オグたんのモータースポーツタイムズ
日本で開催されたF1とWEC、その先になにを見る
2019年11月5日 15:26
甘くせつないF1日本GP
今年のF1日本GPは、台風の影響で土曜日が全日程中止となったり、日曜日が台風による交通機関の影響で来にくかったりという不便な点もあった。でも、今年のF1日本GPは、チケットの売れ行きが前年を上回った。これは、今季のレッドブルとトロロッソのホンダ勢の活躍が大きいと言えた。これで日本人のドライバーが活躍していたら、さらによい方向に行きそうに思えた。そんな中、金曜日のフリー走行1回目で、日本のチャンピオン山本尚貴がトロロッソから出走したのはとても意味あることだった。
初めて乗るF1マシンでも山本は一貫した走りを見せた。90分間のセッションで、4回の走行を行ない、総周回数は30周。フリー走行1回目はもっぱらマシン開発やセットアップに使うため、ドライバーが自由にタイムアタックできるわけではない。しかも、山本はマシンへの好みが異なるピエール・ガスリーがフリー走行2回目から乗っても走りやすくなるように、山本の好みではないセットアップも施していた。それでも、ベストタイムは17周目の1分32秒018。結果では17位だったが、同チームのレギュラードライバー、ダニール・クヴィアトに0.098秒に迫っていた。着実な走りと仕事ぶりにこの結果もあって、チームのガレージは笑顔だった。いつもは厳しい顔のフランツ・トスト代表も満面の笑みでフリー走行1回目を終えた。
2003年の日本GPでもフリー走行1回目に日本のチャンピオンが走っていた。本山哲がジョーダン(現レーシングポイント)から出走していた。当時、ジョーダンチームのスポーティングディレクターだったジョニー・ハーバートが、今年も解説者として鈴鹿に来ていた。
「私はF1ドライバーだから、ドライバーの善し悪しはよく分かる。私は哲と一緒にこのチームを立て直したいんだ!」。ハーバートは当時本山をこう絶賛していた。
2003年の金曜日の夕方に話し合ったことを踏まえて、また鈴鹿のパドックで当時と今とを比較しあってみた。
「あのときの本山はほんとうによい走りをしていた。当時、私がいかに本気でああ言っていたのも覚えてくれているよね。残念ながらチームがダメになってしまってそれは実現できなかったけどね」と、ハーバートは振り返った。
「本山のときはチーム内のデータがいろいろと見られて、とてもよいドライバーだとはっきり分かっていた。今回の山本の走りはチーム内のデータが見られない。そのため外部から見ただけなのだが、とてもよい走りと仕事ぶりだったと思う」。
ハーバートは、長時間を割いて日本のチャンピオンたちのレベルの高さもあらためて賞賛してくれた。そして、ちょっとさみしそうにこう締めくくった。
「山本は31歳か。そこだけがネックだね。いろいろとあったのだろうけど遠回りしてしまったんだね」。
たしかに、より若い才能を求める現代のF1では、山本には年齢が厳しい条件となる。だが、フォーミュラにかける純粋な思いはとても強かった。それは、彼がまだフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)のデビュー翌年のことだった。
もてぎ戦の事前プロモーションとして宇都宮のショッピングモールでイベントをしたとき、昼休憩の時間がちょうど当時無限チームだった山本と一緒になった。
「ボクはフォーミュラを突き詰めたいんです!」
食事を忘れるような勢いでそのとき力強く語ってくれたのをよく覚えている。「フォーミュラを」といったところに、彼の夢も見えた気がした。が、当時はそれ以上は深く聞かなかった。そして、今回鈴鹿で本人にそのことを直接聞くと、やはり当時からF1のことを想っていたと言う。あれから8年。今年がもっと早く実現していたらとは思う。
半面、今のレーシングドライバー山本尚貴は、若い時からの速さと負けん気の強さはそのままに、巧さと強さもより伸ばして、とてもよい時期に来ているように見える。できることなら今F1にフル参戦するところを見てみたいと思わせる、そんな走りを今回鈴鹿でしてくれた。
