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スーパーフォーミュラに参戦するNAKAJIMA RACINGを支えるTCSのIT

今週末には富士スピードウェイでチャンピオン決定の最終戦が開催

TCS NAKAJIMA RACINGのSF19・ホンダ、65号車の大湯都史樹選手は鈴鹿サーキットでの第6戦でルーキーイヤーにして優勝の偉業を成し遂げた(提供:中嶋企画)

 日本最高峰のフォーミュラレースシリーズとなるのが全日本スーパーフォーミュラ選手権(以下、スーパーフォーミュラ)だが、今シーズンは他のシリーズ同様に新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大の影響でスケジュール通りのシリーズが開催できず、8月30日にツインリンクもてぎで開催された開幕戦からこれまで6戦が行なわれている。今週末(12月19日~20日)に富士スピードウェイで開催される予定の「2020年 全日本スーパーフォーミュラ選手権 第7戦」で、濃縮されたシーズンもグランドフィナーレを迎えることになる。

 そうしたスーパーフォーミュラやその前身になるフォーミュラ・ニッポン、さらには全日本F3000選手権などに長く参戦を続けているレーシングチームが「NAKAJIMA RACING」だ。その名前からも分かるように、日本人初のフルタイムF1ドライバーの中嶋悟氏が興したレーシングチームで、現在も中嶋氏が監督を務めている。現役時代のライバルでもあった、星野一義氏のチーム・インパルと共に双璧を成す日本を代表するレーシングチームと言える。

 そのスーパーフォーミュラにおけるNAKAJIMA RACINGのタイトルスポンサーを務めているのが、日本TCS(Tata Consultancy Services, Japan)だ。日本TCSはインドの巨大ITサービス企業であるTCS(Tata Consultancy Services)の日本法人で、さまざまなITサービスを提供しているが、実はNAKAJIMA RACINGにはファイナンシャルスポンサーとしてだけでなく、テクニカルパートナーとしても参画しており、さまざまなITサービスをチームに提供している。

インドのタタ・グループに属する巨大ITサービス会社のTCS、グローバルにはIBMやアクセンチュアに匹敵するような巨大な企業

第6戦で優勝した大湯都史樹選手の胸の部分についているのがTCSのロゴ(提供:中嶋企画)

 TCSはインドの巨大財閥であるタタ・グループのグループ企業で、グローバルには46か国で45万3000人超という従業員を抱え、2020年3月末時点での時価総額は907億ドル(日本円で約9兆3421億円)、2020年3月期の売上は220億ドル(日本円で約2兆2660億円)というまさに巨大企業だ。

 巨大過ぎて日本で同じ規模のIT企業という例が思い浮かばないが、グローバルで見るならばIBMやアクセンチュアが競合として挙げられることが多い。そのTCSの日本法人が日本TCSで、日本でTCSのさまざまなサービスを提供する企業として活動している。

 その日本TCSは、スーパーフォーミュラにおいて2017年からNAKAJIMA RACINGのタイトルスポンサーを務めている。NAKAJIMA RACINGはその名称からも分かるように、1987年~1991年まで5シーズンに渡り日本人初のフルタイムF1ドライバーとして参戦していた中嶋悟氏が興したレーシングチームだ。その運営母体である中嶋企画は1983年に設立され、中嶋氏が当時日本のフォーミュラレースの最高峰に参戦する際のエントラントになるなど活動を開始。

 その後、1987年に中嶋氏がF1に活動の場を移してからは若手ドライバーにチャンスを与えて、全日本F3000、そしてその後継シリーズとなるフォーミュラ・ニッポン、2013年からはスーパーフォーミュラと改称した日本のトップフォーミュラに途切れることなく参戦してきている。その間には1999年(トム・コロネル選手)、2000年(高木虎之助氏)、2002年(ラルフ・ファーマン氏)、2009年(ロイク・デュバル選手)と、4回に渡りドライバーチャンピオンを獲得しているというまさに名門チームだ。

