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住友ゴムとNEC、タイヤ開発における熟練設計者のノウハウをAI化 2023年の二輪用タイヤ開発から本格活用開始
2022年11月16日 08:10
- 2022年11月15日 発表
住友ゴム工業とNEC(日本電気)は11月15日、タイヤ開発における熟練設計者のノウハウをAI化することに成功したと発表した。これを「匠設計AI」と呼び、「目標台上特性値AI」と「最適仕様提示AI」で構成。2023年から開発するモーターサイクル用タイヤにおいて、開発したAIシステムの本格活用を開始し、その後、乗用車用タイヤなど、他のカテゴリーにも展開する。また、材料開発部門などと連携して、タイヤ開発AIプラットフォームを構築していく計画も掲げており、2030年を目標に完成させるという。
住友ゴム工業 常務執行役員 タイヤ技術本部長の國安恭彰氏は、「製造業では、生産年齢人口の減少による人手不足や、熟練技術者の高齢化が進んでおり、技術、経験、ノウハウを次世代に伝承するとともに、デジタル技術を活用し、これらを見える化することが急務になっている」と前置きしながら、「タイヤ開発は理論通りにならないことも多く、熟練した設計者のノウハウに頼る部分が大きいのが実態である。今回のAIは、熟練技術者のノウハウを次世代に伝承するために、NECとの協業により開発したものであり、官能評価の解析や改善策考案の自動化ができた」と述べた。
タイヤの官能評価の解釈は、熟練の設計者とテストライダーのコミュニケーションにより成り立っており、これまでは体系化が困難な領域だったが、住友ゴムの熟練設計者と、NECのデータサイエンティストが共同で作業を行ない、官能評価の解釈に関するコミュニケーションをAIが学習できるデータに体系化。官能評価の解釈および改良案考案のAI化を実現した。
また、これまでは、OJTによる属人的な伝承が中心だった「匠」の思考プロセスを見える化し、経験が浅い設計者に対しても、改良案考案の過程や、ノウハウなどの技能伝承も可能にするという。
住友ゴム工業 タイヤ技術本部 技術企画部長の山本卓也氏は、「若手や中堅の伸びしろがいまひとつ足りないと感じていた。失敗すると開発期間が長期化するために、失敗する経験が少なくなっていたところに課題があった。失敗させ、学ばせることを、開発スピードを落とさずに実現することが必要であったが、単にノウハウをAI化した効率化ツールでは成功体験しかできず、本来の課題は解決できない。そこで、あえて複数の回答を提示し、根拠を示すことにより、自分の考えと比較させることにした。失敗を疑似体験できるようにしたことで、エンジニア育成のツールとしても活用できる」としている。
住友ゴムは、このAIを活用することで、若手設計者を、より高度な技術開発に集中させることができるようになると想定。将来的には、開発分野だけでなく、製造分野を含めたモノづくり全体に展開する考えだ。
住友ゴムの國安常務執行役員は、「住友ゴムでは、AIやビッグデータをより効果的に活用することで、創造的で生産性が高い研究開発環境を整え、持続可能なモビリティ社会の実現に貢献する安全、安心な高性能タイヤの開発につなげたい」としている。
一方、NEC 執行役員の清水一寿氏は、「NECは長年にわたり、AIに関連した研究に取り組み、さまざまな社会課題の解決や多様なニーズに応えてきた。NECではホワイトボックス型と呼ぶ説明可能なAIに取り組んでおり、熟練設計者が答えに至るまでの思考プロセスを見える化することが可能である。経験が浅い技術者がプロセスを理解できるため、人材育成にもつながり、育成された人材がAIと共生することで、AIの効果を将来にわたって維持することができる。また、説明可能なAIによって、失敗を疑似体験し、そこから学ぶことができる環境の実現にもつながる。技術継承、人材育成、AIの発展に貢献できる」とした。
また、「住友ゴムのタイヤ開発におけるさまざまな領域で、AI活用による業務改革支援を継続的に実施する一方で、匠技術の伝承のAI化ノウハウを活用し、同様の課題を抱えるさまざまな企業の課題解決にも貢献したい。製造業を中心に、技術伝承が喫緊の課題となっている企業に提案したい」と述べた。
今回のAIによる技術伝承のベースとなった人物は、住友ゴム工業 タイヤ技術本部 技術企画部 担当部長の原憲悟氏である。
1986年に住友ゴムに入社し、タイヤの設計開発に従事。大学時代からバイクやクルマのレースに参戦し、現在でもレースに出場。入社以来、「住友ゴムの異端児」と言われた存在だという。2022年7月に定年退職を迎えたが、嘱託として業務を継続している。3年前から教育や育成、ノウハウ伝承ができる方法の開発に着手し、今回の「匠設計AI」の実用化に至った。
