日下部保雄の悠悠閑閑

知られざるカヤバのあれやこれや

新幹線を支えるのはカヤバのショックアブソーバーでした

 先週紹介したカヤバ資料館。以前は展示されていたゼロ戦のオレオ。貴重な産業遺産で、見学の要望も多いと聞く。構造はエアバネとオイルダンパーを組み合わせたもので、オレオと呼ばれる。最初に海外から技術導入した際、相手のエンジニアがオイルをオレオと発音していたことから航空機の主脚のサスペンションをオレオ式と呼ぶようになったと言われる。先生はイタリア人ですかね?

 今はARで見ることができ体験させてもらったが、モノクロのためにオイルシリンダーのメッキ部分は再現できなかったのは残念。しかし構造は細部まで分かり海から引き揚げたときの状態が想像できた。この機体は愛媛県伊予沖(相模湾じゃありませんでした)に沈んでいたものを引き揚げられたもの。大戦中のオレオがあるのはカヤバ資料館だけかもしれない。

 カヤバ資料館は相模原工場に併設されているために一般公開日は木曜日の午後に限られているが、見学できるものはたくさんある。おなじみのショックアブソーバーも部分、作動油まで紹介されている。単純なようで手が込んでいる。

 さらに鉄道ファンにはたまらない新幹線や小田急のセミ/フルアクティブサスペンションなんかはヨダレが出そうだ。

新幹線を含む鉄道用のショックアブサーバーはけた違いに太い

 意外なところでは海上自衛隊の護衛艦にも深い関係があることだ。例えば内火艇(小型ボートで乗員が上陸するときに使われる)の昇降機などが分かりやすい。動力の必要とされるところには必ずカヤバの油圧製品が使われている。

海上自衛隊の保有間から護衛艦に物資を渡しているところ。ここにも油圧の技術が使われている。このほか内火艇に昇降機など使われ方は多様

 多分KYBのロゴを最初に目にするのはコンクリートミキサーだろう。市場の8割を占めているというから独占に近い。高い信頼性の証明でもある。意外と知らなかった中身のカットモデルがあった。ミキサーの中にはらせん状の仕切りが入れられており、一定速度でミキサーを回すことでコンクリートが固まらず、最後に水洗いするときはミキサーを逆転させることで水を排出できる。当然あると思っていたドレーンコックがないことを初めて知った。コンクリートの垂れ流し防止のためだそうだ。

 もしもミキサーが止まってコンクリートが固まったらどうするか? 作業員は点検孔から入って固まったコンクリートをぶち壊していくのだそうだ。閉所恐怖症の自分にはとても無理。無理。無理!

 幸いにして機械が壊れることはほぼゼロだとのこと。安心しました。

 今後の課題はEVトラックをベースにしたミキサーの動力。エンジンから得られる油圧には頼れないのでモーターで回すことになる。一定速度で長時間回し続けるのはなかなか難しいらしい。

 あまり知られていないがカヤバは世界ラリークロス選手権でアウディと共に連勝を続けた実績がある。ショックアブソーバーと電動パワーステアリングの開発だ。この支援は2年ほど前までで、使用車がEVになったことでいったん終了し、今はローカル選手権でのサービスを継続している。世界チャンピオンなのでもう少し大きな声を出してもいいのに慎ましいのもカヤバらしい。

汎用ショックアブソーバー。その昔、減衰力設定に協力させてもらいました

 創業者で発明家の萱場資郎の事務室を再現したデスクも再現されていた。自ら設計して、シャッターを下ろすとすべてがロックするなど多彩なからくりを仕込んだデスクだ。自分で使いやすいように設計して作るなんてエンジニアはうらやましい限り。

萱場資郎のデスク。エンジニアらしく使いやすいように自製したからくりデスク、うらやましいです

 工場の片隅に晩年の萱場資郎の胸像があった。胸像があるのはこの相模原工場だけという。柔和な好々爺という印象だが鼻筋のスーっと通っているところは若いときの気の強そうな面影を残していた。

起業家、発明家、萱場資郎の晩年の胸像。柔和の表情の中にも真の強さを感じました

 来週はカヤバがワークス体制で臨んだ最初の全日本選手権。その最終戦、懐かしのMCSCラリーハイランドマスターズだ。ちょっと行ってきます。

ソーラー投光器、こんなことまでやっていたのか!
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。