インプレッション
ホンダ「クラリティ フューエル セル」
Text by 河村康彦(2016/5/14 00:00)
5名乗車という合理的なパッケージングを実現したクラリティ フューエル セル
世界初の量産型燃料電池車として、トヨタ自動車「ミライ」が発売されてから1年4カ月。率直なところ、「あれから結構待たされたナ……」とそんな思いを禁じ得ないタイミングで発売されたのが、本田技研工業の燃料電池車「クラリティ フューエル セル」だ。
ただし、日本国内での初年度計画台数が200台程度としてローンチされたこのモデルの場合、発売となってもミライのように個人がディーラーに出向いて購入というわけにはいかない。「導入初年度は自治体や企業を中心にリースを行ない、その後の状況を見て個人ユーザーへの販売を行なう予定」と、まるで首を長くしてそのデビューを待ちわびていた人の気持ちに釘を刺すかのように、発表のニュースリリースにはそんな一文が加えられているからだ。
あくまでも試験的な市場導入に留まった2008年発表の従来型「FCXクラリティ」。それに続いて、今回もまたリース販売という方法が採られたことは、個人的にはちょっと残念に思う。もっとも、建前上は「誰でも買える」というミライの場合でも、いざ購入となれば現時点で注文を入れても納車は2019年以降になるとのこと。それはひとえに生産能力ゆえの事情とされているが、こちらもまた、これで「量産」と言えるのか!? と、そんな疑問が拭えないでもないわけだ。
それはともかく、いずれにしてもかつては世界のメーカーがこぞって開発にしのぎを削った燃料電池車も、結局のところ現時点で“モノ”になったのはこの2台のみ。もちろん、それがともに日本メーカーの作であることは、ためらいなく誇れる事柄であることだけは間違いない。
果たしてこれがスタイリッシュと呼べるのか否か!? かくも意見が分かれそうなルックスではあるものの、クラリティ フューエル セルがミライ以上に「エアロダイナミクスに注力した造形の持ち主」であることは間違いなさそうだ。
実はこのモデル、抵抗係数や揚力係数など空力にまつわる数値データは公表されていない。担当エンジニア氏に問うたところ、「そうした数値は測定用風洞によるバラ付きが無視できないため、誤解を避けるために現在は公表を行なっていない」というのがその理由であるという。
それでも、前輪はもとより後輪側にもエアカーテンを採用し、ルーフサイド部分のモールを廃して段差をなくした上で、目に見えない床下全面までを整流用のカバーで覆うといった、きめ細かな対策を施しているこのモデルの空力性能が優れていないはずがない。スタイリッシュか否かはまた別問題として、プロポーションそのものはすこぶる流麗なクラリティ フューエル セルの空力性能が、世界トップレベルにあることは間違いナシだ。
ミライの場合と同様に、「これがクルマの基本形であるから」というフレーズを用いつつ、この時代に敢えて4ドアセダンのパッケージを選択したのは、やはり当然官公庁への納入も考えての事情もあるはず。「キャノピー風のデザインを強調したかったので、ルーフ部分をブラックで塗り分けた」としつつも、せっかくのそんな狙いを台無しにしてしまう(!)ブラックのボディカラーを設定したのも、理由は同様と考えられる。
そんなクラリティ フューエル セルのボディサイズは先発のミライに比べると、全長と全幅がやや大きい一方で、全高は55mmと明確なマイナスという関係。だが、その程度の差とは信じられない思いを抱くのは、リアシートへと乗り込んだ時。「こんなに大きなセダンなのにどうして?」と、そんな疑問を抱かざるを得ないほど、特に足下空間がタイトなミライに比べると、クラリティ フューエル セルの後席スペースは遥かに余裕が大きいのだ。そう、より合理的なパッケージングを実現させたことこそが、ミライに対するクラリティ フューエル セルの明確なアドバンテージの1つ。
モーターやコントロール・ユニットはフロントフード下。燃料電池スタックや昇圧コンバーターはボディ中央部のフロア下。水素タンクはリアシート下とリアアクスル後方。そしてニッケル水素バッテリーをリアのシートバック背後……と、分散配置を余技なくされ、結果としてかなりの部分を専用構造とせざるを得なかったのがミライの骨格。
それに対して、クラリティ フューエル セルではまず、燃料電池スタックや昇圧コンバーター、駆動ユニットなどを、従来の3.5リッター級V6エンジン+トランスミッションと同等のボリュームにまとめた上で、フロントフード下に一括搭載。さらに、リチウムイオンバッテリーをフロントシートのクッション下に、ミライ同様サイズの異なる2本の水素タンクを、大小の組み合わせをミライとは逆方向にしつつやはりリアのシートクッション下とリアアクスル後方にレイアウトしたことで、よりコンベンショナルな車両に近い骨格を用いることを可能としているのだ。
