オグたん式「F1の読み方」
小林可夢偉の発表について
(2012/12/27 13:51)
小林可夢偉は自身の募金支援活動サイトで、来年のF1参戦を断念することを発表。2014年のF1復帰への意向を合わせて表明した。
小林のドライバーとしての実力はとても高い。2012年のドライバーズランキングでは60ポイント獲得の12位だった。が、ベルギーGPでの予選や、日本GPでの予選と決勝など、際立った走りをした。実際のポイントランキング以上の実力があると筆者は思っている。イギリスのAutosport誌が発表した2012年トップ50ドライバーで、小林は28位だった。これはさまざまなレースやラリーも含めた全ドライバーを対象にしたもので、その中からF1ドライバーだけを抽出すると小林は9位だった。このトップ10入りはほぼ妥当だと思える。
これほどの実力が認められた立場でも、持参金を要求されるほどF1が厳しい現実になっているということは、先月記したとおり(http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/20121130_576148.html)。
一方で、小林はシート獲得の持参金の一部を確保するために、支援募金という手法をとった。この結果は、熱心なファンが多数いることを国内の多方面示すことにはなったと思う。だが半面、彼のマネージメントサイドが仕事を放棄したようにも思えた。
ドライバーのマネージメントは、単ににそばにいて雑用をすることではない。ドライバーがより戦いやすい環境になるように、ドライバーにとってよりよい選択と未来が開けるようにするのがその役割だ。そのためには、チームやスポンサーと交渉し、ドライバーのために必要なら言葉で戦い、必要なら頭を下げる。それでも、対象はあくまでもチームやスポンサーのはず。
だから募金活動を発表した時点で、マネージメントはその職責を放棄したと感じたし、小林はスタッフに恵まれなかったのかと思えた。
またこうした活動が大々的に報じられることは、他のドライバーにとって来季のスポンサー交渉にも悪影響が出ないかと心配になった。景気後退でスポンサーが撤退したり、支援額が減ったりすることも多いようだ。実際、SUPER GTでは活躍したにもかかわらず活動が終わるチームがあるほどだ。
そうした中でこうした募金活動やその募金額が報じられると、先述のようにファンのモータースポーツへの熱い支援の想いがあることも見える半面、ドライバーやチームがスポンサーとの交渉の席で「あなたも募金活動すれば」と言われる恐れも出てくる。プロのドライバーとしては今回の募金は禁じ手だったように思える。
だが、そこまでやらざるを得ない状況に追い込まれた小林のことを思うと心が痛む。F1には次から次へと若手が目指してくる。その中で一度シートを失うと、次のシート獲得はより厳しくなりやすい。才能豊かな小林でも、2014年のシート奪還はそう楽なことではないだろう。
だが、小林は諦めずにF1復帰を目指すと言う。彼の成功を切に願い、その幸運を祈りたい。
ハウクの見事な引き際
メルセデス・ベンツのモータースポーツ部長ノルベルト・ハウクが今月辞任した。
ハウクは、ドイツ・シュトゥットガルトの出版社でシュポルトアウト誌の編集長や出版部長を経て、メルセデス・ベンツのモータースポーツ部長に就任。22年間の在任期間中に、メルセデス・ベンツのモータースポーツ活動を積極的に展開し、多大な成功を収めてきた。
元BMWのヨッヘン・ニーアパッシュとのジュニアドライバープログラムでは、ミハエル・シューマッハ、ハインツ・ハラルド・フレンツェン、カール・ヴェンドリンガーの第1期生から、多くの才能を育成してきた。スポーツカーレースでは、ザウバー・メルセデスによるグループCや、AMGメルセデスによるFIA-GTで成功を収めた。DTMでもメルセデスが強さを発揮し、F3でも優れたエンジンを投入した。
そして、メルセデス・ベンツのF1復帰決定にも多大な役割を果たし、マクラーレン・メルセデスでのチャンピオン獲得、ホンダの突如撤退に苦しんでいたチームにエンジンを供給してブラウンGPとしてチャンピオンを獲得させたのも、その功績だった。
ブラウンGPをメルセデスAMGとして直轄のチームとし、そこに初代の育成ドライバーだったシューマッハを起用したのも、ハウクの裁量だった。だが、このメルセデスAMGチームは、ハウクにとってやり残した仕事になってしまった。
2010年からの3シーズンで優勝は1回(2012年中国GPでのニコ・ロズベルグ)のみ。そのほか表彰台も3位が4回だけという苦戦ぶりだった。シューマッハの復帰起用は、かつての育成ドライバーの「恩返し」という見方では好感を呼び起こした。が、ともに苦戦する姿に「起用は失敗だったのではないか」という声も出てきていた。そしてベンツ社内でもそのF1活動を疑問視する向きが出てきていた。
世界的な不況で自動車メーカー各社の新車販売が鈍ってきている中で、メルセデス・ベンツもその影響を受けている。こうした中で多額の費用がかかるF1チームの維持は楽なことではない。特にドイツの企業制度の場合、社長が統括する役員会の上にさらに監査役会という決定機関があり、この監査役会がとても強い決定権を持っている。そこには労働組合の代表もいる。もしも、従業員のレイオフなどに及べば、成功を収められないF1チームの存続が、労働組合の代表から監査役会の俎上に上げられる危険性もある。