もしこれが実現したら、あるいは現在F2やF3で頑張っている日本人ドライバーたちが鈴鹿でF1を戦ったら、応援のしがいが増して、もっと観客席がいっぱいになるだろう。もう1つ欲を言えば、全日本選手権で活躍するレースエンジニアたちもドライバーとともにF1で活躍してくれたらとも思う。少人数でも驚くような仕事ぶりをして、きわめて高度で緻密なセットアップや戦略を実現している。言葉の壁がなんとかなれば、日本のレースエンジニアたちの能力は世界で脅威になるはずだからだ。
今年のF1日本GPは、チケットが売れて、台風がなければかなりの入場者数増加になったはず。また、日本のドライバーのレベルの高さをあらためて示せた一方で、なかなか現実のレースデビューにならないもどかしさも感じた。
まさに、甘くせつない日本GPだった。でも、これからも選手たちの夢と希望を、その活躍の場としての鈴鹿でのF1を、ともに継続していくことが大事だともあらためて思った。F1日本GPについてはもっともっと伝えたいこともあるけれど、今回は最も伝えたいことだけにとどめておこう。
WEC~知恵と知恵の高度な技術競争に挑むトヨタ
F1日本GPの直前週には富士スピードウェイでWEC第2戦富士6時間レースが開催された。最高峰クラスのLMP1は、ハイブリッド車とハイブリッドなしのマシンに分かれる。前者のハイブリッド車にはかつてアウディやポルシェもいたが、今はトヨタのみ。非ハイブリッド車チームとのマシンの性能差が大きかった。これではトヨタの1人勝ちが続き、レース人気が落ちてしまう。そこで、WECを統括するFIA(国際自動車連盟)とACO(フランス西部自動車クラブ)は、トヨタの車両の性能を削減させ、他の車両との性能均衡化を図ろうとした。
まずは昨年、トヨタの車両重量を重くさせ、非ハイブリッド車の車両重量を軽くさせた。さらにトヨタの燃料タンク容量は据え置きにしながら、非ハイブリッド勢のタンク容量は増すなどの措置が加えられた。それでもトヨタはその技術開発力でこうしたハンディを克服して圧勝した。
そうなると、FIAとACOはさらに性能均衡化をしたい。トヨタの最低車両重量は28kg増の932kgにされたもののこれ以上増すのは危険なレベルになった。非ハイブリッド勢も車体構造上これ以上重量軽減ができなかった。そこでさらに今シーズンからサクセスハンディキャップ制度というものも導入された。これは、簡単に言うと前戦までの獲得ポイント数に応じてラップタイムを遅くさせるというもので、「獲得ポイント×開催サーキットの距離(Km)×0.12」というものだった。
富士戦での段階でいうと次のようになっていた。
・開幕戦で優勝したトヨタ7号車:25 × 4.563 × 0.12 =1.3689
・開幕戦で2位のトヨタ8号車 :18 × 4.563 × 0.12 =0.9856
と、このように7号車を1周あたり1.4秒、8号車に1周あたり1秒遅くさせるとし、それを実現するために下記のような制限が加えられた。
・1周あたりのハイブリッドの放出エネルギー総量を削減(ハイブリッドのブーストの削減)
・1周あたり使える燃料量の削減(エンジンの燃費をより厳しくさせてパワー削減)
・瞬間燃料流量の削減(エンジンの瞬発力的パワーを削減)
・1回の燃料補給量の削減(ピットストップをする間隔を短くさせる)
・燃料補給装置の燃料流量を絞る(燃料補給時間を延長させる)
このサクセスハンディキャップの規定とその実施方法は、FIAとACOの技術者たちが知恵を絞った結果だと思い、むしろ感心した。だが、トヨタの技術者たちにそれらが知らされたのは富士戦のわずか2週間前だった。それでも、トヨタの技術者たちはこれらのかなり厳しい技術的課題に短期間で挑んだ。
実際富士戦が始まると、トヨタのTS050ハイブリッドはとても強かった。パワー関係が絞られたことで予選は苦戦か? という予想もあった。が、よりハンディが厳しい7号車が2番手になったものの、トヨタ勢2台がトップ2を独占した。さらに決勝でも、ハンディキャップでピット戦略も不利にされていたものの、非ハイブリッド勢トップのレベリオンチームに2周の差をつけてのトヨタ1-2という、圧勝だった。
