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鈴鹿サーキットに新設された「ホンダ レーシングギャラリー」

エントランスに展示されたマクラーレン・ホンダ MP4/5(1989年)

 本田技研工業は、鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)に歴代のF1マシンなどを展示する「Honda RACING Gallery」(以下、レーシングギャラリー)を新設した。F1日本グランプリ期間中は事前予約が必要だったが、通常期は予約不要、入場無料(鈴鹿サーキット入場料が別途必要)。レース開催日は観戦券があれば無料で入場できる。

 レーシングギャラリーは2012年7月にオープンした「レーシングシアター」の場所に新設された。以前のレーシングシアターは低年齢層の人でも楽しめる体験施設だったが、今回新設されたレーシングギャラリーは建物も館内も黒を基調とした大人向けのF1博物館という印象だ。建物としては2階建てとなるが、サーキット側のメインの入口が1階、遊園地側の入り口があるフロアが地下1階となっている。

サーキット側から見ると1階建てに見えるレーシングギャラリー

マクラーレン・ホンダ MP4/5(1989年)

 入り口を入るとエントランスに展示されるマシンはマクラーレン・ホンダ MP4/5。ゼッケンナンバー1。前年、1988年にマクラーレンに移籍し1回目のワールドチャンピオンを獲得したアイルトン・セナが1989年にドライブしたマシンだ。全16戦で争われた1989年、第15戦となる日本グランプリではシケインでアラン・プロストと接触。押し掛け再スタートでトップチェッカーを受けるも、シケインショートカットで失格となったあのマシンだ。

 エントランスから「スピードトンネル」と名付けられた通路を進むとメインホールだ。黒基調の空間に8台のF1マシン、3基のエンジン、1基のパワーユニットがスポットライトで浮かび上がる。

メインホールは黒基調の空間にスポットライトという演出

 円形のステージに展示されるのは新旧2台のマシン。その先には歴代のマシンが年代順に6台並んでいる。

円形のステージには新旧2台のマシンが展示される
歴代のマシンが6台並び、各マシンの背後に数字が描かれている

エンジン、パワーユニット

 メインホールに入ると、すぐ左側に展示されるのが3台のエンジンと1台のパワーユニット。時代を作ったホンダエンジン、パワーユニットを見ていこう。

【RA168E(1988年)】

 V6ターボエンジンの最終形で、マクラーレン・ホンダ MP4/4とロータス・ホンダ 100Tに搭載された。マクラーレン・ホンダはシーズン全16戦中優勝15回、アイルトン・セナが1回目のワールドチャンピオンを獲得したエンジン。80度V型6気筒ツインターボ、排気量1494cc、最高出力685馬力、最高回転数1万2300rpm。

RA168E(1988年)

【RA109E(1989年)】

 エントランスに展示されたマクラーレン・ホンダ MP4/5に搭載された3.5リッター自然吸気(NA)エンジン。ターボ禁止によりNA化された最初のエンジン。72度V型10気筒、排気量3490cc、最高出力685馬力/1万3000rpm。

RA109E(1989年)

【RA806E(2006年)】

 ホンダワークス(ホンダ製シャーシ、ホンダ製エンジン)として参戦したホンダ RA106に搭載されたエンジン。2006年第13戦ハンガリーグランプリでジェンソン・バトンが優勝。ホンダワークスとしては39年ぶりの優勝となった。90度V型8気筒、排気量2400cc、最高出力700馬力以上。

RA806E(2006年)

【RA621H(2021年)】

 ホンダがエンジン(パワーユニット)サプライヤーとして30年ぶりにドライバーズチャンピオンを獲得した2021年レッドブル・ホンダ RB16Bとアルファタウリ・ホンダ AT02に搭載されたパワーユニット。V6ターボ(ICE)+ERS(Energy Recovery System:エネルギー回生システム)、排気量1600cc。

RA621H(2021年)

ホンダ RA272(1965年)

