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インディカーシリーズ10年目に挑む佐藤琢磨選手に聞く、2018年シーズンの振り返りと2019年への展望
2018年12月4日 00:00
インディカーシリーズにファイアストンレーシングタイヤをワンメイク供給しているブリヂストンは、同社の東京本社で社内向けのイベントを開催し、2017年のインディ500ウィナーで、2018年シーズンのインディカーシリーズでも1勝を挙げた佐藤琢磨選手を招いてトークショーを行なった。佐藤琢磨選手は、DJのピストン西沢氏と対談する形で、2018年シーズンを振り返った。
来年の契約を決める大事な時期に1勝を挙げて、来季の契約をシーズン終了前に決める
──今年もシーズン初頭こそは苦しんでいたけれど、ポートランドで帳尻を合わせたシーズンだったが?
佐藤琢磨選手:シーズン序盤は苦しかったですね。自分もファンのみんなも期待値は高く、開幕戦からガンガン行けるだろうと。実際、シーズン直前の合同テストはトップタイムだったので、意気揚々と開幕戦に向かったんですが、不運も重なってリザルトにつながらなかった。チームは今シーズンから2台体制に拡大したけど、その歯車が合いだしたのがシーズン中盤。後半戦は右肩上がりで表彰台に立って、契約に大事な時期に結果を出して、来季がスムーズに決まりました。シーズン最初から圧倒的な結果を残せるのが理想的だけど、1万分の1秒まで計測するコンペティションの中で、全チームが同じようにクルマの理解度が上がる後半に結果を出せたというのは、確実に次のシーズンへつながっていく証拠。4~5台も走らせているチームはデータ収集量が多い分、やっぱり速かった。そこに追いついたのは嬉しかったですね。
レースは高度な道具を使うチームスポーツ。スタッフ全員、自分自身がやることをやりつつも、さらにタイヤを上手に使わないと勝てない厳しいスポーツです。そこで結果を出せたチームに誇りを感じる。
──日本でのインディカーシリーズの知名度はまだまだってところはあると思うが、ファイアストンはインディをやることで知名度は上がっているか?
佐藤選手:ファイアストンは1911年の第1回大会で優勝していて、インディ500はファイアストンと共に歩んできた。ファイアストンあってのインディカーシリーズ。安全性、信頼性を考えるとファイアストンではなくてはダメだというチームやドライバーは多いです。
──アメリカではレースに勝つと製品が売れるという文化があるのか?
佐藤選手:レースのプロモーションが販売に直接つながっているビジネスモデルは日常的に感じます。例えば、日本のビールメーカーは、アルコールとレースは飲酒運転につながるイメージがあるのでレースのスポンサーはしない。でも、アメリカではレースに行ったら観客はビールを飲みます。スーパーマーケットの入り口にレーシングマシンが展示してあって、その横にはスポンサーのビールが山高く積み上げてある。それがアメリカ。モータースポーツが文化の一部として市民権を得ていて、日本に比べると欧米ではその敷居が低く、生活に溶け込んでいますね。
──市街地コースとかもうらやましい。
佐藤選手:日本でも市街地レースを開催するのは夢です。アメリカでは歴史も長いので、うちの街に来てよという要望や交渉は頻繁に行われています。シーズンによってはシリーズ17戦のうち1~2戦が新しい市街地やロードコースに切り替わることもあります。
──(ここから従業員の方からの質問)普段の運転の時はどのようなことに注意して運転しているか?
佐藤選手:タイヤを減らさないようにして走っています(会場、笑い)。冗談のようで本当の話。レースに勝つにはタイヤを持たせる必要があり、それはゆっくり走るという意味ではなく、4つのタイヤの性能をきっちりと引き出して走ることが大事。そこに無駄があると速く走れない。(空気圧の変化は分かるのかという質問に対して)空気圧の変化は分かります。内圧1つでクルマの動きが変わる。内圧は低い方がグリップ力は上がるけど、低すぎると構造が壊れてしまう。内圧の管理とタイヤのマネージメントはとても大事です。それは一般道でも同じで、無理にタイヤをこじらせるような走りは絶対にしません。スムーズに走らせるほうが乗客に対しても優しいし、燃費にもいいですからね。
──乗用車でも内圧に気を付けているのか?
