インプレッション
トヨタ「MIRAI(ミライ)」(公道試乗)
Text by 河村康彦(2015/5/25 00:35)
まさにその体(たい)を表すかのような「ミライ」という名称は、世界の仕向け地に向けて共通のもの。当然ながら、まずは“燃料である水素”の供給施設の周辺地域からがメインとはなろうものの、「一般ディーラーで誰もが購入可能」という点が大きな話題となった世界初の量販型燃料電池車が、いよいよ公道上を走り始めた。
そんなミライの初の公道試乗会が開催されたのは横浜の市街地。ここを基点にすると、30分も走れば3個所の商用水素ステーションにアクセスできるという立地のよさも、このロケーションが選択をされた理由の1つであるようだ。
ところで“燃料である水素”というフレーズを用いたが、燃料電池とは水素を燃やすものではないから、実はこの表現は不正確。いや、もっと言えば「燃料電池」というネーミングそのものにも問題がある。それは、水素と空気中の酸素を化学反応させて電気を起こす“発電機”で、決して電池などではないからだ。
というわけで、本来であれば燃料電池車とはそうした水素を用いる発電機を搭載した電気自動車と訳するのが正解。ちなみにミライの場合、減速回生エネルギーの回収を主目的に、そこに「カムリ」用と同じニッケル水素バッテリーを用いたハイブリッド・システムを組み合わせている。
すなわち、言い方を変えればそれは「エンジン部分を、水素を用いる発電機へと置き換えたハイブリッド車」でもあるのだ。こうなると、こうした要素から成るシステムを備えた燃料電池車を、これまでハイブリッド車を普及させてきた実績のあるトヨタ自動車が世界で最初に手掛けたという事実にも、スッキリ納得がいくはずだ。
ちょっと変わった外観、例外的なまでに個性が強い内観
燃料電池の動作に不可欠な空気を大量に取り入れることをイメージしたという、実は機能を持たないフロント両サイドの大きなインテーク形状など、ちょっとばかり奇をてらった印象が否めないミライのルックス。それは、燃料電池車の普及はもとよりこの先の水素社会の実現を牽引して行くべく、政府なども交えてインフラ整備を推進させるための話題作りに不可欠な、“目立つカタチ”を狙ったことによる結果でもあるという。
低重心が実現させる走りや世界でより幅広いユーザーを狙うと同時に、公用車としての需要も意識をした結果、「4ドアセダンとするのに迷いはなかった」というボディーは、それゆえ「プリウス」よりは多少空気抵抗が大きいとのこと。ボディーサイドのフロア部分から後輪上へと流れるように上昇するラインは水滴型を表現と、燃料電池の動作で水が生じることをイメージしたものでもあるという。
そうしたちょっと変わった外観に対応するように、インテリアのデザインも日本のセダンとしては例外的なまでに個性が強い。センターメーター式の左右対称ダッシュボードを基調としながらも、そこに左右非対称形状のセンターパネルとコンソールが組み合わされたことで、これまでにない新しさを表現。足踏み式のパーキングブレーキが“旧さ”を醸し、タッチ式と静電式スイッチから成る空調の操作性に難があることは残念だが、それでも目にした瞬間に「ちょっと乗ってみたいナ」という思いを誘うインテリア各部の造形は、質感を含めてなかなか頑張った仕上がりだ。
ただし、このサイズのセダンとしては後席の居住性がタイトである点に触れないわけにはいかない。フロントシート下に置かれた燃料電池スタックのため、そこに足先を差し入れることができないし、「ゴルフバッグ3個」にこだわったトランクスペースを確保の上で、シートバック背後に水素タンクと駆動用のバッテリーをレイアウトしたために、足下スペースも決してゆとりが大きくはないのだ。
好意的に受け取れる燃料電池車ならではのサウンド
620mmというやや高めのヒップポイントの設定で、乗降性に優れたフロントシートへと腰を下ろし、ミライで走り始める。
