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藤島知子のスーパー耐久 富士24時間参戦レポート ホンダが社員有志チームで参戦する意義とは?

6月3日~5日に富士スピードウェイで行なわれたスーパー耐久 富士24時間。本稿ではST-2クラスにエントリーし、シビック タイプRで参戦するHonda R&D Challengeのメンバーの1人、モータージャーナリストの藤島知子氏が同レースをレポート

スーパー耐久シリーズにフル参戦するホンダ社員による有志チーム

 2022年6月3日~5日、「ENEOS スーパー耐久シリーズ2022 Powered by Hankook 第2戦 NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レース」が開催された。

 富士スピードウェイで24時間レースが復活して5年目の開催となったが、参加台数は過去最高となる56台に上った。2022年のスーパー耐久シリーズはエンジンの排気量やレース車両の規格に応じた8つのクラスに分かれて順位を競うが、私は2021年に引き続きST-2クラスにエントリーしているHonda R&D Challengeから参戦。シビック タイプRのハンドルを握り、6名のドライバーで24時間走行に挑む。

 スーパー耐久シリーズはプロやアマチュアドライバーがハンドルを握り、量産車を改造したマシンで走行する。国内外の多彩な車両を目にして応援する楽しみもあるが、各チームのクルマづくりやレース戦略だけでなく、それぞれの車種が持つポテンシャルを活かして競い合う点など、見どころが多い。中でも、今回の富士24時間レースは自動車メーカーの参入が目立つ。開発車両が走るST-Qクラスは水素を燃料として走るGRカローラのほか、カーボンニュートラル燃料で走るマシンとしてはGR86 CNF Concept、Mazda2 Bio Concept、Team SDA Engineering BRZ CNF Concept、デビューしたばかりのフェアレディZも話題を呼んでいた。

 Honda R&D Challengeはホンダ社員たちで構成されるチームではあるが、それらのメーカー系チームとは毛色が異なる。走らせるマシンはシビック タイプR(FK8)だが、クルマのメンテナンスを手掛けたり、レースの戦略を立てるメンバーはレースのプロではなく、ホンダの社員が中心。つまり、普段は量産車の開発(シート設計やエンジンのテスト、NVH担当など)に携わっている人もいれば、開発とは関わりのない部署の仕事に従事して会社を支える立場の人もいる。ドライバーはニュルドライビングインストラクターを務めるチーム代表の木立純一氏、シビック タイプRの開発責任者である柿沼秀樹氏がチームを牽引し、将来的なパワートレーンなどを研究する立場の石垣博基氏、外部のドライバーとしてはホンダ車やそれ以外の車種でモータースポーツを経験してきた山本謙悟氏、ニュルブルクリンク24時間レースレースに参戦を経験してきたモータージャーナリストの桂伸一氏、そして、モータージャーナリストで国内のワンメイクレースを続けてきた藤島知子の6名だ。

Honda R&D Challengeチーム

 レースに挑みたいと有志で集まってきたホンダ社員たちで構成されるチームは、2017年に業務に関連した自己啓発活動としてスタートしたが、その後、会社のサポートが受けられない時期を経ながらも、手弁当で繋いできた。S耐には2019年、2020年、2021年の3年間はスポット参戦を経験し、2021年に初めて富士24時間レースに挑んだ。他のチームはレーシングカーとしてクルマを作り込んでいる一方で、このチームは量産車をベースとしながらも、レースを走る上で必要最小限の改造に留めている。スリックタイヤを履き、日本のサーキットで戦うマシンとなれば、量産車の状態でニュルを走ることとは違うセッティングが求められ、チームが一丸となってレースを走り切るための課題が生まれる。

 5年目を迎えた活動は、将来のホンダを背負う立場である彼らの取り組みが受け入れられた形で会社のサポートを受けることになり、特別自己啓発活動に変わった。仕事以外の時間を費やして活動に参加することに変わりはないが、今季はスーパー耐久シリーズにフル参戦する。2021年に挑んだ富士24時間レースは初めて参加するチームがそう簡単に乗り切れるほど甘くはなく、エンジントラブルに翻弄されながら走行した。ピットに停車していた時間が長くなり、完走扱いにはならなかったのだ。今回はその苦い経験を跳ね返すべく、リベンジすることになった。

