつ、とくに最年少世界チャンピオンの記録を更新したロバンペラ選手にはサプライズプレゼントを用意。これまでWRCの最年少チャンピオン獲得記録は、故コリン・マクレー氏が1995年に樹立した27歳と109日であったが、WRC最高峰カテゴリー参戦3年目のロバンペラ選手は、その記録を5歳以上も縮めた22歳で獲得。記録的な年となった。
このプレゼントカーだが、トヨタとして最高価格のクルマであるレクサスのスポーツカーかなと思いモリゾウ選手に確認してみると、「ロバンペラ選手に確認してみるといいよ」という。ロバンペラ選手に車種を確認すると、まず最初に返ってきた答えがミュージアムについて。ロバンペラ選手は、22歳という若さでフィンランドの地元にクルマのミュージアムを持っているという。そこには12台のクルマがあり、今回モリゾウ選手からプレゼントされたクルマも、そのミュージアムに飾られるとのこと。
では今回モリゾウさんからプレゼントされたクルマは? と改めて聞くと、ぼそっと「Rally1」。「え?」「Rally1」ということで、自身がチャンピオンを獲得した「GR Yaris Rally1 Hybrid」がプレゼントされるようだ。
対決も驚くべき豪華さだったが、最年少記録を破ったチャンピオンへのプレゼントも驚くべき豪華なものだった。ただ、この豪華さはトヨタ自動車 代表取締役社長 豊田章男氏が、2015年1月のモータースポーツ活動発表会で2017年からのWRC復帰を宣言したことに始まる。トヨタの挑戦が、モリゾウ選手の決断が、歴史的な最年少チャンピオンを生み出し、12年ぶりのラリージャパン開催につながった。トヨタはラリー2車両の発表でさらにラリーの裾野を広げようとしており、今後のラリーシーンの盛り上がりが楽しみだ。