インタビュー
2002年のダカールラリー優勝車、三菱自動車「パジェロ」について増岡浩氏に聞く
2021年4月7日 12:13
- 2021年3月24日~6月下旬 展示(予定)
「ダカールラリー展」を本社ショールームで開催中
三菱自動車工業は、6月下旬まで本社ショールーム(東京都港区)にて「ダカールラリー展」を開催している。この展示イベントに伴い、実車が展示されている2002年のダカールラリー総合優勝車である「パジェロ」について当時のドライバーを務めた増岡浩氏に話をうかがう機会を得たのでお届けする。なお、増岡氏は現在三菱自動車の広報部チーフエキスパート、そして第一車両技術開発本部 機能実験部担当部長として広報、車両開発の両方に携わっている。
まずはマシンの概要だが、優勝した増岡氏のマシンは3代目のパジェロをベースとした車両で、外観を見る限りオーバーフェンダーによる全幅の違いのほかは市販車との大きな差は見られない。特筆すべきは、この3代目から採用されたモノコックボディをそのまま採用し、過酷なダカールラリーに臨んだことだ。ドアやリアウィンドウ部の開口部を軽量なカーボン製としているものの、ボディはそのままだ。
ちなみにエンジンはV型6気筒DOHC3.5リッター MIVECの6G74型。こちらはディーラでも販売され、ダカールラリーにも出場していた「パジェロ エボリューション」に搭載されたエンジンだ。
増岡氏によると、ラダーフレームからモノコックへの変更は当時多くの人に疑問視されたそうだ。しかしながら、軽量かつボディ剛性が確保できるモノコックボディと4輪独立懸架のサスペンションの組み合わせは、砂漠での安定した高速走行が求められるダカールラリーでの勝利には必要不可欠だと増岡氏は考えていたそうで、最終的には三菱自動車の開発拠点である岡崎技術センターのGOサインが出て採用されたとのことだ。
パジェロのモノコック化は車体剛性をボディ全体が受け持つ構造ゆえ、ウインチの設置をはじめ一部の装備の装着に制約を受けることになるが、2002年の総合優勝で増岡氏は新しいパジェロの堅牢性と走破性を自ら証明したことになる。エンジンは、高回転時の出力よりも3000~5000rpmでの出力強化という増岡氏の強いリクエストにより、カムの形状などの改良を重ねて中低速域がより力強いタイプにチューニングされた。レギュレーションによる36φのリストリクターを装着した状態での6G74型は260PS、最大トルク36kgfmを発生する。
ショールームに展示されているマシンを見ると、世界一の過酷さを誇るダカールラリーを制したマシン特有のオーラを感じつつも、そのフォルムは当時街で見かけた普通のパジェロそのもの。また、外観は過酷な地を10000km近く走り抜けたとは思えないほど綺麗だ。これは2002年がライバルとのデッドヒートもなく圧倒的な勝利だったことの証だ。前年に不可解な主催者側のミスで勝利を逃した増岡氏の勝利にかける執念、緻密なプラン、パジェロの高い走行性能、ドライバー/コ・ドライバーの技術や豊富な経験が噛み合い、他を圧倒したからこそクルマの破損もトラブルもなくライバルを引き離しゴールにたどり着いたのだ。増岡氏いわく、「少ないリードだと(2001年のように)また何があるか分からない。この年はぶっちぎりの優勝だけを考えていた」そうだ。
マシンはレストアされて現在でも走行可能な状態だというが、決してレストア時にお化粧直しをしたわけではない。実際、パネル展示された当時のどの写真を見ても綺麗だ。
三菱自動車は2008年までパジェロでダカールラリーにて快進撃を続け、舞台を南米に移した2009年にレーシングランサーで出場したのを最後に活動を休止する。2005年にランサーでのWRC活動をすでに終えていた三菱自動車にとって、世界の舞台でのワークス活動はここで一旦幕を降ろすこととなった。
その後、三菱自動車のモータースポーツ活動は2012年に再開する。「i-MiEVエボリューション」でパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムへの挑戦だ。すでにオールターマックで開催されていたこのヒルクライムでの三菱自動車のチャレンジは、「今後の車両の電動化に向け、モーターや電池を限界まで使いながらパワーユニットや制御技術の向上を主眼としていた」と増岡氏は振り返る。