 メインホールの8台のマシンを、円形ステージに展示された新旧2台のマシンから見ていこう。RA272は1965年、F1参戦2年目の最終戦メキシコグランプリでホンダ F1に初優勝をもたらしたマシン。

 ホンダは1964年からシャシー、エンジンともにホンダ製のワークス体制でF1に参戦。1964年は10戦中3戦に参戦し獲得ポイントゼロ。1965年は10戦中8戦に参戦。第3戦ベルギーグランプリで6位に入賞し初ポイントを獲得。最終戦となる第10戦メキシコグランプリで初優勝を獲得した。RA272はV型12気筒、排気量1495cc、最大出力230馬力のエンジンを横置きで搭載していた。

ホンダ RA272(1965年)

レッドブル・ホンダ RB16B(2021年)

 円形ステージに展示されたもう1台は、レッドブル・ホンダ RB16B。パワーユニットは展示されているホンダ RA621Hを搭載。

 2021年シーズンの最終戦アブダビグランプリ。ルイス・ハミルトン(メルセデス)とマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)はチャンピオンシップポイント同点で最終戦に臨み、フェルスタッペンがセーフティカー導入明けのラスト1周でハミルトンを抜き、自身初のワールドチャンピオンを獲得した。ホンダはエンジン(パワーユニット)サプライヤーとして、1991年のアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)以来30年ぶりにドライバーズチャンピオンを獲得した。

「0.2」ホンダ RA300(1967年)

 メインホール、円形ステージの奥に展示された6台のマシンの背後には、「0.2」「1-2-3-4」「15/16」など数字が描かれている。RA300の数字は「0.2」。排気量が3000ccに変更された1966年は重いエンジン、重いシャーシで未勝利。1967年も苦戦が続きシーズン途中でシャーシコンストラクターのローラにシャーシの製作を依頼し、70kgの軽量化に成功。シーズン全11戦の第9戦イタリアグランプリに投入し、デビューレースでジョン・サーティーズが優勝した。

 このレース、1位のジム・クラーク(ロータス・フォード)が最終ラップに燃料ポンプのトラブルで失速、2位に付けていたジャック・ブラバム(ブラバム・レプコ)と3位のジョン・サーティーズ(ホンダ)の優勝争いは加速に優るジョン・サーティーズのRA300が「0.2」秒差で優勝。ホンダとして通算2勝目となった。ワークスホンダは翌1968年のシーズン終了で参戦を休止。5年間の勝利数は2勝となった。

ホンダ RA300(1967年)

「1-2-3-4」ウイリアムズ・ホンダ FW11B(1987年)

 ウイリアムズ・ホンダ FW11Bの数字は「1-2-3-4」。前年、1986年はコンストラクターズチャンピオンを獲得するも最終戦でナイジェル・マンセルがタイヤバーストでリタイヤ。マクラーレン・TAGポルシェのアラン・プロストがドライバーズチャンピオンを獲得した。

 日本でフジテレビによる全戦放送が始まり、鈴鹿でF1日本グランプリが初開催された1987年、ウイリアムズ・ホンダはシーズン全16戦で9勝を挙げコンストラクターズチャンピオン、ネルソン・ピケがドライバーズチャンピオンを獲得した。第7戦イギリスグランプリは、タイヤ無交換作戦で逃げるネルソン・ピケをナイジェル・マンセルが追う展開となり、残り3周のハンガーストレートで背後に付けたマンセルがストウコーナーの進入でピケを抜き優勝。2位はピケ。1周遅れの3位はアイルトン・セナ(ロータス・ホンダ)、2周遅れの中嶋悟(同)が4位に入り、ホンダエンジン搭載車が「1-2-3-4」を実現した。

ウイリアムズ・ホンダ FW11B(1987年)

「15/16」」マクラーレン・ホンダ MP4/4(1988年)

