【連載】橋本洋平の「GAZOO Racing 86/BRZ Race」奮闘記

第56回:関わってくれたすべての人に感謝。シリーズチャンピオン獲得できました

シリーズチャンピオン、獲得できました

 速報でもお伝えした通り、2019年シーズンのGAZOO Racing 86/BRZ Race クラブマンシリーズエキスパートクラスにおいて、シリーズチャンピオンを獲得することができました。苦節7年。ようやくタイトルを手にできたことはとても嬉しいです。これまでご協力いただいた多くの皆さま、そして失敗だらけのオッサンの記事をご覧いただいた読者の方々、いままで僕を後押ししていただき本当にありがとうございました。関わってくれたすべての人が1人でも欠けていたら、こんな結果にはならなかったと改めていま感じています。

 思えば頭金5万円の84回払いで86を購入し、はじめは車載のパンタジャッキでタイヤ交換をしていたアラフォーのオッサンがここまで来られるなんて誰が想像したでしょう? 周囲のチームがジャッキやテントを貸してくれたところから始まり、スポンサーさまが拡大し、次第に環境が充実。プロドライバーのアドバイスも頂戴しながら、本当に少しずつではありますが、成長して来られたと思います。重ね重ね皆さまありがとうございました。

 ……と、ややいつもとは違う書き出しになってしまったが、改めて最終戦の岡山国際サーキットでの出来事を振り返ってみたい。前回のツインリンクもてぎ大会終了時点で、シリーズ優勝争いをする権利があるのは僕と水野大選手だけに絞られていた。その差はわずか1.5ポイントで、実質イーブンという状況での岡山大会だったのだ。今回のレースにおいて、上位でゴールした者がシリーズチャンピオンとなる。

 だからチームも師匠・佐々木雅弘選手もいつも以上に本気で取り組んでくれた。クルマは万全の整備を行なった上でセットアップを開始。ある程度これでいいだろうと煮詰まったところで佐々木選手にチェックしてもらうことも行なった。

 そこで佐々木選手は、リアスプリングのプリロードを1回転上げようと言ってきた。どうやら、旋回中の一番Gが出るところでリアがバンプラバーに当たった瞬間にテールスライドが始まることがマイナスだと考えたようだ。セッティング変更した後に乗れば、たしかにその症状は見事に収まっていた。だが、車高が結果的に上がってしまったことで、リアの安定感が薄いようにも感じる部分があったのだ。

 そんな不安要素を語ると、今度はメンテナンスガレージのレボリューションが秘策を出してきた。それは、より安定性やトラクションが得られるLSDにチェンジしようというのだ。プレートの組み方次第で効き方や強さがどうにでも変化してしまうLSD。これを丸ごと違うものにしようと、違うデフケースを持ってきたのだ。用意周到なその動きには改めて驚かされるばかり。将棋じゃないが数手先を常に考え、ガレージで事前に準備してきてくれたらしい。それをセットすれば、クルマは文句が一切出ない仕上がりとなった。まさに総合力で完璧なまでのマシンが仕上がったのだ。

 一方でドライビングのチェックもいつも以上だった。走行する度にデータロガーやインカービデオのチェックを行ない、僕のドライビングのわるい部分を指摘してもらうことに。佐々木選手が記録したデータにいかに近づけるかに注力していた。

 こうして仕上げたクルマとドライビングは、練習走行中からおおむねトップタイムをマーク。路面状況などによって、時おり2番手となることもあったが、その時にトップを取っていた選手はライバル視している水野選手ではなかったのだ。これなら十分にシリーズチャンピオンはイケる! そう信じていた。

最悪の予選

 そんな自信満々で挑んだ予選。開始前にピットで準備をしている段階では、路面はウェットからハーフウェットへと乾いていく方向だった。よって、15分間となる予選では後半の方がタイムを出しやすいのではないかと想像していた。だが、雨雲レーダーを見ていると、5分後から雨の可能性があるとのこと。どう立ち回るべきなのか? 誰もがあたふたしていた。そこで佐々木選手がアドバイス。「いま戦うべきは水野選手なんだから、彼と同時に予選アタックした方がいい。順位なんか関係ない。ガチで行きなよ!」と。たしかに天候はどう転ぶか分からない。予選開始と同時に出て行ったところで、後半路面が乾けば水野選手の方が有利になる。ならば佐々木選手の言う通りだ。水野選手の上にいればいい。ただそれだけに注力することにしたのだ。