FIAとACOが知恵を絞った新しいサクセスハンディキャップを、トヨタが技術力で克服したことで、目論んだような接戦にはならなかった。でも、トヨタが短期間でそこに至るまでの課程を思うと、すごいことを成し遂げたと思う。そして、その技術開発力もより高効率な走りを実現する技もまた、近い将来トヨタの市販車に生かされてくるのだろう。こう考えると、まさにル・マン24時間レースの伝統とWECが目指す、近未来の市販車の技術発展に直結した技術競争だとも思った。
性能削減をさせてレースをより面白くしようとするFIAとACO、あらたな技術課題に挑み対抗しようとするトヨタ。今回、互いに知恵と知恵、技術と技術のせめぎあいという、WECのLMP1のとても魅力的な面を富士6時間で見た。
このサクセスハンディキャップはさらに続く。富士戦での1-2フィニッシュから、次の上海戦ではトヨタの2台にさらに厳しいハンディキャップがかかることになる。さて、どこまで技術力で対抗するのか? レース展開はどうなるのか? レベリオンら非ハイブリッド勢が勝つのか? しかも、スーパースポーツカーたちが戦うLMGTEクラスは常に接戦の大バトルになっている。WECは多様な魅力を持っていることを、富士6時間でもしっかりと示していた。
安全は全員のために
WEC富士6時間では、トラックリミットが厳しく監視され、取り締まられていた。それは日本GPを含む最近のF1でも同様だ。トラックリミットとはコース(走路)の限界のことで、通常コースの両脇に惹かれた白線のこと。
FIAにはモータースポーツ競技の基本法となる国際モータースポーツ競技規則 があり、その附則L項目第4章2 cには、「ドライバーはいかなるときもトラック(コース)を逸脱してはならない」とされている。簡単にいうと、コース脇の白線を逸脱してコース外を走ってはならないということ。
一方で、コースを逸脱してしまった車両のための設備としてランオフエリアがある。これはあくまでもコースを逸脱せざるをえなかった車両をより安全に受けとめるためのもので、以前は砂で車両を減速させるサンドトラップや砂利で減速させるグラベルベッドが主流だった。これらはコースを逸脱してそこに入ると、なかなか出られず大幅な遅れとなるか、ずっと出られなくなりそこでレースを終えることにもなるという、トラックリミットを超えてコースを逸脱してしまったことへの代償もあった。
ところが、サンドトラップやグラベルベッドは、車両を跳ねさせてしまい、充分な減速ができないままその先のバリアや壁に激突してしまう例もあった。そこでFIAは研究と実験の結果、アスファルト舗装のランオフは摩擦抵抗が大きくより減速効果が高くより安全なことをつきとめ、2001年からアスファルトのランオフを普及していった。
ちなみに、二輪のレースでは人間の体を受けとめるのにグラベルベッドが好ましく、結果として四輪と二輪の両方を開催するコースでは、コース脇にアスファルトのランオフがあり、その外側にグラベルベッドがあるという配置になっている。
だが、アスファルト舗装のランオフ導入から20年近くたって、なぜアスファルト舗装ランオフになったのかという理由も忘れられ、舗装されていてもそこはトラックリミットを超えたエリアで出てはいけない所ということも軽視されがちなようだ。コースを逸脱してもそのまま簡単にコースに戻れることから、ランオフをタイムをあげるための区間にするなどの不正利用の問題が後を絶たなかった。本来安全のための設備がかえって危険を増長することにもなりかねない状況になっていた。そのため、かまぼこ形の高い縁石を設けたりして、逸脱を思いとどまらせるようにしている。だが、このランオフへの逸脱を思いとどまらせるための高い縁石が、車両を跳ねさせてしまったり、車体を壊してしまったり、かえって危険な例も出てきている。