 マクラーレン・ホンダ MP4/4の数字は「15/16」。ホンダはこの年からマクラーレンにエンジンを提供。そのエンジンはRA168E、メインホールの入口で最初に展示されているエンジンだ。さらにアイルトン・セナがロータスからマクラーレンに移籍しアラン・プロストとともに史上最強のチーム体制(シャーシ、エンジン、ドライバー)が実現された。

 シーズン全16戦中15戦で優勝、「15/16」の金字塔を打ち立てた。優勝回数はセナ8勝、プロスト7勝。セナが初のワールドチャンピオンを獲得した。優勝を逃したのは第12戦イタリアグランプリ。プロストはエンジントラブルでリタイヤ。トップを走るセナは残り2周のシケインで周回遅れのジャン・ルイ・シュレッサーを抜く際に接触しリタイヤ。フェラーリのゲルハルト・ベルガー、ミケーレ・アルボレートが1-2フィニッシュで優勝した。

 2023年のレッドブルはシーズン全22戦中21戦で優勝し、数字上は「15/16」をはるかに上まわるが、フェルスタッペン19勝、セルジオ・ペレス2勝で残り5戦を残してドライバーズチャンピオンが決定した。セナ8勝、プロスト7勝、第15戦日本グランプリでセナがチャンピオンを獲得した1988年の緊迫感が、長年にわたり「15/16」の数字の価値を高めている。

マクラーレン・ホンダ MP4/4

「V12」マクラーレン・ホンダ MP4/6(1991年)

 マクラーレン・ホンダ MP4/6の数字は「V12」。エンジンが前年までのV型10気筒からV型12気筒「RA121E」に変更された。F1エンジンでもっとも美しいエキゾーストノートを奏でる「V12」だ。

 1991年は全16戦で争われ、第15戦日本グランプリまでアイルトン・セナ6勝、ナイジェル・マンセル5勝(ウィリアムズ・ルノー)。マンセルのチャンピオン獲得の条件は鈴鹿と最終戦のオーストラリアグランプリの2戦連続優勝のみ。予選でゲルハルト・ベルガーがポールポジションを獲得し、2位がセナとなったマクラーレンは、予選3位のマンセルをセナが封じ込めベルガーが逃げマンセルに勝たせない作戦。10周目の1コーナーを抜けたところでセナの後方を走るマンセルが左タイヤをグラベルに落とし2コーナーでコースアウト。この瞬間にセナの3回目のドライバーズチャンピオンが決まった。

 セナはペースを上げベルガーを抜き独走。最終ラップ、セナが西ストレートから130Rに進入するとき、2位ベルガーは西ピットの上り坂にチラッと見えるほどの差があったが、セナが急減速しシケインでベルガーが追いつく。最終コーナーでセナはアウトにマシンを寄せベルガーに手で合図を送り、ベルガーがインを駆け抜けトップでチェッカーを受け、サーキットはどよめきと歓声に包まれた。後に賛否は分かれたが、30年を超える時を経て記憶に残るシーンになったのは間違いない。

 展示車両はベルガーがドライブしたゼッケンナンバー2だ。最終戦でコンストラクターズチャンピオンを獲得したマクラーレン・ホンダは3連覇、エンジンサプライヤーのホンダは1986年のウイリアムズ・ホンダから6連覇を達成した。

マクラーレン・ホンダ MP4/6

「39」ホンダ RA106(2006年)

 ホンダ RA106の数字は「39」。1992年でF1活動を休止していたホンダは2000年にエンジンサプライヤーとしてF1に復帰する。チームはBAR ホンダ。2004年にジェンソン・バトン、佐藤琢磨によりコンストラクターズポイントで2位になるも2005年まで優勝はできなかった。2006年からBARを傘下に収めワークスホンダとして参戦。マシンはRA106、エンジンは展示されているRA806E。迎えた2006年第13戦ハンガリーグランプリでジェンソン・バトンが自身初となる優勝を飾った。ワークスホンダとしては1967年イタリアグランプリ以来「39」年ぶりの優勝となった。