「1990年以前のタイヤ開発は、ノウハウに頼る部分が多く、徒弟制度的にノウハウを継承してきた。一人前になるには最低でも5年かかったり、最初の上司が誰だったかが将来を大きく左右したりする職種であった。2000年以降は、教育体制の整備やマニュアルの整備などを行ない、ノウハウを共有するとともに、開発期間を短縮し、その時間を活用して、将来必要とされる技術を開発する先行技術開発チームを設置。技術力向上と開発の効率化を目指した。また、理論解析が必要な場合には、基盤技術チームがシミュレーションなどを行ない、得られた発見や理論を投入し、さらなるレベルアップを図っていった」という。
だが、タイヤの設計開発では、実車評価結果をもとに目標台上特性値を決定する官能評価の部分は、ノウハウの塊ともいえる部分であり、長年の経験が必要という状況は変わらなかったという。
乗用車の場合は、設計者が助手席に乗って直感的に知ることもできるが、モーターサイクルの場合は、テストライダーが試作タイヤを装着して走行して評価。そこで感じた課題を設計者に伝えることになるため、そのコメントを的確に捉え、設計に反映する必要がある。
だが、テストライダーの表現は、「中キャンバー以降の倒れ込みが課題。手応えはガチッ系で、舵角が付かず」といった内容であり、しかも、同じ現象が起こっても、ライダーによって表現が異なること、ライダーによっては擬音語が数多く登場することもあり、経験が少ない若手設計者には理解しにくい状況が生まれているとともに、目標台上特性値をもとにした仕様検討においても、熟練のノウハウが活用される部分が大きいという。
住友ゴムの原氏は、「実車評価結果、目標台上特性値の算出、仕様の検討、シミュレーションによる検討は、目標達成まで何度も繰り返される。一度のサイクルに1か月程度を要しており、ベテランほど、このサイクル数は少なくなる。サイクルを少なくできれば大幅な効率化につながる」と語る。
当初は判断材料や判断基準を提示するためにチャットボットの活用を想定したが、単純な振動現象に関する質問や回答だけでも、組み合わせは5500通り以上あることが判明し、実用化は現実的ではないことが分かり断念。だが、社内からAIを活用してはどうかというアドバイスをもとに、NECに相談したという。
NECで開発を担当したのが、NEC AI・アナリティクス事業統括部シニアエキスパートの近藤節氏である。
「困難ばかりの取り組みであったが、工夫と技術的対策によって解決をしていった。約1年半をかけて、データサイエンティストと匠設計者が泥臭く議論を重ね、学習データに工夫を凝らし、AIの精度向上を図っていった。さらに、単に答えを導き出すだけではなく、匠設計者の考える思考プロセスを見える化することで、技術伝承に活用することにもこだわった」とする。
今回の「匠設計AI」は、「目標台上特性値AI」と「最適仕様提示AI」で構成される。目標台上特性値AIは、匠設計者と同等のスキルを持ったAIが、台上特性値の改良案を提示するものだ。
「データが文章であり、しかも官能的な表現が多いため、解釈が難しいという課題があった。『やわらかい』という表現ではなく、『やわらかめ』と表現されたときにどう判断するのかが難しい。さらに、評価を解釈した上で、仮説を絞り込むために適切な質問の生成が難しいこと、過去の開発記録にはさまざまなスキルの設計者が実施したものが存在しており、すべてが正解のデータとは限らないため、再利用できないという課題もあった」とする。
これらの課題を解決するために、評価文を項目化し、意味が似ているデータをくくるという作業を行なったほか、事前に想定できる質問を準備して評価項目を整備。さらに、過去に開発したタイヤの試乗評価を見て、匠である原氏が考える改良案をデータとして起こし、これを学習させたという。
一方、最適仕様提示AIは、目標台上特性値AIによって提示された台上特性値を達成できる仕様をAIが提示するというものだ。過去の開発記録から設計仕様と、台上特性値の関係を機械学習し、そこから得た式を利用して、目標台上特性値AIが提示した目標台上特性値を達成できる設計仕様を、逆解析によって求めるという仕組みだ。「ここでは、マテリアルズ・インフォマティクスの考え方を応用している」という。
そして、ノウハウを技能伝承につなげるために、「グラフAI」を活用している点も大きな特徴だ。これは、原氏の思考プロセスを見える化する取り組みだといってもいい。
ここでは、過去の開発における課題、要因、仮説、改良案の関連性をグラフAIが学習。原氏が改良案に至る設計するプロセスを提示し、それを見ることで、経験の浅い設計者は原氏の考え方を学習し、自分の誤りや失敗の原因に対して気付くことができるという。「答えに対する『なぜ』が分かるようになる。改良に結びつかなかった原因も確認できる。グラフAIの適用によって、人材育成の効果も期待できる。グラフAIは、真の技能伝承を可能にできる」と述べた。