尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話

【第18話】山本雅史さんの存在

第4期ホンダF1活動を支えていた山本雅史さん(右)

 F1で成功するために必要なもののひとつに政治力がある。

 政治力というと、政治の世界の話のように聞こえるが、私たち一般の社会でも日々使われる力だ。例えば、社内の人間関係を操り、物事を上手く進めていくこともひとつの政治力である。要するに組織やコミュニティの中で、自分の主張をスムーズに通す能力が政治力だと思う。

 ところが、日本人はこの分野をこれまでおろそかにしてきた傾向がある。高い技術さえあれば、F1で勝てると信じる者が多いからだ。確かに技術力が備わっていなければ、F1で勝つことはできない。現在のチャンピオンであるマックス・フェルスタッペン選手のドライビングスキルがほかのドライバーに比べて非常に高いことは、レッドブルでホンダのチーフエンジニアを務めている湊谷圭祐氏も認めている。また、彼が所属するレッドブルのマシンがライバルを圧倒しているのは、空力の天才と呼ばれるチーフテクニカルオフィサーのエイドリアン・ニューウェイ氏がマシンをデザインしているからにほかならない。

 しかし、それらの能力を最大限に生かすためにクリスチャン・ホーナー代表や、モータースポーツアドバイザーのヘルムート・マルコ氏という存在がいることを忘れてはならない。フェルスタッペン選手がレッドブルというチームで伸び伸びとレースができているのも、ライバルチームからの誘いにもニューウェイ氏が応じずにレッドブルにとどまっているのも、ホーナーやマルコの政治力が無関係ではない。

2021年のトルコGPでの「ありがとう号」の実現にも山本さんは大きく貢献していた(Photo:RedbullContentPool)

 第4期のホンダで、その責務を果たしていたのが当時、モータースポーツ部長やマネージングディレクターとして、ホンダのF1活動を支えていた山本雅史さんだった。マクラーレンとの関係が悪化していた2017年、ホンダはF1からの撤退も選択肢の1つに挙がっていた。マクラーレンからの理不尽な要求だけでなく、本社で吹き荒れる逆風に耐え、ホンダがF1活動をなんとかして継続できたのは、山本さんが尽力したからにほかならない。

 2021年のトルコGPでの「ありがとう号」の実現にも山本さんは大きく貢献していたし、その翌戦のアメリカGPでは、リアウイングにホンダがアメリカで展開している高級車ブランドの「ACURA」の名前を掲載させたのも山本さんが大きく関わっていた。

「ACURA」の名前をリアウイングに掲載させたのも山本さんが大きく関わっていた

 そのアメリカGPでレッドブル・ホンダが優勝したとき、表彰式にコンストラクターであるレッドブルを代表してトロフィをもらう代表として、ホーナーが山本さんを指名したのは、レッドブルが山本さんをリスペクトしていたからにほかならない。

 F1の世界では、組織よりも個人を尊重する傾向がある。例えば、筆者は約30年間、この世界で仕事をしてきて、所属する組織は何度か変わったが、こうしていまでも年間パスを発給してもらっているのは組織よりも個人を重んじているからだと思っている。

 そして、F1で政治力を生かすためには、現場にいることが重要となる。重要な決定はメールや電話では行なわれない。単行本の「歓喜」にも書いたが、ホンダがレッドブルと最初に接触したのは山本さんであり、会談の場所となったのがマクドナルドだったのは有名な話だ。マクドナルドで安いコーヒーを飲みながらでもヨーロッパの人々は対面で話をすることで信頼関係を築こうとする。第4期のホンダでその存在となっていたのが、山本さんだった。

表彰式後、フェルスタッペン選手と喜びを分かち合う山本さん(Photo:RedbullContentPool)

 山本さんはホンダのF1活動だけでなく、角田裕毅選手にとっても大きな存在となっていた。私は日本人のF1ドライバーがいまだに表彰台の頂点に立てない理由のひとつが、優秀なマネージャーがいないからだと考えている。

 角田選手がF1にデビューした2021年、彼のマネージメントを行なっていたのはレッドブルで、個人マネージャーは存在していなかった。私はそこに当初から不安を抱えていた。案の定、その年の角田選手はマネージャーがいないことでさまざまな壁にぶち当たっては、それを自分で乗り越えていた。それは側から見ていても、かなり大変そうだった。

 そんな角田選手の面倒を見ていたのも山本さんだった。例えば、ロシアGPでチームメートに対して明らかに遅かったことを気にしていた山本さんは、アルファタウリのフランツ・トスト代表に「角田のモノコックをチェックしてほしい」と依頼。その次のトルコGPでチームは角田選手のモノコックを変更し、以降、角田の走りが改善された。

 また、2021年のメキシコGPではこんな事件が起きた。予選Q3の最後のアタックで、アタックしていなかった角田選手が後方から接近してきたレッドブル2台のために道を開けようと、コース外に出た。角田選手がコースの外に出ると砂埃が舞ってしまい、直後を走っていたセルジオ・ペレス選手は慌ててブレーキを踏んで、一緒にコースオフしてしまった。2台がコースの外に出たことでさらに大量の砂埃が舞い、その後方を走行していたマックス・フェルスタッペン選手は「誰かがクラッシュしているかもしれない」と思い、アクセルを緩めてしまい、予選はメルセデスにフロントロウ選手を明け渡す結果となった。

 実際には角田選手はわるくなく、ペレス選手が慌てたことが問題だったのだが、予選後、レッドブルのホーナー代表は「ツノダにやられた」と名指しして非難したため、レッドブルがフロントロウを逃したのは角田選手のせいであるかのようにメディアも一斉に論じた。そのため、角田選手は予選後、大きく落ち込んでいた。このとき、動いたのは山本さんだった。レッドブルの重鎮であるマルコ氏と会い、角田に非がないことを納得してもらったうえで、角田と直接対談を提案した。会談は日曜日の朝にホンダのホスピタリティハウスで2人きりで行われ、角田の汚名は晴れた。

ホンダのホスピタリティハウスで会談する角田選手とマルコ氏

 それから2年後の今年。角田選手には優秀なマネージャー、マリオ宮川さんがついた。角田選手をマリオに引き合わせたのも、山本さんだった。

 山本さんには、単行本「歓喜」でも大変お世話になった。この場を借りて、お礼を申し上げたい。

尾張正博

(おわりまさひろ)1964年、仙台市生まれ。1993年にフリーランスとしてF1の取材を開始。F1速報誌「GPX」の編集長を務めた後、再びフリーランスに。コロナ禍で行われた2021年に日本人記者として唯一人、F1を全戦現場取材し、2022年3月に「歓喜」(インプレス)を上梓した。Number 、東京中日スポーツ、F1速報、auto sports Webなどに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)がある。