佐藤選手:最近の車は内圧がデジタルセンサーで見られるようになっている場合があるので分かりやすいですね。推奨値に入っていることが重要。乗り心地やハンドリングにも影響するので気をつけていますね。例えば、重量配分で重いところは少し上げて、軽いところは落とすなど、適正範囲内でチューニングするのも楽しい。特にシーズン中はたまにしか日本に帰ってこられないので、必ず確認します。季節が変わると内圧も大きく変わるので、特に遠出する時はチェックした方がいいです。
レースで勝つためには無駄なことがあると、エネルギーが別のところに行ってしまうので、そうならないように道具を最大限使えるようにするのはまさに職業病だ。
──レッドブル・エアレースの室屋さんともご一緒されたようだが、あちらもすごい集中力。
佐藤選手:集中力はどんなスポーツでも大事ですが、飛行機では命がけ(レースもそうだとピストン西沢氏)。フライト1本ごとに風向きが変わってきたりするので、そこに向かって集中してイメージトレーニング、コースレコードを更新して勝ちに行く姿は、本当に格好よかったです。そして、スタッフをとても大事にされていた。最後は自分が操縦桿を握るけど、スタッフの想いが詰まったマシンなので、信頼関係は本当に大事ですね。
──琢磨さんのキッズカートに参加させている子供が、まもなく中学生になる。その後のパスはどうしたらいいだろうか?
佐藤選手:キッズカートは復興支援の一環として始めて、ブリヂストンさんにもご協賛いただいています。震災直後から始めたので、確かに低学年が中学生になる時期ですね。本格的に続けるのならば、ジュニアカテゴリーのレースに参戦して頂いて、その先には鈴鹿サーキットレーシングスクールもあります。ちょうど中嶋悟校長の25年間を引き継いでPrincipalに就任したところですから、次世代ドライバーの育成にも力を入れて行きたいです。
──モータースポーツでは育成環境は非常に大事だ。
佐藤選手:自分自身の力で磨いていけるスポーツもありますが、モータースポーツは特殊な環境が必要です。その意味でレーシングスクールは重要なポジションにあると思います。活動資金の問題や、環境が揃わなくてできなかったという選手にもチャンスがある。実力を発揮すれば、メーカーのサポートでステップアップできるようになる。モータースポーツを支えている企業の意識も変えていくことも重要です。もちろんブリヂストンさんはモータースポーツを支えてくださっていますが、他の企業にも広げていきたいですね。鈴鹿サーキットのSRSは非常にいい例です。ホンダは勝つ為にF1に参戦していますが、それだけではない。人材育成に非常に力を入れています。過酷なプレッシャーの中で外国人とやり合って結果を出す、世界を経験して帰ってくれば、さらにいい製品ができるという考え方もあります。
──ブリヂストンの中で佐藤琢磨に注目している方々に、ひと言。
佐藤選手:来年は北米挑戦10年目になります。今シーズンも勝てましたが、来季は体制をさらに強化してシリーズタイトルを狙っていきたいです。ぜひ応援してください。
そうしたトークショーの終了後に、従業員代表の中村さんから佐藤琢磨選手に花束の贈呈が行なわれた。中村さんは「佐藤琢磨選手の影響を受けて自分でもモータースポーツに参加し始めたぐらいで、今は抱きつきたい気持ち(笑)。これからも応援したいし、日本でももっとモータースポーツに興味を持つ人が増えてほしいと思っている」と述べると、その言葉通り佐藤選手に抱きついて会場を沸かせた。その後、集まった社員の方に抽選で、佐藤選手のサイン入りグッズがプレゼントされた。
苦しい序盤だったが、徐々にチームとしての一体感が出て調子を上げた後半戦
イベント終了後には、本誌による佐藤琢磨選手へのインタビューを行なった。
──今年1年を振り返ってどうだったか?