左からTCS NAKAJIMA RACINGのドライバー大湯都史樹選手、日本TCSの井原氏、中嶋悟監督、牧野任祐選手(提供:日本TCS)

 すでに述べたとおり、日本TCSはNAKAJIMA RACINGのタイトルスポンサーを2017年から務めており、チームは「TCS NAKAJIMA RACING」の名称で参戦している。それだけを聞くと、単なるファイナンシャルスポンサーとしての活動に聞こえると思うが、実際にはテクニカルパートナーとしても迎えられており、TCSが得意としているITサービスを通じてチームに貢献している。

 テクニカルパートナーとは、金銭的なサポートを含むファイナンシャルスポンサーとは違って、いわゆる「現物支給」の側面が強い。例えばホイールメーカーではホイールを、オイルメーカーであればオイルをチームに供給する契約。チームとしてはレースで必要なそうした道具を無償で供給してもらえることがメリットで、その道具が他チームより優れているものを入手することができれば、競争で優位に立てるというメリットもある。

 特にスーパーフォーミュラでは、ワンメイクのマシン(現行では2019年から導入されているダラーラ製のSF19)にトヨタないしホンダの2メーカーのエンジンになり、エンジンが同じであればチーム間でマシンの差はセッティングの違い程度になるので、同じエンジンを使うチーム間の競争はそれ以外の要素(例えばセッティングだったり、作戦だったり)に依存することになる。そのため、チームとしてはテクニカルパートナーが質の高い製品などを提供してくれることは大歓迎であり、逆に言えばそういう小さい範囲の差が大きな差になってくる可能性がある。

まだまだ日本のレースチームではエンジニアの記録ノートや勘が頼りになっているところが多い

サーキットでエンジニアはこのようなタイミングモニターを見ながら紙のノートなどに記録していく。しかし、NAKAJIMA RACINGではデータをPCやタブレットなどでリアルタイムに処理することができるようになっている(提供:日本TCS)

 日本TCSが提供しているのは、ITサービスというデジタルを活用したサービスであり、目に見えるものではない。では、競争には影響がないのかと言えば、そんなことはないどころか、実のところ大きな貢献をしているという。それが、ITを利用したレースデータのリアルタイムでの可視化だ。

 レースの現場、つまりサーキットに行くと、レースというのは意外とアナログだと感じることが多い。例えば、タイミングモニターと呼ばれるレースの周回数や各ドライバーのラップタイム、区間タイムなどを表示するシステムはあるが、それはテレビに配信された動画が流されているだけという状態だ。つまり、各チームがそのタイミングモニターに表示されているデータをチームのエンジニア(セッティングを決めたり、ピットストップの作戦などの戦略を考える担当)のPCにダウンロードして使うといったことはできない。では、どのように計算しているのかと言えば、ノートなどの紙に記録しておいて、直接のライバルになると考えられる車両との差を頭の中で計算して作戦を決めている。意外とそうしたアナログなことが多く、エンジニアの経験や勘といった部分に頼ることがまだまだ多いのだ。

 日本TCSはこうしたアナログなモータースポーツのシーンに、流行の言葉でいうなら“デジタル・トランスフォーメーション”(デジタルへの移行)を持ち込もうとしている。エンジニアが紙と鉛筆での計算に頼るという従来型から、データドリブン、つまりデータを上手く活用して、エンジニアがより正しい作戦をデータを元にして判断することができる、そうしたITシステムをNAKAJIMA RACINGに提供しようとしてきた。

エンジニアたちは常にデータを見ながら、戦略を立てたり、セッティングを進めたりしていく(提供:日本TCS)

 手始めにやったのは、サーキットが各チームやメディアルームなどに提供しているタイミングモニターに表示される映像を画像認識で数字のデータにするという仕組みだった。その詳細に関しては2018年4月の記事で詳しく説明しているので、そちらをお読みいただきたいが、2018年時点のシステムではアナログをデジタルにしたという段階のシステムだった。もちろんそれだけでも、デジタルになっているだけやれることは増えるのだが、タイミングモニターの仕様が変わったときに対応する必要があるなど、いくつか課題があったことも事実だ。

