日下部保雄の悠悠閑閑

シビック50周年とレースを教えてくれたシビックとの思い出

初代シビック。ハッチバックではなくトランク型です

 シビックが誕生して今年で50年。初代シビックは大衆車の王道を行くカローラやサニーに対して、ホンダらしくFFレイアウトの2ボックスで新しいマーケットを切り開いた。伝統にこだわらない若い層が大きな牽引役となったことから大学生のシビックとも呼ばれた。事実、友人も家族を説き伏せ(たんだと思う)、いつの間にか玄関前に白いシビックが駐車するようになっていた。それまでのヒエラルキーにとらわれないワクワクさせてくれる勢いのあるクルマだった。

 ラリーに没頭していた自分はラリーのベース車以外は興味がなく、ラリーではほとんど姿を見ないシビックは選択肢になかった。チャレンジは冒険と本能的に感じていたに違いない。しかしホンダの社内チームからは、のちに本田技研の社長になる福井威夫さんがハンドルを握り活躍したこともあった。

 そんな自分でもレースを始めたときに出会ったのは3代目のワンダーシビック、AT型だ。

 2代目のスーパーシビックでワンメイクレースシリーズを確立しており、ワンダーシビックではさらに盛んになっていた。鈴鹿に加えて、東北、東日本、西日本と4つのシリーズがあり、ボクは東日本シリーズに出たが、印象に残るのは東北シリーズの西仙台ハイランドのオープニングレースで1986年のことだ。

 誰も走行経験がないのでハンディなしという西仙台ハイランドはラリードライバーにふさわしく(?)雨で、霧の中に包まれた。そして初めて勝ってしまった。ラッキーだった。レースにのめり込むきっかけだった。今は閉鎖された西仙台ハイランドでの懐かしい思い出である。

 この頃の自分のドライビングは無茶苦茶で、感覚的にはラインさえ間違えずにコース上にいればOKみたいな感じだった。ま、ラリー走りですね。まわりもこちらがスピンしそうで迷惑だったに違いない。

KYBカラーのAT型ワンダーシビック。こんなメチャクチャな走りしてました。後ろを走ってるのは酒井君だと思うけどビックリしたんじゃないでしょうか

 あるとき、筑波の最終コーナーを例によって大きなドリフトアングルで走っていたら、シフトの鈴木哲夫さんが半ば呆れて「そんなに流しちゃだめだよ」とのアドバイス。名伯楽の言葉に従って少し考えるようになると、タイムも伸びるようになったのは言うまでもない。

 さて、もともとの目標は耐久レース。特に筑波サーキットのナイター9時間耐久は大目標で、西沢ひろみ選手と茂木和男選手の3人で臨んだ。この2人には戦略やレースマナー、技術などをよく教えてもらい、勉強になりました。

 それにZC型エンジンに800kg代の軽量ボディのワンダーシビックは改造範囲の少ない量産ツーリングカー、N1のカテゴリーでは無敵だったと思う。

 次のEF型、グランドシビックはそれまでのリアサスペンションが固定軸だったのが4輪ダブルウィッシュボーンになり、グリップバランスは素晴らしくよくなった。チーフの大原君が4輪のコーナウェイトがバッチリ決まると嬉しそうに言っていたのをよく覚えている。その頃にはレースらしい走りができるようになったこともあるが、同じZCエンジンでも飛躍的にタイムアップし、しかも乗りやすかった。

同じKYBカラーのEF型グランドシビック。大分姿勢が安定してきました

 印象に残るのは、初めて遠征した鈴鹿で「曲がらない」と大原君に相談したら「これでどうぞ」とコースに送り出され、なんだかグニャグニャするなと思って帰ってきたらポールだった。リアをトーアウトにしていたのが変な挙動の原因だが、大原君はリアが流れても何とかするだろうと涼しい顔。確かにラッキーなことに優勝してしまった。この直後の鈴鹿のシビックはお尻をヒョコヒョコ振りながら走るようになった、と笑いながら関西のドライバーが教えてくれた。

 ボクのシビックシリーズはここまで。1992年から5代目のEG型、スポーツシビックでN1耐久シリーズに参戦することになった。監督は酒井法子さん。のりピーレーシングとしての参加だったが、酒井法子さんは人気絶頂のアイドルで追っかけがすごかったのにびっくりした。

 チームのマネージャーだった竹岡圭ちゃんがすぐに仲良くなってピッタリ付き添ってガード(?)していた。酒井法子さんはレースでの現状説明をよく聞いてくれ、グリッドでの傘持ちもしてくれ健気だった。そのときいただいた手製のお守りを今でも大事にしているのはここだけの内緒です。

 EGシビックはV-TECエンジンを搭載して飛躍的にパワーアップしていたが、ホイールベースが長くなってこれまでのセッティングでは曲がらず苦労した。懇意にさせてもらっていた無限の安井さんにも情報をもらいながら何とか仕上げたのだが、確かリアショックアブソーバーの伸び側をかなり強くしたと思う。

水玉模様ののりピーシビックを出したかったけど、写真が見つかりません……。こちらは全日本チャンピオンを連続して獲得したADNANチームの山内伸弥君率いるUNCLE号EG6です。1996年の菅生で乗せてもらいました

 この時代のシビックは低価格で手に入りやすく、しかも高いパフォーマンスがあり、総合優勝を狙えるクルマだ。勝とうとするとそれなりにお金もかかるが、頑張ればプライベートがやれる範囲だったと思う。

 シビックレースで知り合ったメカニックやドライバーも多く、困ったときに助けてもらったことも1度ならずあり、N1耐久でもいろいろな人達と知り合うことができたのもシビックのおかげだった。

7月21日に発表されたシビック タイプRです。先代に比べるとスッキリしたのが特徴です。こんな速いクルマ、どんな景色が見えるんだろう
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。