また、WRCやダカールで経験を積んだスタッフがベテランになりつつある時期だったこともあり、パイクスでは若手メカニックを起用。現在その人材が育ち、電動車の技術を支えているそうだ。現在の電動化の流れを考えれば実にいいタイミングでの参戦だったように思える。
2013年からは「アウトランダーPHEV」で東南アジアで開催されるアジアクロスカントリーラリーへの挑戦をスタートする。こちらはダカールラリーとは違い、雨季の東南アジア特有の泥との戦いで、ツーアンドフォーモータースポーツのプライベーター参戦への技術支援という形で実現している。
実は、この挑戦は明るい未来を描いての企画ではなかったと増岡氏は当時を振り返る。2013年の春、三菱自動車が自動車用バッテリーの不具合によるアウトランダーPHEVのリコールという問題が大きな話題になったことを記憶している読者もいるのではなかろうか。これまで三菱自動車が育んできた電動車両の信頼を取り戻すという会社的な緊急課題が、このラリーへの技術支援のきっかけになったことも今回明かしてくれた。怪我の功名と言っては語弊はあるだろうが、奇しくもパジェロで育てた堅牢なモノコックボディとパイクスで育てた電動化の技術がここで1本の糸として繋がったわけだ。
電気と相性のわるい水との戦いは、アウトランダーPHEVにとって決して楽な戦いではなかったが、ツーアンドフォーモータースポーツのスタッフと岡崎から現地入りした三菱自動車の技術スタッフの奮闘は3年間に渡り、東南アジアでの過酷な環境で堅牢な車体の電動車両を磨き込んだのだ。増岡氏も2015年にはこの車両で欧州のバハ・ポルタレグレという500kmのグラベルコースで行なわれるスプリントレースに出場し、その感触を確かめている。
ショールームでは最新の三菱車をチェックできる
2002年のダカール優勝マシンが展示されているショールームには、最新の三菱車が展示されている。もちろんアウトランダーPHEVや「エクリプス クロス PHEV」は細部にわたって見学できるが、ラリー車としても実戦投入されたアウトランダーについて、増岡氏は「ウチの会社ってパジェロとランサーって2本の柱があって、アウトランダーって2台のいいとこ取りなんですね。S-AWCがその中核にあってランサーの回頭性とパジェロの堅牢性、走破性を併せ持っているんです。ゲリラ豪雨をはじめとする、いかなる状況下でも家族を安全に家まで届けられるクルマは大切なんです。三菱自動車には(ラリーをやめた今でも)タフな走りのイメージを持ってくれている人が多いのです。そういう期待に応えなければと常々思っています」と胸の内を語ってくれた。
そんな増岡氏だが、さすがに世界の頂点に立った展示中のパジェロを基準に考えれば「現時点で電動車がそれに変わるものではない」と前置きしながらも、パワーの制御技術などで電動車両の可能性は無限に感じるという。加えて「世界に挑戦する形として、経験豊富なヨーロッパなどの組織に委託して戦うチームもあるが、われわれ三菱自動車(増岡氏は当時ラリーアートの社員)は量産車にも関わる社員が現地に赴き戦ってきた。だからラリー車と量産製品が近い位置にあるんです」と語る。確かに今回展示されたダカール優勝マシンなどはその典型だ。
昨今の電動車の話はとかく環境問題に偏りがちだが、電動化を進めながらもその本質は堅牢で走破力の高いクルマという増岡氏の話はある意味痛快だ。その礎となったのがモノコックボディを採用し、ダカールラリーを制した展示モデルだと思うとなんだか感慨深い。一度、過酷なアフリカの砂漠を世界中のライバルを蹴散らし走り切ったパジェロを眺めにショールームに足を運んではいかがだろう。
また、取材時にはショールーム2階にある三菱自動車のティースタンド「MI-Playground」でダカールの映像も流れていた。まったりとオーガニック茶葉とドライフルーツを使ったフルーティなどを飲みながら映像を楽しむのもいいだろう。