今年TCSが導入した新しいシステムは公式ライブタイミングアプリのデータを元にクラウドベースで構築

日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ株式会社 デジタルトランスフォーメーションサービス統括本部 井原一氏(提供:日本TCS)

 そこで、今シーズンから日本TCSは完全に一新したシステムを導入している。大きな改良点は2つあり、1つはデータのソースをタイミングモニターから、スーパーフォーミュラのプロモーターであるJRP(日本レースプロモーション)が無償で提供しているライブタイミングアプリ(iOS/Androidのアプリ、Webブラウザで受信できる)に変更したことで、もう1つがシステムの中核部分をクラウドベースのサービスにしたことだ。

2019年までのシステム(出典:日本TCS)
2019年までのシステムでエンジニアが見ていた画面、Excelでアクセスしていた(出典:日本TCS)

 日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ デジタルトランスフォーメーションサービス統括本部 井原一氏によれば、「従来のシステムではサーキットごとにタイミングモニターのフォーマットが違っていたり、シーズン当初は新しいレイアウトになって対応が必要になるなどの弱点を持っていた。そこで、JRPが提供しているライブタイミングから直接データを手に入れる仕組みに切り替えた」と説明する。

2020年から導入されたクラウドベースのシステム(出典:日本TCS)

 JRPがファンサービスとして提供しているライブタイミングは、iOS(iPhone/iPad)とAndroid向けのアプリと、Webブラウザで見ることができるブラウザ版の2つがある。このうちブラウザ版に提供されているデータは、インターネット標準の手順(http)に基づいて転送しているので、そのデータを抜き取ることはさほど難しいことではない。実際にはサーキットでその処理を専用に行なうPCを用意して、データ化しているのだという。

 そしてそのデータは、Microsoftがパブリッククラウドサービスとして提供している「Azure」(アジュール)上に展開しているデータベースなどに格納されるようになっている。以前TCSがNAKAJIMA RACINGに提供していたシステムでは、サーキットにサーバーを持ち込む仕組みで実現されていた。これだと確かに性能は高く、レイテンシと呼ばれるネットワークを介することによる遅延も少ないのだが、その代わりレースごとにサーバーを設置する必要がある。

おそらくレース業界では初めてと思われるファン向けのモバイルアプリ。レースがスポンサーによる資金で成り立っている以上、ファンを増やすことはレーシングチームにとっては死活的に重要(出典:日本TCS)

 井原氏によれば、「実はすでにクラウドはチームのモバイルアプリ向けに使っていた。そこにアドオンする形でサーバーのサービスを追加して対応した」との通りで、すでにチームのモバイルアプリ向けに構築していたクラウドのシステムを拡張して、構築したという。追加したのはデータベースとなるCosmos DBに加えて、Azure AD B2Cという認証用のサービスを利用した。これは、NAKAJIMA RACINGのエンジニアがPCのシステムのログインにMicrosoftアカウントを利用していたためで、そのアカウントを利用してサービスへのログインを実現するためだったという。NAKAJIMA RACINGには専任のIT担当者がいないため、それでも簡単に利用できるように配慮したということだ。

 このように、システムはサーバーをローカルに置く「オンプレミス」からインターネット上のサーバーを利用する「クラウド」になったことで、より現代風のシステムに生まれ変わったといえる。

新しいエンジニアの画面、WebベースのUIになって見やすく、データの処理がより容易になっている(出典:日本TCS)

 そしてエンジニアやメカニックが見る画面も、従来はノートPCなどでMicrosoft Excelを利用してデータを見ていたが、WebブラウザベースのUIに変更したという(レース後にはExcelにデータを出力し、エンジニアが自分でデータを解析したりもできるようにしている)。これにより、より柔軟にエンジニアがリアルタイムにデータを閲覧することができるようになったという。選択した車両とのタイム差やラップタイム比較、ラップタイムの一覧などがひと目で分かるようにビューをエンジニアが望むままに切り替えていけるのが特徴になっている。

