フリースケールジャパン、2012年度のモータースポーツ活動について説明
レースの極限状態で開発した技術を市販車に

Photo01:後列左からドライバーのイゴール・スシュコ選手、フリースケールのディビッド・ユーゼ社長、東京大学の浅間一教授、エー・アンド・ディーの古川宏嗣氏(DIMOTOR事業プロダクトマネージャー)。前列左からジースポート代表取締役社長の黒田篤氏、東京大学の山川博司博士

2012年11月20日開催



 フリースケール・セミコンダクタ・ジャパン(以下フリースケール)は11月20日に同社にて「次世代ドライバ・アシスト・システムに関する記者説明会」と題する記者説明会を開催し、ここで同社が2012年度に行ってきた「OGT!Racing Team」に対する取り組みと、活動の説明を行った。

 通常レーシングチームの活動報告といえば、1年間の成績を含めたチームの活動やドライバーの成績、感想や反省、来年度の動向といった話がメインとなるのだが、今回の説明会はこうしたものとはちょっと異なる様相を呈したものになった。まずタイトルからしてちょっと普通と違うが、出席者の様相もかなり普通と異なるものであった(Photo01)。ということで、この説明会の内容をリポートしたい。

 まず基礎知識としてOGT!Racing Teamについて。このチームは今年5月に公式に設立されたチームで、5月末にはこれに関する発表会も開催されている。

 出場したのはポルシェが開催しているポルシェカレラカップジャパン(PCCJ)のチャンピオン クラスで、全12戦を終えてスシュコ選手の戦績は97ポイントでランキング5位となった。またフリースケールは、このPCCJ 第4~5戦が開催された6月9~10日の冠スポンサーも務めており、この際には車両の詳細なども公開された。ということで、これらの記事をごらんいただいたことを前提に、説明会の内容に話を移したい。

 まず冒頭に挨拶を行ったユーゼ社長は、フリースケールのような半導体企業がこうした取り組みを行うのは珍しいことだとしながら、フリースケールはあくまでもチップを提供する会社であり、実際にはエンドユーザーに製品が届くためには、さまざまな会社の製品と組み合わせたり、あるいはボードを作ったりといった協業が必要であり、今回もそうした協業の一環としてレースプログラムを行っていること、レースには「勝つ」という文化が必要であり、レーシングプログラムを通じてフリースケールやパートナーに「勝つ」という文化を広めてゆきたいと説明した。また日本においては、諸外国と比べて「Freescale」というブランドの認知度が低く、これを高めることも目的のひとつとした。

 ちなみにこのプログラムを始めるにあたっては、「1年やらせて欲しい」と当時の米FreescaleのCEOであるリッチ・ベア氏に訴えたそうで、その結果「では1年やってみて、その結果で続けるかどうかまた判断しよう」という返事を貰ったことでスタートしたとか。ユーゼ社長としてはマーケティングやブランディングの面でROI(費用対効果)の高いプログラムと判断しているそうで、来年もレーシングチームを通じての技術開発やパートナーとの協業を続けてゆくとのこと。ただ具体的にどんな形で行うかは「まだ発表できない」とのことであった。

 ちなみに「今年できなかったので来年は是非やりたい」としたのは、360度のバードビューのリアルタイム配信と、77GHzのレーダーシステムの搭載だそうである(Photo02)。ただ他にどんなことを今後行ってゆくかについては、これから協議してゆくそうだ。

Photo02:バードビュー(左上)は、4つのカメラの画像を合成して、あたかも鳥の視点のような上空からの画像の生成。このバードビューの生成そのものはできたらしいのだが、リアルタイムの配信までは間に合わなかったそうである。またレーダーも今年はいろいろな理由で搭載が間に合わなかったとか

 さて、これに続いて具体的にどんな技術研究が行われたかが説明された。今回の役割分担は、こんな形になっている(Photo03)。この3社+東京大学の合同チームによって、レース中のストレス推定手法の研究が行われることになった。