今回、ハウクは辞任するにあたりF1チームが成功を収められなかったのは「ひとえに私の責任」と発言し、全責任を1人でかぶった。こうすることでメルセデスAMGチームのロス・ブロウン代表と、ニキ・ラウダ名誉会長らに少しの猶予期間を与えた。そして、DTMやF3などにいる若手ドライバーたちに、F1チームという夢と希望と目標を残すようにした。
ハウク在任期間の長さと年齢を考えれば、そろそろ引退の時期でもあったはずだが、失敗の全責任をかぶって残った者に希望を託すという姿勢は本当に見事だった。
F1トップの後継者は?
ハウクが辞任を発表した一方で、ほかにも辞任を迫る声も聞こえ始めた。それは、F1のトップであるバーニー・エクレストンに対するルカ・ディ・モンテゼーモロ・フェラーリ会長の発言だった。
そもそもの発端は、最終戦のブラジルGPでベッテルが黄旗区間で追い越しをしたのではないかという確認を、フェラーリがFIAに求めようとしたことについて、エクレストンが「ジョークだ」と反発したことにあった。これに対して、モンテゼーモロはエクレストンのF1の統括ぶりこそが「ジョークだ」と反論し、エクレストンに辞任すべきと発言した。
モンテゼーモロは、現在の厳しいテスト制限があるF1はコンストラクターのマシン開発にとっても、若手育成にとっても好ましくなく、これを実施しているエクレストンの姿勢を批判していた。
この辞任を促す発言に、エクレストンはまだやることがあるとして対抗した。確かにエクレストンは今も元気で精力的だが、1つ心配なことがある。それはエクレストンの82歳という年齢である。
では今すぐ後継者になれる人材はいるのだろうか?
エクレストンは、カネにうるさい人物のようにだけ揶揄されることがある。だが、半面F1をここまで盛大な世界的なスポーツイベントにし、大きなビジネスにしたのはエクレストンだった。その過程でF1界を取りまとめるために、自らのブラバムチームの必勝マシンだったBT46Bファンカーの出走自粛など、自分のチームを犠牲にしたことも多かった。テレビ放送の向上のために多額の私財も投入していた。そして、自身も若いころにはF3レースにドライバーとして参戦するなど、モータースポーツへの深い造詣と愛もある。
エクレストンの功績を見て、その後継者に求められる要件を考えてみた。
・F1全体を広く見る視野と全体をまとめる優れた統率力。
・F1のビジネスを維持発展させる、優れたビジネス的才覚と交渉力。
・F1に対する深い造詣と愛情。
一時は、ベネトンやルノーのチーム代表だったフラビオ・ブリアトーレがその候補と言われた。しかし、ブリアトーレはビジネスに優れた才覚があるが、F1に対する造詣と愛情がなく、関係者からの人望がなかった。ロン・デニスはほぼすべての要素を満たしているが、我田引水な姿勢が他チームから好かれない。
モンテゼーモロは、全ての要素を備えている。1970年代と1990年代に弱かったフェラーリチームを立て直して黄金時代を築き、会長任期中にフィアットグループの経営を立て直したというカリスマ的な統率力もある。サッカーのイタリアワールドカップ、トリノ・オリンピックを成功に導いた優れたプロモーターとしての経歴もある。モータースポーツにも深い造詣と愛情もある。しかし、フェラーリとのつながりが強いため、他チームはモンテゼーモロがエクレストンの後任になることを快く思わないだろう。しかも、FIA会長がモンテゼーモロの元でフェラーリの監督だったジャン・トッドということを思うと、他チームは余計に警戒してしまうだろう。
もう1人有望な人材としては、レッドブルチームのクリスチャン・ホーナー代表もいる。若く、才覚もあり、ドライバー経験も備えたモータースポーツに愛情を持つ人物である。だが、現状ではレッドブルがホーナーを手離さないだろう。また、レッドブルチームが現在F1チームの多くが所属するFOTAから脱退したことで、他チームに快く思われていないという難点もある。
我がままが多く集まるF1チームをこれまでうまくまとめあげ、F1を巨大なスポーツイベントにしたエクレストンは賞賛に余りある功績を挙げてきた。だが、人間も他の生物同様、不老不死ではない。エクレストンが元気なうちに彼の後継者になれる人物を指名し、引き継ぎの準備をしたほうがよい時期に来ているだろう。
2013年へ
FIAは12月定例のワールド・モータースポーツ・カウンシルを開催し、いくつかの決定をした。
F1に関しては、2013年と2014年のレギュレーションを若干変更したが、来年3月までにまた変更があるかもしれないので、ここではまだ触れないことにしよう。
来年のF1開催日程も変更があり、7月21日決勝とされていたドイツGPが、7月7日決勝に変更された。そして、7月21日にはヨーロッパでのF1開催1戦として、開催地は後日発表とされた。そこには、トルコ、オーストリア、フランスが候補と目されている。
FIAは本当にファンのことを考えているのだろうか?