 予選が開始して半分が過ぎたころだっただろうか? ピットには僕と水野選手しかいないという状況だった。後に水野選手に聞いたが、僕が出るまでピットに留まろうと考えていたようだ。だが、しびれを切らして水野選手がコースイン。僕はそのあとに続いた。すると、なんということか、コース上は豪雨に……。この週末、一度も当たらなかった雨雲レーダーの予報がドンピシャで当たったのだ。その時点で下位に沈むことを覚悟した。どう考えてもハーフウェットの状況でアタックした選手のタイムには追い付けないと考えたからだ。この状況で水野選手よりも速く走るしかない。

 水野選手との間合いを取ってアタックを開始すれば、みるみる水野選手のテールが近づいてくる。ウェットを得意とするブリヂストン「POTENZA RE-12D」のおかげだろう。確実にライバルのタイヤより速いことをこの時に感じていた。だが、あまりにも接近してしまうため、もう一度間合いを取り直さなければタイムアップは望めない。タイヤも温まり、いい状況で再アタックが必須だと考えた。この時、車載の時計を見れば予選終了の2分前。最後のラップにすべてを賭けようとした。

 だが、コントロールラインに戻ってくるとチェッカーフラッグが……。どうやら車載の時計とサーキットの計時システムにズレがあったらしい。最終ラップにアクセルを緩めてしまったことで、僕の最速タイムはその1周前に記録したものが採択され、予選は21番手。ライバルの水野選手は17位という結果に終わった。ここまで努力してきたことが時計の狂い1つで台なしになってしまった。シリーズチャンピオンの夢も消え、もう終わりだと落胆。気分は完全に腐り、諦めるばかりだった。

 それを見て怒ってくれたのは佐々木選手だった。「本当に終わりだと考えるならいますぐ帰れ! まだやってみなければ分からない。レースは終わっちゃいないだろ! レースは1人でやっているわけじゃない。みんなの協力があってここにいるんだぞ!」と。間もなく45歳にもなろうかというオッサンが本気で怒られたのだ。そこでようやく正気に戻り、まだまだ諦めちゃいけないと思い直すことができた。反省するばかりだ。みんなゴメン!

あっけない幕引き

 同日行なわれたヒート1。いつもの位置より遥かに後ろの21番グリッドの景色は、気持ちが折れそうなくらいスタートシグナルが遠い。けれども、1つだけ希望があったのは2台前に水野選手が見えることだった。あのクルマさえ抜ければ今回はいいのだ。もうプレッシャーもない。ただただ全力で前に進め! そう言い聞かせてスタートに挑んだ。

 だが、スタートは気合いが入り過ぎたのか、はたまたリアタイヤの温め方が足りなかったのか、今シーズンで一番のホイールスピンを引き起こし、順位をキープするのが精一杯。直後は大混乱に巻き込まれないように走るだけだった。これは順位アップするには厳しそうだと考えていたバックストレートエンドでドラマがあった。ライバルの水野選手が乗る305号車が、左ウインカーを出しながら失速していたのだ。クラッシュに巻き込まれたのか、はたまた車両トラブルが起きたのか? 何が何だか理解できずにその脇を通過。いつ水野選手が復活するか分からないので、1ポイントでも獲得できるようにと先を急いだ。

 レースはその後、前のクルマがコースアウトしたり、3台の多重クラッシュが目の前で起きたりという波乱の展開だったが、1台1台確実に抜き、気が付けば7位でチェッカーを受けた。10位以内に入っていれば少しはポイントがもらえるとホッと胸をなでおろしたのだ。

 その後、翌日まで車両保管となるため、保管場所までパドックをゆるゆると走行中、水野選手と出会った。「何があったの?」と問うと、水野選手は残念そうな表情で「ミッショントラブルでリタイアしました。シリーズチャンピオンおめでとうございます」と手を差し伸べてくれたのだ。そこでようやく状況が理解できた。チームのみんなが喜んでいたのはチャンピオン確定の合図だったのだ。てっきりイッパイ抜いたから喜んでいるのかと思いきや……。ややあっけない幕引きで、嬉しいことは嬉しいが、大喜びで騒ぐようなこともなく、ただただホッとするばかり。水野選手との一騎打ちで勝って終わりたかったところだが、それは贅沢ってもんだろう。