 まず東京大学の浅間教授及び山川博士により、生理指標を用いたストレスの定量化の研究についての説明があった(Photo04)。

 レースにもよるが、例えばレーサーの心拍数がレース映像に流れるのは珍しくない。ただ今回は心拍数のみならず、もっと多数の生理指標を取得して記録を行っている。また今回は、単に生理指標のみならず車の状態その他のデータも取得できており、これらを組み合わせることでこれまでにないデータが取れるようになった(Photo05)としている。

Photo03:ここからも分かるが、今はまだストレスを定量的に推定する手法の「開発」を行っている段階であり、要するに今まではこうした目的に適したデータがなかったので、レースの場を使ってこうしたデータを取得するための仕組みを作ろうというのが今年のテーマであるPhoto04:今回計測対象とした生理指標いろいろPhoto05:今回は、後述するモーションセンサーなどとあわせて、車体情報も込みでデータのサンプリングを行った結果、例えばコースのどの位置でどう計測値が変化したかという情報も容易に取得できるようになった。こうしたデータはこれまであまり取得できていなかったそうで、貴重なデータとのことである

 これに続き、エー・アンド・ディーの古川氏と、ジースポートの黒田氏よりシステムの説明があった。エー・アンド・ディーでは、加速度センサーとジャイロセンサーを使ったモーションキャプチャである「DIMOTOR」と呼ばれるセンサーシステムを開発しており(Photo06)、これを使って操縦中のドライバーのモーションや体にかかる加速度などを取得しようというものだ(Photo07)。通常のモーションセンサーでは車の中での動きを測定するのは非常に困難だが、DIMOTORならばこれが可能になるというわけだ。既にDIMOTORを使ってモーションを測定した結果から、体の動きを比較的高い精度で取得できることが示されており(Photo09)、実際スシュコ選手はこんな形で全身のあちこちにDIMOTORのセンサーを取り付けてドライブしたそうだ(Photo10)。

Photo06:DIMOTORの特徴の1つに地磁気センサーを使わないことが挙げられるそうだ。通常の用途はともかく、車載環境で地磁気の測定は非常に困難だそうで、なので地磁気に頼らずにモーションキャプチャができることがDIMOTOR採用の1つの理由になったとのことPhoto07:DIMOTORの場合、加速度や角加速度などを測定できるので、車の中での相対的なドライバーの動きのみならず、ドライバー自身にかかる加速度などを実際の値として取得することができるPhoto08:ただし欠点として、(かなり小さいとは言え)DIMOTORが17個も着けられると相応に重いし、体に配線が這い回る結果になるので、激しいアクションなどには向いていないが、レースカー内部であればこれはそれほど問題にならない
Photo09:これはPhoto08の左側のモデルさんが体を動かすと、それに連動して骸骨モデルが体を動かす様子を示したムービー。フルバージョンの動画はこちらで参照可能Photo10:ウェアの外側に、マジックテープでDIMOTORを取り付けているのが分かる。ちなみにサンプリング周波数は200Hz(毎秒200回、動きのデータを収集する)

 このDIMOTORのデータを含む生理指標データのサンプリングを行うシステムを開発したのがジースポートである。DIMOTORは無線ルータ+センサーユニットで構成されるが(Photo11)、この無線ルータの内部にFreescaleのKinetisと呼ばれるMCUを利用しており、こうしたシステムの構築の構築をジースポートが行ったとの話であった。ちなみに、将来的にはデータも全部テレメトリーで飛ばしてリアルタイムで取得といった夢もあるそうだが、当面は助手席の床にグローブボックスを設け、ここにスレート型のPCを入れて、ここでデータをサンプリングしている状況だそうだ(Photo12)。グローブボックスの中には、Freescaleの別のマイコンシステムも入っているが、これはDIMOTORとは別に、Freescaleが提供しているさまざまなセンサーを取得するためのものである(Photo13)。

Photo11:写真で手前のやや大きな箱が、FreescaleのKinetisが内蔵された無線ルータ。通常はこのルータは測定者の腰のあたりに装着し、サンプリングした結果をWiFi経由でPCなどに送りつけることになるとかPhoto12:データ量そのものはLTEなどであれば十分間に合う程度だそうだが、まだほとんどのサーキットではLTEどころかHSUPAすら使えず、3Gがやっと繋がるという状況では、自前でアンテナと送受信機を立ててテレメトリーシステムを作るしかなく、これはさすがにコストとか手間の面でまだ非現実的なのであろうPhoto13:EGCは心電図。他に血圧、心拍数、筋肉の動きなどをKinetis Tower Systemと呼ばれるマイコンで取得できる。本来これは医療向けシステムとして開発されたものをレース用に応用した形