いざ24時間の戦いに

 2度の公式テストを経てレースウィークに臨んだが、1年ぶりに彼らがレースに取り組む姿に触れると、昨年よりも頼もしく感じられる場面が多かった。チーム内でのコミュニケーションが不足していたこと、マシンのセットアップとの向き合い方など、走らせるごとに気づいた問題点を洗い出し、指示系統を明確にしながら、具体的な行動に移してきている。

 レースを走り切るための準備はメカニックの彼らだけではない。ドライバー陣はリーダーである石垣氏がセットアップの違いを試しつつ、各ドライバーがマシンの感触をチェック。走行の合間にはシビック タイプR開発責任者である柿沼氏が現状のマシンの動きに仮説を立てながら、次の対策を話し合った。若いころからサスペンションセッティングと地道に向き合い、多くを学んできた彼の考察は興味深いものばかりだった。

 私自身はハイパワーなFFターボにスリックタイヤを履かせたマシンの走らせ方に戸惑う場面もあったが、ホンダの木立さん、柿沼さん、石垣さんは自社のクルマを器用に操る。他社のマシンでS耐を経験してきたゲストドライバーの山本さんも気づいたことを口にして、さらにいい状況に持ち込むための施策を探ろうと前向きだ。一方で、日本のサーキットやニュルの過酷な環境で長年、プロのメカニックとレースと向き合ってきた桂さんはチームの取り組みに足らないことをズバリと指摘する。やはりレースというものは経験しないと分からないことが山ほどあるもので、失敗しながら学ぶことが多い。

 金曜日の予選を迎え、Aドライバー、Bドライバー、Cドライバーが走行。Dドライバーが走り始めて少しすると、マシンの様子がおかしいという無線が入る。やがて異音が大きくなり、ミッショントラブルであることが判明。Eドライバーの桂さんとFドライバーの私も出走義務があったが、走行することができず、結果的に嘆願書を提出し、決勝レースはグループ1の後方からスタートすることが認められた。レース当日はスタッフたちが早朝からトランスミッションの交換を行なってくれたことで無事に車検をクリア。ウォームアップ走行でマシンに異常がないと確認された。

 コロナ禍も少し落ち着きを見せはじめていたこともあり、2021年と比べてレースファンたちの熱や賑わいが格段に高まってきている様子がうかがえる。コース脇のスペースにはテントを設営してバーベキューなどを楽しみながら観戦している人もいれば、ピットウォークではドライバーやレースクィーンが顔を並べる様子を眺めて楽しむファンたちの姿も。決勝レース直前はグリッドに56台のマシンが誇らしげに並び、体制が異なる各チームそれぞれに輝いて見える。グリッドウォークが終わると、これから始まる24時間の戦いに向けてファーストドライバーの石垣さんがマシンに乗り込んだ。

 混み合う状況でスタートした後、同じクラスのマシンと離れないようにペースを保ちながら周回を重ねていく。マシンを24時間後まで繋ぎ、自分のスティントの最後までタイヤをもたせるためには、チームの戦略上、ある程度のペースで走らせる必要がある。その後、第2スティントを担当する木立さんが安定したペースを刻み、3番目に走る私にドライバーチェンジ。給油、タイヤ交換を行なってコースインすると、気持ちを一気にレースモードに持ち込んだ。

 車速が異なるクラスのマシンをやり過ごしながら自分のペースを維持するのは結構難しい。周囲のマシンを注意深く把握しておくことは大前提。最高速が300km/hで1LAPを1分40秒台で走り去るマシンもいれば、2分10秒台のペースで周回するマシンもいる。シビック タイプRの場合、抜かれ方、抜き方を考えて走らせなければ一定のペースを保てない。15時からスタートしたレースはやがて薄暗くなり、柿沼さんに繋ぐころにはライトオンの状態。ナイトセッションに入っていった。その後、桂さん、山本さん、石垣さん、木立さんが繋ぎ、10分以上のピット作業の義務があるメンテナンスタイムに突入。少し時間がオーバーしたが、5時台に10スティント目の柿沼さんが再び走り出す。マシンの状態は2021年のトラブルを思い浮かべると信じられないくらいに順調。このまま走り続けてほしいと願う。

 私は朝8時台に再びマシンに乗り込み12スティント目を走行。制動距離はわずかに伸びている印象もあったが、走らせ方を工夫すればペースは保てる。シビック タイプRは長時間走行の疲労を感じさせずに頼もしく走り続けていた。そんなことを考えながら走っていた矢先、コカ・コーラコーナーの先に白煙が湧き上がる。エンジンブローしたマシンがいるようだが、100Rに差し掛かった私は視界が遮られて前方の状況が全く見えない。コースの外側にはタイヤかすが大量に落ちているため乗れば挙動を乱しかねないし、後方から速い車両が迫ってくるリスクもある。注意深く走行してどうにか切り抜けたが、トラブル車両の回収でFCY(フルコースイエロー)が発動。50km/h規制で追い越し禁止となるためペースダウンしたが、グリーンフラッグの表示で再びペースアップして走った。

