【東京モーターショー2011】 国内メーカートップ5名によるトークショー「5TOP TALK SUMMIT」開催 「自社以外で思い入れのあるクルマは?」 |
日本自動車工業会は、東京モーターショーの一般公開日初日にあたる12月3日、東京ビッグサイト西展示棟 アトリウム内ステージでメーカートップ5名によるトークショー「5TOP TALK SUMMIT」を開催した。
本来であればこのトークショーの前に、国内メーカー各社を代表するモデルや、記念車、ヒストリックカーなど約50台の車両によるオープニングパレードが行われる予定だったが、あいにくの空模様のためこちらは中止。トークショーは屋内での開催により予定通り行われた。
今回のトークショーには、日産自動車 代表取締役 最高執行責任者 志賀俊之氏、トヨタ自動車 代表取締役社長 豊田章男氏、本田技研研究所 代表取締役 社長執行役員 山本芳春氏、マツダ 代表取締役会長兼社長 山内孝氏、三菱自動車工業 代表取締役社長 益子修氏、さらに司会としてテリー伊藤氏が参加。国内自動車メーカーの代表が一同に会して行うトークショーというのは極めて稀なケースであり、それだけに非常に多くの来場者が会場に集まった。
トークショーでは、各代表に「自社以外で思い入れのあるクルマはなんですか?」と興味深い質問が用意され、それに回答していくところから始まった。
「ホンダ 初代シビック」と回答した志賀氏は、「18歳のときに免許を取ったのだが、貧乏学生だったので私はクルマを持っていなかった。しかし、大学で知り合った友人がこの初代シビックを持っていて、大学4年間はこのシビックに乗っている時間が非常に長かった」とし、免許取得後にもっとも長く触れたクルマとして思い出に残っていると説明。
豊田氏は、「日産 2代目スカイライン(通称:ハコスカ)」と答え、その理由について「私は小さいときから父に連れられて日本グランプリに行っていたのだが、第2回のとき日本車のハコスカがポルシェを抜いた。この功績は“日本の誇り”であり、強烈な印象が残った」と述べたほか、SUVを普通のクルマに仕立てた三菱「パジェロ」、豊田氏がエンジンに興味を持ったきっかけとなったマツダ「コスモスポーツ」、強烈に憧れたと言ういすゞ「べレット GT」、社内のテストコースであまりに気に入りすぎて乗り続けてしまったというホンダ「NSX」など、多くのクルマを例に挙げていた。
一方、山本氏はスズキの「TS50R(ハスラー50)」と2輪車を思い入れのあるモデルとして挙げた。その昔、山本氏は伊豆半島を1周何時間でまわってこれるかを試したことがあるそうで、そのときに使用したモデルがハスラー50だと言う。40年以上前は伊豆半島の道路は砂利だらけ、断崖絶壁のところが多かったそうだが、そうした悪路も軽い車体により軽快に走れたことが印象に残っているそうだ。
そして、「自社以外」との決めごとがあるにも関わらず、唯一自社の製品である「コスモスポーツ」を選んだ山内氏は、「本当にごめんなさい。しかし私にとっての思い入れのあるクルマはこれしかない」と言い、当時のモーターショーでコスモスポーツを見て、マツダに入社することを決意したことを紹介した。
また、日産「サニー(2代目4ドア)」と回答した益子氏は、「パブリカとサニーを迷ったが、どうしても1台に絞れということでサニーにした。新車で手に入れた最初のクルマがサニーだったが、そのときの嬉しさは忘れられない。今の若い方がそういう気持ちになかなかならないと聞くが、我々のときは家にクルマが来たということが大事件だった」とし、今の若い世代にもそういう気持ちになってもらえるようなクルマ作りをしていきたいとした。
余談だが、各メーカーの代表が選んだクルマに、トヨタ車がなかったのは豊田氏も気になったようで、「誰もトヨタのクルマを選んでくれなかった。大体益子さんは昨日パブリカって言ってたんですよ。それに山内さんなんか自社の選んじゃってますから堪らないですよ」と苦言を呈すシーンもあり、会場は大いに盛り上がった。
また、FMラジオ局と日本自動車工業会が共同で制作した「耳カー(みみかー)」を使い、クルマへの要望や期待などについて事前に街頭調査を行った。そのユーザーの声に各代表が答えるコーナーも設けられ、一例として「クルマの排気ガスが香水である、そんな夢のようなクルマを開発してもらいたい」「折り畳み式のクルマがあればいいと思います」といった声が寄せられていた。
(編集部:小林 隆)
2011年 12月 3日