日常的に多用する緩加速スタートでは、ほとんど無音を実現。さらにアクセル踏み込み量が増すと、燃料電池の反応を高めるべくそこに空気を送り込むコンプレッサーの高周波音が耳に届き始める。それはもちろん、既存のエンジン車とは異質なもの。だがボリュームは小さく、またアクセル踏み込み量や加速力ともリンクして変化するので、“燃料電池車ならではのサウンド”として好意的にも受け取れそうだ。
車両重量は1850kg。そこに113kW≒154PS相当という出力スペックでは、加速は緩慢かとも思われそう。しかし、実際には走り出し時点から得られる335Nmというトルクが威力を発揮して、特に街乗りシーンではなかなか俊敏、かついかにも電気自動車らしいアクセルレスポンスの鋭さが心地よい。
全般に静粛性には優れるものの、速度が増すに連れて相対的に目立つのがロードノイズ。今回のテストドライブでは後席での走りも試すことができたが、そんなノイズはより大きく感じられた。と同時に、滑らかな路面上ではしなやかに感じられた乗り味も、継ぎ目を通過したり段差を乗り越えたりと、路面が荒れるほどにショックが急速に強まってしまう。そうした印象もやはり、後席の方が強めの感触だ。
このあたりは、リアにプリウス系で用いられるユニットをアレンジした、トーションビーム式サスペンションによる限界という印象。公用車ユースを筆頭に、ショーファードリブンとしての用途では、この後席での狭さと乗り味はちょっとばかり課題アリだ。
現実味を帯びてきた水素社会
世界に先駆けて「誰もが買える」状態で発売された、燃料電池車のミライ。まだ白紙の状態に等しい水素供給インフラ構築への積極的な後押しの姿勢を含め、それがこの先の自動車全般の世界をさらに広げて行くための、価値ある一歩目であることは確かだ。
けれども、そんな燃料電池車を“究極のエコカー”と持てはやし、その登場をもって内燃機関(エンジン)を搭載するクルマの終焉などと結びつけようというのであれば、それは余りに短絡的に過ぎるし、前のめりの度が行き過ぎていると、そう感じざるを得ない。
確かに燃料電池車は、走行時には(水を除くと)ゼロエミッション。だが、そもそも“燃料”である水素は自然界には存在しない物質で、それを作り出す過程で多量のエネルギーを消費し、CO2を排出するとなれば、それはとてもエコカーなどとは呼べない代物になってしまうのは自明だろう。
水の電気分解、各種ガスやバイオマスの改質、副生成水素の純度向上など、燃料電池用の水素を作り出すには多数の方法があることが知られている。しかし、いずれもその過程で電気や熱などのエネルギーが必要。この段階を効率よく、クリーンに解決しない限り、燃料電池車は決して「究極のエコカー」などには成り得ないのだ。
そもそも太陽光や太陽熱、風力などでクリーンな電力を起こすのであれば、「そのままそれでピュアEVを走らせる方が賢い選択」と、そんな声も現れそう。ただし、そうした大規模な発電設備を設置できるのは、多くは都市部から遠く離れた場所。せっかく発電しても、長距離の送電により大きなロスが発生するのであれば、そこは一度水素に変えて輸送や貯蔵を行い、使用時に再び電気へと戻すのが得策なのでは……と、燃料電池の真の優位性は、どうやらこのあたりにありそうだ。
ミライの登場によって、そんな水素社会の夢がおぼろげながらも現実味を帯びてきたようにも思う。ビジネス面で考えれば、現段階では水素を作る人も、供給する人も、クルマを作る人も、恐らくは誰1人して純粋な利益は享受できないはず。それを、多額の補助金を用いて何とか回していこう、というのが現在の燃料電池車の置かれた状況だろう。
だが、ここでそれをムダと言うつもりはない。それはこれからの時代、世界のさまざまな地域で、さまざまな地の利を生かした多種多様な動力源を搭載するクルマが走り回るための、欠かすことのできない第一歩への布石でもあるはずだからだ。