 32LAPして石垣さんに引き継いだが、その後に追突されてしまったことで車両後方のパーツが破損。オレンジボール旗が出されたため、マシンはピットに戻りガムテープで修復を行なった。幸いにも走行することに影響はないようだ。13時35分、予定している最後のピット作業の時間がやってきた。監督の望月さんは最終スティントを走る木立さんに搭載するガソリン量に対しての走らせ方を伝え、励ましの言葉をかけてドライバーチェンジを行なった。最後までペースを保ったシビック タイプRはチェッカーフラッグを受け、富士スピードウェイを661周、ピット回数17回で24時間を走り切ってみせた。チームとしては2年目にして初完走。総合22位、ST-2クラス4位。今回のレースに参加していたホンダ勢では最高位を獲得した。

 走行後のパレードランではチームの皆が他車を拍手で迎えたあと、自分たちの手で走り切ることができたマシンに駆け寄り、嬉しそうに手を振る。中には涙を浮かべていたメンバーもいた。あと一歩で表彰台を狙えたかもしれない状況ではあったものの、振り返ってみるとまだまだ課題は多い。しかし、チャレンジするから問題に出くわし、課題が生まれるとすれば、それは前向きな一歩であることに変わりはない。こうした取り組みが将来のホンダのチャレンジしていける人づくり、クルマづくりに結び付いていってほしい。

シビック タイプR開発責任者の柿沼氏が語るS耐参戦意義

本田技研工業株式会社 四輪事業本部 ものづくりセンター 開発戦略統括部 ホンダ シビック TYPE R 開発責任者の柿沼秀樹氏

 さて、今回のレースではシビック タイプR開発責任者の柿沼秀樹さんにいまのチームの現状についてお話を伺ったので、その模様をお伝えする。

――これまではスーパー耐久シリーズのいくつかのレースにスポット参戦してきたHonda R&D Challenge。今季はシリーズ参戦することになったそうですね。初めてのサーキットなど、経験のない環境でチャレンジすることが増えていきそうですね。

柿沼:毎回チャレンジとなると、これまでとは全く変わってきます。経験値が積み重なっていくと、「次の富士は」「次のオートポリスは」といった具合にそれぞれのコースに合わせていけます。これまでは完走する、走り切るというのが結果的に目的のようになってしまっていたけれど、いまではレースに勝ちに行く気持ちに変わって、皆のモチベーションやマインドレベルが上がってきていると感じています。

――レースにチャレンジする自己啓発活動を何年も経験してきているスタッフもいれば、今回初めて参加という人もいます。経験を重ねてきた皆さんは変わってきていますか?

柿沼氏:元々はその人自身がこの活動に参加してやりたいことをやる感じでしたが、いまでは自分1人のことではなく、隣の人やチーム全体としてのアウトプットを考えるように視座が上がってきたなと感じています。これからのホンダを背負い、引っ張っていってほしいという思いでこの活動をしているので、活動を通じて自分のマインドや視座をより高みにもっていって、開発や業務に繋げていってほしいですね。

レース活動を通じ、参加メンバーのモチベーションやマインドレベルが上がってきているという

――参加しているホンダ社員の皆さんにお話を聞くと、普段の業務ではシート設計をやっていますとか、F1に憧れて入社してエンジンのテストをしていますといった話も聞こえてきます。この活動を通じて普段の自分の持ち場では分からないことを学び、モチベーションが上がると言っていたのが印象的でした。

柿沼氏:この活動には大きな樹を描いたコンセプトが存在します。それぞれの人がいろんな思いを持ってホンダに入社してきますが、その思いが地面に埋まってしまっていて表に出てこない。そんなもったいないことはありません。そんな思いを吸い上げて発揮できる場を作ってあげたいと思っています。仕事上では僕みたいに運がよくて、入社したころからやりたいことをやれる人もたまにいるけれど、ほとんどの人はたぶんそうではないと思います。

