ニュース
39年間のありがとう、「Hondaウエルカムプラザ青山」グランドフィナーレ ホンダ貝原典也副社長ら関係者があいさつ
2025年4月1日 10:10
2025年3月31日、本田技研工業本社ビル1階のショールームである「Hondaウエルカムプラザ青山」(東京都港区青山)が休館した。ウエルカムプラザ青山は、東京の一等地である青山一丁目交差点前に立つHonda青山ビル(ホンダ本社ビル)内のショールームとして多くの人に親しまれてきた。
クルマ好き、バイク好きには最新モデルの展示場や、8時間耐久レース、F1グランプリのパブリックビューイング会場として知られていたほか、ウエルカムプラザ内にドリンクショップなどが用意されていたことから、通勤客や買い物客の休憩所としても利用されていた。青山の交差点の白いビルと言えば、ホンダを知らない人でもビルだけは知られているほどのランドマークである。
そのHonda青山ビルが建て替えとなるため、ウエルカムプラザは3月31日で業務を終了する。現時点では、2025年度内に建て替え作業が始まり、2030年度をめどに新ビルが完成する予定となっている。
最終日である3月31日の前日には、F1日本グランプリを前にトップチームであるレッドブルに移籍した角田裕毅選手とDragoCORSE 道上龍代表によるトークショーや、2025年のインディ500挑戦が発表された佐藤琢磨選手によるトークショーをなどを実施。トークショーの整理券を得るために、朝4時半から並ぶ人が出るなど大盛況の日曜日だった。
最終日は平日であったにもかかわらず、家族連れや通勤客のほか、複数の関係者も見ることができた。
後半では、J-WAVEの生中継も行なわれ、CR-V e:FCEVからの給電イルミネーションも実施。前日参加した角田裕毅選手、道上龍代表、佐藤琢磨選手のサイン色紙じゃんけん勝ち抜きプレゼントも行なわれ、大いに盛り上がっていた。
最後のあいさつには、ホンダ 副社長 貝原典也氏、同 コーポレートコミュニケーション統括部 部長 松山康子氏が登壇。貝原副社長は、39年間青山ビルやウエルカムプラザを支えてくれた多くの人に「これまでみなさま本当にありがとうございました」とお礼を伝えたほか、「みなさまこれからもホンダをよろしくお願いします」と、今後に向けての気持ちを伝えていた。
松山部長は、ホンダに就職前からのビルとの出会いの話を、別れを告げに青山ビルやウエルカムプラザに集まった人たちに伝え、クロージングイベントを締めくくった。
本田技研工業 コーポレートコミュニケーション統括部 松山康子部長 あいさつ
みなさま、本日はホンダウエルカムプラザ青山、休館前の最終日にご来館いただき誠にありがとうございます。
ホンダは常に「The Power of Dreams」を掲げ、夢を原動力に、挑戦と進化を続けてきました。
このウエルカムプラザもその精神を体現する場として、多くのみなさまに夢と感動をお届けすることができてきたのではないかと思っております。
少し私の話をさせてください。
私とこのビルの出会いは89年の春、まだ大学生だったときにたまたま降り立ったこの青山一丁目で、青山の交差点に建つこの個性的なビル、そしてこのショールームを見て、私はクルマなんか全然好きでもなんでもなかったんですけれど、このビルを見たときに。本当にホンダに対する憧れというのを持つきっかけとなりました。
その後、ホンダのフィロソフィなどに触れることになって、このホンダに入りたいという気持ちを持つようになりました。
幸いにもその夢がかない、ここで働くこととなりました。そして、この青山のビルは私にとって職場となりました。
途中抜けたりしてるところはあるのですけれど、通算で23年、私はここのビルで過ごしてきました。
若かったころ、なかなか仕事が思うようにいかなくて、悩んだり、嫌だなと、困ったなと思うことがたくさんありました。
そんなときでも朝このビルにやってきて、当時90年代のころだったと思うのですけれど、みなさんも覚えてらっしゃるかもしれないですけれど、縦にあの長いボールがそこに立っていたと思います。
そこにいろんなメッセージを掲げていたんですけれど、新車が出たときには「新型アコード誕生」とか、あと、レースに勝ったときには「優勝おめでとう」とか、あと、年末になりますと、「1年間ありがとうございました」とか、そういうメッセージが出されていて、それが何か、ビルが私に話しかけてきてくれているようで……。
それを見るたびに、「好きで入った会社なんだな、がんばらなくちゃ」「このビルに憧れてきたんだな、がんばらなくちゃ」と思って奮い立たしてくれたビルだと思っています。
そういう意味では、この会社には「本当にありがとう」と私は言いたいですし、このビルは私にとって誇りであり、そして支えとなってきてくれた存在であります。
みなさまそれぞれ、このビルに対する思い出、そしてさまざまな思いをお持ちだと思います。本当に愛されてきたビルだという風に思っております。
この最後のこのときに、こういう形で私もこのビルに関われて本当にありがたかったなと思っております。
今回は休館ということで、閉館ということではありませんので、ぜひその点お間違いのないようよろしくお願いいたします。
この休館の期間というのは、私たちにとって次の夢に向かって歩み出す準備期間であり、チャレンジの始まるところだと思っております。休館の間、何もしないということではもちろんなく、いろいろなことを考えてみなさまとの出会いが持てる場というのを考えております。ぜひ期待して待っていてください。
最後に、このウエルカムプラザ青山の39年間、本当にみなさまありがとうございました。みなさまと過ごしてきたこの39年間は、我々にとって本当にかけがえのない宝物です。本当にありがとうございました。そして、これからも引き続きホンダへのご支援、そして期待をかけてくださいますよう、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。またお会いしましょう。
19時半ごろ、ウエルカムプラザ青山は休館に
松山部長のあいさつで、クロージングイベントは終了した。その後、ホンダスタッフに見送られる形で来場者は思い思いに青山ビルとウエルカムプラザ青山に別れを告げて退場。19時半ごろ、青山ビルの遮光カーテンが下り、休館となった。
1985年にオープンして以来、約39年間、多くの人を迎え入れてきたウエルカムプラザを利用してきた人は多いだろう。記者自身も、この仕事に就く前から普通のクルマ好き、バイク好きとしてカタログなどをもらいに行くことが多かった。
とくに鈴鹿8時間耐久レースのパブリックビューイングにはよく訪れており、初期はオートバイを地下駐車場に置くこともできたことから、酷暑の中を都内までバイクででかけていた。ヨシムラの高吉克郎選手の8耐における激闘も青山パブリックビューイングで見ており、会場が異様な空気に包まれていたのを覚えている。
一人ひとりにさまざまな思い出のつまっている場所がなくなるのはさみしいが、約5年後となるホンダの次の夢の登場を期待して待ちたい。