 ちなみに今年はまだ、ストレスを定量的に推定する手法の「開発」の前段階で、開発をするに十分な量と精度のデータをどう集めるかを開発して試してみた、というレベルでしかないようだ。

 なぜレースの場か、といえばある意味レースは極限状態であり、速度や加速度、振動は市販車の比ではないし、温度環境にしてもレース中は「一番高いときはコクピット内が70度近くなる」(スシュコ選手)とのことで、当然いろいろな不具合や問題が出てくる。逆に言えば、レース中に問題なく測定ができるようなシステムが構築できれば、それをそのまま市販車に応用するときにも問題は少ないだろうと考えられるからだという。

 またADAS(Advanced Drive Assistant System:先進運転支援システム)の中には、例えば居眠り運転の検出なども含まれるが、通常これをカメラベースで実装しようという例が多い。しかしカメラによる認識は、しばしばシステムが騙される(誤検出する)ことも多く、なので研究の結果として今回のような生理情報から居眠りなどの検出を確実に行えるようになれば、新たなADASの仕組みが提供されることになる。こうした効果も将来的には期待できるという話であった。

 ところで今回の原稿では、敢えてフリースケールとFreescaleを区別して書いている。フリースケールと書く場合はフリースケール・セミコンダクタ・ジャパン独自の活動を指し、Freescaleと書く場合は米Freescale本社の活動を指しているわけだが、要するに(冒頭にも少し述べたが)今回のプログラムはあくまで日本にあるフリースケール独自の活動である。なので現在の枠組みが続く限り、今回のレースプログラムから何かしらの成果が上がっても、それがFreescaleに還元されることはなく、あくまでも日本のフリースケール内に留まることになる。

 もっとも今はまだ成果を出すための下地作りといった活動がメインであり、そこでパートナー企業とのコラボレーションという枠組みを作るといった成果は上がるにしても、Freescaleにフィードバックできるような研究成果が出てくるのはまだ当分先のことと予定されるから、このあたりは現状ではそれほど問題ではないのだろう。また来年に向けては現在いろいろ調整中という話なので、来年からはまた少し枠組みは変わってくるかもしれない。

 以下、余談を2つほど。で、「何でポルシェカップなのか?」をユーゼ社長に伺ったのだが、「ほら上の階にポルシェジャパンがあるし(笑)」(フリースケールは東京都目黒区にあるアルコタワーの15階に本社を置き、その上の16階にはポルシェジャパンが本社を置いている)。

 まぁこれは冗談だそうだが、1つはコストの話で、やはりまじめなレースをやると経費が洒落にならない。PCCJの場合、2012年度のエントリーフィーは、こちらを見ると年間12戦分で315万ほど。これに車両代(911 GT3 Type997:ポルシェジャパンによる価格は2026万5000円)やメンテ費用や移動費用などを全部込みにすると、どんなにケチっても3000万円以上。実際には5000万円程度(除ドライバー費用)になるかと思う。ただSUPER GTとかだとGT500クラスなら軽く億を超え、GT300クラスでも億に手が届くレベルだから、個人で参加するには馬鹿高いが、企業がスポンサーする分にはそう高い金額とはいえない。もちろんもっと安く上がるレースもいっぱいあるが、今度は車の性能が抑え気味になるから、「レース環境に耐えてデータをサンプリングするシステムを作る」という目的にはやや物足りない。そのあたりが1つの理由だとのことだった。

Photo14:交通安全の御札を貼ってあるレースカーは時々見かけるが「家内安全 開運招福」の御札はちょっと斬新な気も

 もう1つ。レース車の撮影も行える機会があったが、車そのものは6月の時と変わりがなかったので割愛する。ただ気が付いたのが、リアシート(を取り外した後部隔壁)の上の御札(Photo14)。6月にもこれが貼ってあったのかどうかは不明だが、「そうか最後は神頼みか」。

(大原雄介)
2012年 11月 26日