――入社後に配属される部署が自分の希望に添うかどうかは分かりませんよね。

柿沼氏:開発がしたいと言っても工場に配属されるケースもあったりします。でも、それぞれの思いはとても大切だし、会社としてそうした思いを拾い上げ、思いを馳せて発揮する場になると皆それぞれに輝いて見えます。吸い上げたエネルギーを樹の幹にする役割がこの活動だと思っています。

――思いを汲みとった樹の幹から枝葉が成長すると。

柿沼氏:その幹を通じてチャレンジングマインドが醸成され、彼らの思いをホンダとしての量産や開発に繋げ、お客さまに向けて他にはない価値を作り出していくことに繋がるということです。僕は機種の開発を任せてもらえているから、その醍醐味といえば凄いものがありますが、その醍醐味を知らずに地面に埋まっている多くの思いが存在する。こういう活動があって、やりたいと手を挙げてきた人たちがいることを思うと、こんなにもこういう思いが埋まっていたのかと驚かされました。時代的な傾向として、最近の若い子は昔と比べるとクルマにそれほど興味がないのに自動車会社に入ってくると言われがちですが、本当にクルマが好きでホンダに入社し、叶えたい夢を悶々と抱きながら日々会社に通っている人がこんなにいるのだなと気づきました。

柿沼氏は「吸い上げたエネルギーを樹の幹にする役割がこの活動」と、活動意義について語る

――彼らのコメントを聞いてみると「この活動ではいい時間を共有するだけではなくて、失敗した時には先輩たちが厳しく指導してくれる貴重な場です」と言っていたのが印象的でした。柿沼さんはどんな気持ちで彼らに接しているのですか?

柿沼氏:昔話になりますけど、僕が教わったころのホンダはいくらでも失敗できる会社でした。色んなことに創意工夫を重ねて、いろんなことにチャレンジして失敗もいっぱいしたけれど、それを糧にして自分が育ってきました。でも、今は失敗が許されない時代になってしまった。そうすると意思や志、思いがあったとしても、失敗しては駄目だと思って仕事をすることになって、チャレンジという言葉が遠のいていく。そつなく仕事をこなすやりかたになりがちでした。でも、こういう活動は失敗をすることで次の成長に繋げるのが大前提。僕みたいに昔失敗したことで学んだ大切さを知っているオッサンたちが彼らの失敗をちゃんと見守ってあげる。そのときは辛かったり、こっちも厳しいことを言ったりするかもしれないけれど、それはもう彼らにとってポジティブなこと以外のなにものでもないのかもしれません。

――2021年の富士24時間レースでご一緒したときは、クルマづくりの専門家である彼らが頼もしく見えた場面がありましたが、今年の方が自発的に行動し、さらに活き活きとしている感じが伝わってきますね。

柿沼氏:今年から会社のサポートが受けられることになり、自己啓発活動が特別自己啓発活動に変わりました。私や木立が会社に懇願して応援してくれるようになった背景については彼らに「仕事ではないけれど、ホンダを背負って、ホンダの開発者として君らが育っていくための活動だ」と伝えて今季の活動をスタートしました。

――ホンダとしても、将来を背負っていく人材を育てる重要性を理解してくれたということですね。

柿沼氏:昔はそんなことは当たり前で、ホンダという会社が中心にモータースポーツに参戦していたじゃないですか。そういう風潮がどんどんトーンダウンしてきて、今ではトヨタさんのほうが社長の思いのもとで進めてきています。ホンダの皆はそんな彼らの姿を見ていて歯がゆい思いをしていたはずなんです。

――ホンダにスポーツ性を期待する立場からすれば、もっとファンの期待に応えてくれるメーカーであってほしいと思います。

今年から自己啓発活動が特別自己啓発活動に変わり、会社のサポートが受けられるようになったという

柿沼氏:5年前にスタートしたこの活動は、会社の力を借りながらようやく認知され始めました。彼ら自身の気持ちの持ち方が変わってきていると思います。

――何のために活動に参加するのか。目的意識を持つことでやるべき課題が見えてきそうですね。ちなみに、今年の24時間レースは隣のピットにNISMOがいて、スバルやマツダがいて、トヨタも参戦しています。各メーカーそれぞれにいいクルマを作るために努力を重ねている。そうした現場を目の当たりにして何を感じましたか?