 そのせいか、翌日に行なわれたヒート2は守りに入ることなくガンガン行こうと決めていた。何としても表彰台を取って終わりたいと思っていたからだ。スタートをキメて1台をパス。バックストレートエンドでもう1台抜き、気づけば1周目に5番手。そして、3周目のバックストレートエンドで前3台が横並びになり、チャンスを伺っていた。

 だが、その瞬間、後続でクラッシュがあったためにセーフティカーが導入されてしまった。その後、セーフティカーランが続き、6周終了時点で解除となったが、チャンスは訪れることなく1台を抜くに留まった。最終結果は4位で終了。表彰台を逃す締まりのないシーズン終了となった。結果、ヒート1で7位、ヒート2で4位を獲得し、12ポイントをゲット。年間合計ポイントは137を記録。2位の水野選手は123.5、3位の鶴賀選手は120.5だった。

ヒート2の途中、セーフティカー導入。予選21位からのスタートで最終的に4位と、両ヒート合わせて17台を抜くことができた

今後について

 思い返せば今シーズンのはじまりはかなりの劣勢でスタートした。今シーズンから2ヒート制のレースが多くなり、トランスミッションをはじめとするパーツの交換サイクルが早まり、部品代を計算した結果、いまの予算ではフル参戦できないという答えが導き出されていた。だからこそ開幕戦を休むという、周囲から比べればマイナスからのスタートだったのだ。それが何の因果か、ライバルのトランスミッショントラブルで最後は勝利するという結果に繋がった。パーツのライフ管理をキッチリと行なってくれたチームには感謝するばかり。やはり佐々木選手の言う通り、レースは1人でやっているんじゃない。シリーズチャンピオンを獲得することができて、改めてそのことを思い知らされた1年だった。皆さま、応援ありがとうございました!

年間チャンピオンが決まったことが分かり、喜び爆発
年間表彰式にて。賞金100万円にご満悦!?

 さて、ここまで来るとあとは2020年シーズンをどうするのか? これはレース終了後からあらゆる方々からお声がけいただいた質問だ。クラブマンエキスパートクラスのチャンピオンナンバーであるゼッケン0をつけてふたたび同じ戦いをするのか? プロフェッショナルクラスに挑戦するのか? はたまたここで引退してしまうのか? シリーズチャンピオンを手にした瞬間、次なる課題が突き付けられた。

 考えれば考えるほど答えは難しく、悩みは大きくなるばかり。クラブマンエキスパートクラスの戦いは、今年のポイントランキングを振り返ってみても熾烈な争いを続けているから、もう1年やってふたたびチャンピオンを取れるのか否かはかなり微妙だ。一方でプロフェッショナルシリーズはそれ以上の戦いをしているからハードルが高く、現状の体制では立ち向かうことは難しい。だが、そこを目標にしてきたのだから、一度はやってみたい気がすることもたしか。そしてレースの引退を考えるのかとの問いにも、正直言って微妙だ。そろそろ45歳。デブでメガネで老眼で、しかも腰のわるいオッサンなんだから、そろそろ潮時だという意見もある。

 でも、そんな人間でもチャンピオンが取れたのだから、GAZOO Racing 86/BRZ Raceは夢があるレースだ。まだまだ走り続けたいし、まだまだ離れたくない。今はまだ確実なことは言えないが、何とかしてこの場に戻ってこられるように、シーズンオフはゆっくりと考えてみたいと思う。

プロフェッショナルシリーズは1号車の谷口信輝選手が、クラブマンシリーズエキスパートは84号車の私、橋本洋平が年間チャンピオンを獲得。ブリヂストンがGAZOO Racing 86/BRZ Raceの2クラスを制覇した
師匠の佐々木雅弘選手、メンテナンスガレージのレボリューションの皆さんには感謝しかないです
クラブマンシリーズエキスパートの参戦ドライバーと記念撮影。皆さま、1年間ありがとうございました!

橋本洋平

学生時代は機械工学を専攻する一方、サーキットにおいてフォーミュラカーでドライビングテクニックの修業に励む。その後は自動車雑誌の編集部に就職し、2003年にフリーランスとして独立。走りのクルマからエコカー、そしてチューニングカーやタイヤまでを幅広くインプレッションしている。レースは速さを争うものからエコラン大会まで好成績を収める。また、ドライビングレッスンのインストラクターなども行っている。現在の愛車はトヨタ86 RacingとNAロードスター、メルセデス・ベンツ Vクラス。AJAJ・日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

Photo:高橋 学