安全のために研究開発された設備のアスファルトランオフを、選手側の自分勝手な解釈で故意に利用して、むしろ危険なものにしてしまうのは、とても残念なことだ。ましてや、二輪のためにはグラベルベッドのランオフ部分を残すのは必要で大切なことだが、自動車レースでのアスファルトランオフを、コース外通過をできないようにすべてサンドトラップやグラベルベッドに戻すべきという声は、自動車レースの安全進化の時計を巻き戻すようなもので、サーキットをより危険なものに戻すことになってしまう。
なにか問題があると、こうした「コースを改修すべき」という声もよく出てくるが、そのための費用がいくらかかるのか? 誰が費用負担するのか? という配慮はあるのだろうか? 改修には実際大金がかかる。そして、その費用は最終的に、エントリーフィーやスポーツ走行券や走行ライセンス料や観戦チケットの値上げとして転嫁されかねない。サーキットの経営がたちゆかなくなって、閉鎖になったところをこれまでいくつも見てきた。簡単に「改修すべき」とは言えない。また、ランオフを広大にしてコースと観客席がさらに遠くなったら、これもサーキットにお越しになる観客の皆さんにとって興ざめになってしまいかねない。
ランオフはトラックリミットを超えた「出てはならないところ」という認識と姿勢が選手間やチーム関係者間でもっと徹底されて、ランオフの故意で不正な利用が劇的に減少すれば、不評な高いかまぼこ形縁石も無用な物となってなくなるだろう。そのために、FIAはまず統括する世界選手権戦でトラックリミットを厳しく監視し、取り締まっている。また、英国のサーキットで導入されているコース逸脱監視システムも部分的に導入しはじめている。
ランオフの問題と同様に黄旗の軽視の問題も出てきている。メキシコGPでの予選では、マックス・フェルスタッペンが本来減速すべき黄色旗区間で全体ベストタイムを出してしまった。
黄旗のことは国際モータースポーツ競技規則附則H項2.4.5.1 bに記されており、1本でも2本でもその度合いが異なるが、いずれも減速しなければならないとされている。フェルスタッペンのケースでは、その黄旗の原因となるバルッテリ・ボッタスのクラッシュでコース脇のマーシャルとレースコントロールをつなぐ通信が途切れてしまい、これが元でコクピット内に出る黄旗の表示がなくなり、コース脇のパネルライトも点灯しなかったという。それでも、旗が振られていたことははっきりしていたし、フェルスタッペンよりも前にその現場を通過したフェラーリのセバスチャン・ベッテルは黄旗を視認してスロットルを戻して減速していた。
予選後の公式会見でフェルスタッペンは黄旗をかなり軽視する発言をしていた。だが、黄旗はそこを通過するドライバーの安全のためだけではない。先にクラッシュしたドライバーや、そこの安全を確保するマーシャルや、必要であれば即座にそこに駆けつけて救助にあたるレスキューやメディカルの安全のためでもある。さらには、フェンスの向こうの観客の安全のためでもある。
フェルスタッペンはこの黄旗無視で3グリッド降格の処分を受けたが、それよりも重大な二次事故を引き起すことなく無事戻って来られて本当によかった。これを機にあらためてモータースポーツ競技の基本である旗、とくに黄旗の意味を再度確認したほうがよいかもしれない。
今年はF3やF2で大けがをしたり、死んだりするという事故もあった。悲しいことだし、亡くなった仲間を心配し悼むのも当然だ。追悼のステッカーをつけて走るのもいいことだとは思う。
だが、それだけで終わらさずに、こうした事故を景気に今一度競技参加者側が全員でトラックリミット、ランオフ、旗などの安全に対する基本的な考えや姿勢をふりかえって、これらを再度重視すべきではないだろうか。また同じようなことを繰り返さないためにも。
競技の安全を競技統括団体、主催者、サーキット、レースコントロール、マーシャル、レスキュー、メディカルらだけに他人任せにしてならないはず。まずは、競技に参加している人たちが安全とフェアプレイをより尊重しないと。とくにF1は最高峰クラスであり、他のレースやレーシングカートの少年少女たちに至るまで模範となるべき立場なはずなのだから。