柿沼氏:チャレンジをしない仕組みの中で開発を続けることは井の中の蛙。こうした場に身を置くことは、栃木という小さな世界では得られない外の風を感じられますし、自分の世界でやっていることではない畑の人たちの行為や思いを隣で目にすることになります。そうすると、余計にホンダマンとしての自覚と責任感が磨かれていく感じがします。

――レースはクルマの実験場という言葉を耳にします。他社の動きをみると、量産車の技術をメーカーがチームに共有し、レースの現場では人とクルマを鍛え、将来的にそのノウハウがコンプリートカーに受け継がれていくこともあったりと、魅力的な量産車の開発に繋げていく形も見えてきます。その点、Honda R&D Challengeの活動にはいろんな可能性が隠れていそうですね。

柿沼氏:金の卵みたいな状態だと思っています。いまちょうど次のシビック タイプ Rを開発中ですが、そうしたタイミングで2022年4月に新生四輪「HRC」が発足。これまでもHRCの渡辺社長とはホンダのモータースポーツブランドを広げていきたいことなどいろいろな話をしてきました。ここからホンダを愛してくれるお客さまと自動車業界、自動車文化のためにホンダが改めて創り出していく価値というものを大事にしていきたい。本田技術研究所の大津社長は新領域の研究開発というまた違ったベクトルのホンダらしい価値を発信していますが、それだけではなくて、四輪は四輪のホンダらしいねという新しい価値を生み出していくことにも開発者たちの人の力が必要です。

Honda R&D Challengeの活動にはいろんな可能性が隠れている

――大津社長が出演されているCMでは「チャレンジして失敗を怖れるよりも、何もしないことを怖れろ」と発言されていました。チャレンジし続けることがホンダらしい魅力あふれるクルマづくりに結び付いてほしいと思います。他社の取り組みに目を向けると、バイオ燃料や水素で走るクルマなど、環境車への取り組みが目立ちます。それらと比べると、ホンダのチームは旧態依然としたレース参戦に見えそうですね。

柿沼氏:カーボンニュートラルに向けた要素はホンダでも研究開発しているので、この活動とコラボレーションして表に出していく可能性があると思います。いまのS耐は各社の実験場になりつつあるし、注目度の高いレースカテゴリーですから、そういう方向に向かうのも必然だと思います。もちろん、これまでと同じことを続けるのは難しいと思っていますし、この活動の延長線上にそういう話とコラボレーションしていくことは必然だと思っています。そうした意味では、HRCだけでなく本田技研工業の人たちがこの場に顔を出してくれる日を楽しみにしています。

――こうした未来の人材を育てる活動を行なう意義がホンダ社内で存在意義を高めていくといいですね。いま輝いて見えるトヨタでさえ、かつては社内の人たちに彼らがレース活動を行なう意味を理解してもらうことが難しかったそうです。活動を続けていくことが実を結び、結果的にお客さまに向けて素晴らしいクルマを提供することに繋げていってほしいです。

柿沼氏:僕はホンダで31年間働いてきましたが、不器用ながら入社してきたころの思いからブレずにやってきたつもりです。そういう思いで愚直にやってきたことの大切さを若い人に伝えたいし、会社としても大切にしないとホンダがホンダではなくなってしまう。ホンダらしくあることの大切さにきっといつか皆が気づいてくれるはずだと思いながら、こういう活動を続けています。

――私たちは自分たちが育った時代の空気を受け入れながら生きざるを得ませんが、時代がどう変わろうとも、ホンダのクルマづくりにおいては、ホンダらしさを失わないでほしいと願っています。こうした時代だからこそ、失敗を怖れずにチャレンジし続けていく皆さんの姿が見られることを楽しみにしています。

勝つか負けるかのレースの世界じゃないと得られない経験

本田技研工業株式会社 コーポレートコミュニケーション統括部 広報部 兼 ニュルブルクリンク ドライビングインストラクターの木立純一氏

 チーム代表で最終スティントを走った木立純一さんにも、24時間レースを終えてからお話を伺わせていただいた。

――Honda R&D Challengeは何年も活動を続けてきて24時間レースをようやく完走を果たしましたが、感想はいかがですか?