佐藤琢磨選手:終わりよければすべてよし、いいシーズンだったと思う(笑)。もちろん、課題も残っているし悔しい思いもしました。特にディフェンディングチャンピオンとして臨んだインディ500は、今季1番残念な結果になってしまったのは辛かった。でも、全チームのレベルが上がっていくシーズン後半に追い上げて結果を出していけたことはよかったと思っています。
──確かにインディ500はつらいレースになってしまった。
佐藤選手:昨年とはまるで違って、練習走行から上手くいかず、チームメイト(グラハム・レイホール選手)も予選通過ギリギリでした。決勝でもなんとか走っているという状況の中で、レース除外となるスピードで低速走行を続けていた周回遅れのクルマとアクシデントになってしまうという最悪の終わり方でした。来季はリベンジです。
──今シーズン、特に前半戦にそうした厳しい状況が続いたのはなぜか?
佐藤選手:答えが分かっていたら対処できていましたね(笑)。今シーズンは車両が大きく変わった。そうした中で、アンドレッティは4台、ペンスキーは3台といったように、複数台の車両を走らせているチームはデータを効率的に得ることができる。それに対してレイホールはこれまで1台体制だった時も驚異的な成績を残していて、エンジニアリングの強さは抜きん出ていたはずでした。ただ、その部分が、予想外に上手くいっていなかったのは事実で、さまざまな制約がある中での準備不足が目立ちました。期待値も高かったので、自分たちもこんなはずじゃなかったという気持ちは強かったです。
──具体的には何が問題だったのか?
佐藤選手:答えは1つではないです。あらゆるところの積み重ねですね。細かな話をすると、気温が上がってくると自分たちのパフォーマンスが相対的に落ちる傾向が強かった。逆に言うと気温が低いときには調子がよくて、オフシーズンのフェニックスのテストでもいいトップタイムをマークしていた。つまり、タイヤのグリップ力が高い状態ではコンペティティブでも、気温が上がっていくとダウンフォースが減ってしまい、路面温度上昇によってもタイヤのグリップが下がってしまう。そういう状態で弱点を抱えていました。チームはダンパーの方向性をいろいろ試しながら開発を進めていき、徐々に状況が改善されていった感じですね。
もう1つはチームのハーモニーができあがるまでに時間がかかったという面があります。昨年までのレイホールは15号車1台のチームだったけれど、今年から30号車を追加したので、チームクルーの多くを外からリクルートしないといけない状況だった。そうして集められたチームクルーは1人ひとりは実力があるいいメンバーですが、最終的にモータースポーツはチーム力なので、軌道に乗るまでは時間がかかるんだなというのを改めて感じました。インディカーは1万分の1秒まで計測する僅差で争っていて、チーム力でも小さな差が大きく現われる。その意味では開幕戦あたりでは全体の歯車が噛み合ってなかったのも事実です。
──それらが噛み合ったのが優勝したポートランドのレースだった、と。
佐藤選手:はい。あの週末は僕たちのクルマが抜きん出いた訳ではなくて、実際予選もよい結果ではなかったです(筆者注:予選は20位)。でも、タイム的にトップから大きく離されていたわけではなかったし、何より決勝を見据えたハンドリングは非常に良かったんです。だから戦略をうまく活かせば逆転も可能というか、勝機はあると感じていました。そして実際に、その戦略が大いに活かすことができるレース展開になりました。イエローが出たことで合計3回(ピットに)入っているけれど、実質的には2ストップ作戦を敢行してそれが成功した。コースレイアウトからギリギリ2回ストップにできると計算していて、それに合わせたクルマ作りがうまくいって、かつ必要なタイミングでもイエローが出た。他のレースでも同じ作戦をやったことはあるけど、それが上手くはまったというのがあのレースでしたね。
──先ほどダンパーの話がでたが、アメリカのレースシリーズではダンパーの開発を大事にしていると思うが……。
佐藤選手:はい。ダンパーの変更や調整は自由に許されているので、各チームともダンパー開発をとても重視しています。ガナッシやペンスキー、アンドレッティのように完全自社開発のチームもあれば、ダンパーメーカーが外販しているものを使うチームもあります。フォイトにいたときには、ダンパーを開発するリソースがなかったので、ペンスキーが外販していたものをエンジニア付きのフルサービスで使っていましたが、本家のペンスキーが使っているモノよりも2世代ぐらい前なので歯が立ちません。各チームとも独自のリソースで開発を進めていますが、レイホールはケースはオーリンのものを利用して、中身は自社開発しているといった具合ですね。
──インディカーシリーズではファイアストンタイヤを使っているが、その特徴は何か?