ホンダ RA106

「107」アルファタウリ・ホンダ AT01(2020年)

 アルファタウリ・ホンダ AT01の数字は「107」。アルファタウリの前身であるトロロッソは2006年から参戦を続け、2018年からホンダのパワーユニットを搭載。2020年からアルファタウリ・ホンダとなった。2020年は新型コロナウイルスの影響で7月に無観客でシーズン開幕、ヨーロッパを中心に全17戦という変則開催となった。

 第8戦イタリアグランプリ、ケビン・マグヌッセン(ハース)がピットレーン入口でマシンを止めた。ビットレーンクローズドとなる直前にアルファタウリ・ホンダ AT01を駆るピエール・ガスリーはタイヤ交換、ピットレーンクローズドに気付かずタイヤ交換を行なったルイス・ハミルトンは10秒のストップ&ゴーペナルティが課せられた。

 シャルル・ルクレール(フェラーリ)のクラッシュによる赤旗・再スタート後にハミルトンはペナルティを消化しトップはガスリー。これをマクラーレンのカルロス・サインツが追い、F1優勝未経験の2人によるトップ争いを制したガスリーが初優勝を飾った。このシーズン、アルファタウリが獲得したポイントは「107」。トロロッソ時代を含め最多のポイント獲得となった。ちなみに翌2021年から角田裕毅がアルファタウリに加わり、ガスリー、角田で142ポイント(シーズン22戦)を獲得している。

アルファタウリ ホンダ AT01

 メインホールの展示は以上だ。メインホールからエントランスに戻る途中の壁に佐藤琢磨とセルジオ・ペレスのサインが書かれていた。また、メインホールに展示されたマクラーレン・ホンダ MP4/5の後方にアイルトン・セナのヘルメットも展示されていた。

佐藤琢磨(左)とセルジオ・ペレスのサイン
マクラーレン・ホンダ MP4/5の後方に展示されたアイルトン・セナのヘルメット

F1日本グランプリ企画展示

 エントランスから地下1階に降りると「F1日本グランプリ企画展示」が行なわれていた。このフロアは予約不要なので、F1日本グランプリ開催中に展示を見られた人がいるだろう。地下1階のフロアは展示車両の入れ替えが行なわれるとのことで、例えば鈴鹿8時間耐久ロードレースの開催中は8耐マシンの展示になると思われる。

階段を降りたところの壁には本田宗一郎氏の写真
今回の企画はホンダ F1 日本人ドライバーたち

 地下1階に展示されたマシン、1台目は中嶋悟が参戦2年目となる1988年にドライブしたロータス・ホンダ 100T。この年からEPSONのロゴがフロントウイングに描かれている。2台目は2007年に佐藤琢磨がドライブしたスーパーアグリ・ホンダ SA07。1990年のF1日本グランプリで、日本人初の表彰台を獲得した鈴木亜久里がチーム代表を務めたスーパーアグリで、2004年のアメリカグランプリで表彰台を獲得した佐藤琢磨がドライブしたマシンだ。最後は2021年に角田裕毅がドライブしたアルファタウリ・ホンダ AT02。2024年のF1日本グランプリでは10位入賞、ポイントを獲得した角田裕毅の活躍に期待したい。

ロータス・ホンダ 100T(1988年)
スーパーアグリ・ホンダ SA07(2007年)
アルファタウリ・ホンダ AT02(2021年)

 レーシングギャラリーの予約サイトを見ると、執筆時点で5月末までは予約不要となっている。6月1日~2日で開催されるSUPER GT第3戦では要予約。ホンダ F1の歴史を刻んだ数々のマシン、レースがない日は遊園地の入場料で見られるので、ぜひご覧いただきたい。

レーシングギャラリーは観覧車のすぐそば。園内に入ったら観覧車を目指そう