木立氏:人づくり、クルマづくりに貢献することを一番の目的として、それを目指していく1つのステップが今回の24時間レースでした。私たちはレースをやるための組織ではなく、クルマを作るための組織の中でレースをしてきている。最初は素人集団だったので、いろんなことが起きたし、レース屋さんからすればあり得ないこともたくさんやってきたんです。

 それが2017年にレース参戦をスタートして、ステップを踏みながら徐々に変わってきていろんな経験をすることで人が育ってきています。クルマはレース専用車両ではなく、最初は量産車として作られたクルマをサーキットに持ち込んでいるから、高G、高負荷で走らせると一般道では起こらない挙動変化が起こりました。例えば、ブレーキが効かない、ふらつきが起こる、曲がらないというのもその1つです。それを1つ潰すと、次の問題が出てきたりします。不安要素がありましたが、どんどん進化して熟成されてきた。それがようやく落ち着き始めたのが今年。失敗が引き出しとなって、今年の鈴鹿のレースあたりからようやく変わってきました。まだまだレベルは低いですが、2年前と比べてだいぶ進化してきています。

――シビック タイプRはニュルブルクリンクのような過酷な環境でFF最速タイムが刻めるようなマシン。サーキットで走るポテンシャルは備わっていると思われますが、難しい部分があるものなのですね。

木立氏:ニュルでいうと、スポーツラジアルタイヤを付けて走るなら安心して走れます。ただ、レースで使うスリックタイヤを履くとなるとグリップの高さによる絶対的なスピードは変わってきますし、そもそもニュルはグリップが低い路面で走るので日本のサーキットと状況が異なります。

――今季のスーパー耐久ではハンコックのスリックタイヤを装着しなければなりませんが、違った課題を与えられて試されているような状況ですね。

木立氏:日本のサーキットは路面のμも高いし、スリックでタイヤのグリップが使える摩擦円自体が量産車のタイヤと比べて大きくなることを考えると、新たな課題が出てきます。量産車づくりにおいてはそういうフィールドで限界走行はしないので、今回こういう経験をさせてもらう中で新たな領域に入ってきている。ドライバーの走らせかた1つをとっても、今までの考え方は通用しなくなってきています。F1ドライバーではありませんが、サーキットを速く走らせる、その中で他車とバトルする上で走行ラインを変え、ブレーキの踏み方を変えてと、いろんな操作が求められる。テストドライバーはそうしたことはやらないので、技量を試す点でいい経験になっています。

――その点、木立さんはニュルブルクリンクなどで社内のトップガンを育てる仕事もされていますが、そうした立場で役立つこともありそうですね。

木立氏:レースを経験した今は、今までのやり方だけではクルマの評価は足らないと思っています。ニュルがゴールではないし、ニュルを外すこともできない。サーキットを使った高負荷・高Gの車両コントロール、いわゆる感性領域のセンスをもっともっと磨いていかないとクルマの評価はさらに上にいけないと思っています。

――木立さんは以前、人の能力を超えたクルマづくりはできないとおっしゃっていましたよね。

木立氏:ポルシェだとかBMWなど、ドイツ系のエンジニアはニュルを普通に走れる技量を持っていますし、もちろん、普通のサーキットのレースに出てトレーニングしている可能性もあると思います。

――今後皆さんがクルマを作る上では、レースで得た知見をもって取り組むことで引き出しが増えると思いますし、いい影響がありそうですね。

木立氏:今回の24時間レースの挑戦では私を含め、開発責任者の柿沼をはじめとする皆がレースに関わることで、クルマづくりだけではなくて、体制やマネージメントを全部含めていろんな引き出しが増えてきました。それが今年の24時間で、成果の1つとして現れてきたのだと今は思っています。

――そうした取り組みは続けていくことが重要ですし、今年はフル参戦でいままで経験したことのないサーキットを走ることになる。そのあたりはいかがですか?

木立氏:不安要素を超えていかないと次のステップにはいきません。誰も行ったことのないコースもあったりします。そういうところで経験が試されると思います。そうやって1年を通していくことで、戦い方も変わってくると思いますし、チームとして強くなっていくと思います。

――この特別自己啓発活動に参加している若いホンダ社員の皆さんに、どんなことを期待していますか?

木立氏:エンジニアとしてもドライバーとしても、自分の限界を超えて、「勝てないからこれでいいや」と諦めずにチャレンジしていくことで得られるものって違うと思うのです。これは時間に迫られ、勝つか負けるかのレースの世界じゃないと得られない経験で、普段の仕事や生活の中ではここまでシビアな世界はないと思います。ただレースをやるだけではなくて、自分の中でチャレンジしていく。そのために努力していくということを継続してやることで、いいエンジニアになってほしいと思います。

――問題に直面し、課題をもって取り組むことで自分自身が進化していく。そうした喜びを感じながら世の中に貢献していける人材に育っていくことを願っています。私自身もそうした皆さんの活動を目撃できたことを嬉しく思います。ありがとうございました。