 これにより、例えば直接の競合となる複数台の車両とのラップタイム比較をレース中に行なうことができ、例えば義務づけされているタイヤ交換をどこで入ったらいいのかという作戦も、よりデータに基づいて決められるようになったのだという。

 井原氏によれば、その結果、チームのエンジニアからはタイヤマネジメントの作戦を立てるときなどに大いに役立っているというフィードバックをもらっているという。これまではドライバーのフィードバックを元に、どのタイミングでタイヤを使って前との差を詰めていくかなどは決めていたという。もちろん、今でもそれは重要な情報だが、それと同時にデータ(例えば他チームのドライバーのタイムの推移)などを元により多角的に決めることができるようになっているとのことだった。

最終戦には病気療養のため欠場となった牧野選手の代わりとして大津弘樹選手が64号車をドライブ

牧野任祐選手がドライブする64号車、残念ながら今週末のレースは欠場になる(提供:中嶋企画)

 このようにITを取り入れているNAKAJIMA RACINGだが、今シーズンは開幕戦から苦戦が続いていたものの、第4戦のオートポリスでチームのエースである牧野任祐選手が3位表彰台を獲得し、今シーズンからチームに所属してスーパーフォーミュラのルーキーシーズンを送っている大湯都史樹選手が10位と初めてポイントを獲得した。そして、続く2連戦として鈴鹿サーキットで行なわれた第5戦では、その大湯選手が8位に入賞。その翌日に行なわれた第6戦では2位グリッドからスタートした大湯選手がレース中盤にトップに立つと、後続の追い上げを振り切ってそのまま初優勝を遂げるという大活躍をみせた。非常に競争が激しいスーパーフォーミュラではルーキーが成績を出すのが難しいシリーズと考えられており、その壁をぶち破ってルーキーシーズンに優勝してみせた大湯選手は、新しいヒーローの誕生だ。

 今シーズンのスーパーフォーミュラは今週末(12月19日~12月20日)に富士スピードウェイで開催される予定の「2020年 全日本スーパーフォーミュラ選手権 第7戦」が最終戦となり、8月末からスタートした短く濃縮された今シーズンも締めくくられることになる。チケットは富士スピードウェイのWebサイトなどで販売されているが、チケットは前売りだけとなるので、チケットの販売期間である12月19日までに購入を完了しておきたい。今シーズンは新型コロナウイルスの感染拡大により、感染対策を万全にしてのイベント開催であるためこうした形になっているため注意したい。

 なお、この最終戦に向けてはランキングトップの平川亮選手、同点だが優勝数の差で2位の山本尚貴選手、3位の野尻智紀選手、4位ニック・キャシディ選手までチャンピオンの可能性を残しており、スーパーフォーミュラのチャンピオンという栄光の座を賭けて、5選手による激しいレースが展開されそうだ。

SUPER GT 第3戦で64号車 Modulo NSX-GTがポールポジションを獲った時の会見での大津弘樹選手

 すでにチャンピオン争いとは関係がなくなっているが、NAKAJIMA RACINGもこの最終戦に参戦し、特に大湯選手は2連勝を狙うレースとなる。なお、チームの発表によれば、牧野選手は髄膜炎を発症し療養中とのことで、今回のレースは欠場となる。今シーズンのSUPER GTのチャンピオンである牧野選手が病気で出場できないのは残念だが、2021年以降のレースのことを考えればここで無理をするよりはきちんと治療して備えるのがいいと考えられる。牧野選手の早期の回復を心より祈念したい。

 その牧野選手の代役は、同じホンダ陣営の若手ドライバーで、牧野選手とはほぼ同期になる大津弘樹選手。大津選手は、SUPER GTではNAKAJIMA RACINGの64号車 Modulo NSX-GTをドライブしているドライバーで、常に確実なドライブで順位を上げて帰ってくるその安定感には定評がある。今までスーパーフォーミュラのチャンスが与えられなかったのが不思議なぐらいの実力の持ち主なので、今回のような特別なチャンスをモノにしてぜひ2021年のシートにつなげてほしいところだ。