佐藤選手:圧倒的な信頼性です。ブリヂストン/ファイアストンのタイヤはクオリティコントロールが高く、得にインディカーで使われているファイアストンタイヤはワーキングレンジが広いことが特徴だと思います。SUPER GTやスーパーフォーミュラのクルマをイベントで乗ることがありますが、温まってきてからのパフォーマンスは高いけど、そこに達するまでは本当にグリップしてこない。それに対して北米で使われているファイアストンのタイヤは驚異的に早くグリップするのが特徴。タイヤウォーマーなしでも攻め込んでいけるタイヤですね。
──レッドとブラックという2種類のタイヤがありますが、この差はなんなのでしょうか?
佐藤選手:2つの違いは主にコンパウンドの柔らかさです。ワーキングレンジをどこに設定するかが重要になりますが、必ずしもソフトの方がワーキングレンジが低いとは限らないです。ブラックはハード傾向で安定したパフォーマンス、レッドは瞬発力も高く、グリップ力も高いけど、早く摩耗してしまう。ただし、コースの特性、あるいはラバーの乗り方によって、レッドタイヤでも持ちが良くて、格段に速いというサーキットもあります。特にストリートではそういう傾向で、逆にロードコースではブラックタイヤが安定しているという傾向が多いですね。
このため、例えばトップ10からスタートするときには、周りとの競争で負けないようにレッドでスタートして、逆にグリッドが後ろになったときにはブラックでスタートすることで戦略に幅を持たせたり、奇襲作戦を取ったりすることもあります。両方のスペックを使わなければならないので、レーストータルで優れたパフォーマンスを発揮できるように、クルマ作りを工夫しています。
──これまでのレース人生で最大で3つ、思い出深いレースを上げるとするとどれか?
佐藤選手:それは難しい質問。3つじゃなくて5つなら(笑)。昨年のインディ500は確実にベストですが、F1で表彰台を獲得した2004年のアメリカGP、スーパーアグリで初めてポイントをとった2007年のスペインGPも忘れられない一戦。リザルトは最上位でなくとも、2002年の鈴鹿は本当に特別でした。そして、2001年のマカオGP。このマカオGPは自分にとってとても大事な挑戦だった。すでにF1への昇格を決めている以上、勝つしかないというプレッシャーの中で勝つことができたレースでした。
──来季に向けての意気込みを
佐藤選手:とても楽しみにしています。チームはシーズン終盤に向けてどんどんよくなっていきましたしね。この冬をどう過ごすか、メンタル面も含めてトレーニングをしっかりとして準備します。チームもエンジニアリング体制を強化しており、アラン・マクドナルド(筆者注:従来はシュミット・ピーターソン・モータースポーツのレースエンジニアだったエンジニア)をテクニカルディレクターとして迎えて、ダンパーの開発プログラムを加速させています。インディカーシリーズ参戦10年目となる来年こそ、悲願のチャンピオン獲得を目指して挑戦したいです。