前年の12月になっても翌年の日程が決定できず、確定は翌年持ち越し。これでは、ファンはF1の観戦旅行スケジュールが立てにくくなる。また、こうしてF1の日程が変わることで、各国の国内レースの開催日程や、国内レースを見ようとするファンのスケジュールにも影響してしまう。
この影響はF3にも波及した。来年からユーロF3は、FIAによるF3ヨーロッパチャンピオンシップとなるが、その中のノリスリンク戦はDTMと併催となっている。ところが、このDTMとF3のノリスリンク戦は7月7日に予定されていたが、F1ドイツGPが7月7日にされたことで、DTMノリスリンクは7月14日に変更された。
ところが、これではF3ノリスリンク戦とF3世界一決定戦のザンドフールト・マスターズ(旧マルボロー・マスターズ)が同日になってしまう。どちらかが日程を変えないと、F3ドライバーはどちらかの参戦を断念するしかなくなってしまっているのが現状だ。
このほかにもDTMとF3はノリスリンク戦の変更によって、他のラウンドの日程変更も余儀なくされてしまった。これは、シリーズオーガナイザーはもとより、開催サーキットやプロモーターもさまざまな変更を迫られ、余計な労力や出費を強いられることになりかねない。
モータースポーツ全般の普及と振興を目指すFIAなら、やはりもっと早い段階で国際レースの開催カレンダーを確定すべきだ。理想を言えば、12月には翌々年の開催日程に関する暫定版を発表できるようにすべきではないだろうか。
さまざまなモータースポーツの魅力
今年もF1、インディカー、WEC、フォーミュラ・ニッポン、SUPER GT、全日本F3、マカオGP、WTCCなど、それぞれの魅力を再発見できた。さらには、2輪の全日本選手権、鈴鹿8時間耐久も魅力的だった。鈴鹿とツインリンクもてぎで開催されたEne-1 GPは、未来への技術と未来への人材が育つ場としての素晴らしさもあった。グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードや富士スピードウェイでのジャパン・ロータス・デー&クラシック・チーム・ロータス・ミーティング2012、鈴鹿サーキット50周年など、ヒストリックイベントの世代を超えた楽しさも体感できた。
このコラムの最終章にF1以外のことを書き加えるようにしたのも、さまざまなモーターポーツのことをお伝えすることで、より新たな面白さを見つけるきっかけとなればと願ったからだ。また、さまざまな競技やイベントの魅力を発見することで、F1についてもこれまでとは別の新たな魅力を再発見していただくきっかけになればとも思ったからだ。
さて、来年はどんな魅力が見つけられるだろう?
まずはダカールラリーから注目しようと思う。先日拝見した映像では、かつて北アフリカの砂漠を舞台にしたパリ・ダカールラリーと、現在の南米を舞台にしたダカールラリーではまったく別のものであり、そこにはまた新しい魅力があることも発見できた。それをもう少し突っ込んでみたいと思う。
経済環境は世界的に芳しくなく、モータースポーツの置かれている状況は決して楽ではない。でも、そこで情熱を注いで頑張っている人たちがいるし、そこには夢や感動もある。
来年もなるべく広い視野をもって見聞きしていき、それをご報告できればと思っている。皆様にとって2013年がよりよく、より楽しい年となりますよう。