実は“クラリティ”を名乗るホンダの新世代モデルには、この先近い将来にプラグインハイブリッド仕様とピュアEV仕様が加わる可能性が示唆されている。そしてそのいずれもが、今回のクラリティ フューエル セルで陽の目を見た新開発プラットフォームを採用する可能性が高い。極端に言えば、エンジンとトランスミッションを組み合わせたパワーパックを搭載すれば、そのまま“エンジン車”としてデビューできてしまいそうなのが、このモデルに採用された新骨格。そんな高い汎用性の実現の背景には、徹底的なコンパクト化を図ったホンダならではの燃料電池システムの完成があったわけだ。
「余分なノイズ」が聞こえないキャビン
クラリティ フューエル セルで走りはじめると、それはミライの場合以上に「ピュアなEVそのもの!」というのが第一印象。そもそも、駆動力を発揮するのはモーターのみという燃料電池車も、当然EVの一種。だが、それを承知の上でミライ以上に“ピュアEV濃度”が強く感じられたのは、そこに「余分なノイズ」が加わらないからだ。
実はミライの場合、アクセルの踏み込みにリンクをして、金属的なノイズが明確に耳に届く。燃料電池スタックの化学反応を促進するべく、エアを送り込むコンプレッサーの回転数が高まることによるノイズがこれだ。
ところが、クラリティ フューエル セルではそうしたノイズがほとんど聞き取れない。こちらもエアポンプは採用するものの、ホンダが“電動ターボ型”と称する同軸上に形状の異なる2つのインペラーを配置したコンプレッサーが発するノイズは、最高回転数は10万rpmに達するというにも関わらず、相当に意識をしていても「聞こえない」に等しいものなのだ。
一方で、それゆえということもあって気になったのは、ロードノイズばかりが目立つという印象。絶対的にも気になるボリュームであると同時に、路面変化に対して敏感に反応する点も残念だ。前述のように、入念な空力対策が施されていることもあり、確かに風切り音などは小さめという印象。だからこそ、このロードノイズの対策は早急に行なってほしいと感じられた。このモデル用に開発されたというタイヤも、あるいは何らかの“わるさ”をしている可能性も否定はできない。
ちなみに、高速道路と一般の幹線道路をメインに、基本は1人乗りで行なった今回のテストドライブでは、特に強力とは言えないものの、アクセル操作にきれいにリンクして速度が高まるEVならではの感覚はなかなか気分がよく、その力強さも必要にして十二分という印象。自然なステアリング・フィールやなかなかしなやかなサスペンションのストローク感など、基本的な乗り味もこうしたサイズを備える上級セダンとして満足に足ると評価できるものだった。
ところで、ホンダではそんなクラリティ フューエル セルと同時に、そこから「最大で一般家庭およそ7日分の電力供給を可能にする」という可搬型の外部給電機を発売した。さらに独自開発を行なった高圧水電解技術を活用し、大きなエネルギーを消費する圧縮機を用いずに高圧水素を製造する、10フィート・コンテナサイズのパッケージ型水素供給設備「スマート水素ステーション(SHS)」を岩谷産業と共同開発し、今回の試乗会のベースとなったホンダ和光本社ビルに設置して2015年末から稼働させていることも再度アピールした。
こうした中で特に興味深いのは、燃料電池車では先行するトヨタですらいまだに手掛けていない、水素そのものの製造までを自身の手で行なう姿勢を見せていること。その理由について、「ホンダはすでに独自の水電解技術を持っていたため」と説明する。これは、既存のエネルギー供給会社以上に高い技術力を備えているという自負の表現であると同時に、水素製造の過程に対し、自動車会社が抱く1つの危惧の現れとも読み取れることができそうだ。そう、供給インフラの未整備ぶりばかりが話題とされがちな“水素社会”の実現も、そもそも自然界にそのままの姿では存在しない水素そのものを、どのような手法で製造するかが大問題。
例えば、せっかく起こした電気から水素を製造する、という手間や効率を考えれば、もしも究極的に優れた2次電池が完成された暁には、「そのままピュアEVに充電して走った方が遥かに得策」というシナリオが成り立ってしまう。そう、“水素社会”のメリットとは、まずは現在の2次電池が不得意する「貯めること」と「運ぶこと」の2点が克服できるという点にあるはず。例えば、人里離れた砂漠や平野で自然エネルギーを活用しつつ起こした電気を水素に変換し、それを遥か離れた地に運んでふたたび燃料電池によって電気へと変える、という具合にだ。
燃料電池車を走らせるための総合効率は、水素の製造法次第で大きく変わってしまう。確かに走行時のCO2発生はゼロであっても、広い視点で見た時にそれは必ずしも“究極のエコカー”などと呼べないというのは、そんな理由によるものだ。
それでもやはり、燃料電池車が将来に向けて欠かせないテクノロジーなのは、燃料たる水素を製造するためにさまざまな方法が存在するという、“内燃機関車では考えられない多様性”を備えるからこそであるはずなのだ。