【連載】橋本洋平の「GAZOO Racing 86/BRZ Race」奮闘記

第43回:まさかの救急搬送、そして優勝!? 個人的に大波乱だった第4戦岡山レポート

レース前に大波乱

 ワタクシ事すぎて大変恐縮ではあるが、実はレースウィークの水曜日に死にかけた。それは何も事故を引き起こしそうになったというような話ではない。第4戦が行なわれる岡山国際サーキットへの電車移動中、食物アレルギーのアナフィラキシーショックになってしまったのだ。

 それは呼吸困難と口や耳の腫れが発生し、気を失うというシリアスな状況。ともに電車移動していたプロドライバーの佐々木雅弘選手が在来線を緊急停止させ、僕を駅のホームまで引きずり出し、救急車を手配してくれたらしい。その後は姫路市内の救命救急センターに搬送。1泊入院することになったのだ。聞けばかなり危ない状況だったらしく、命を落としてもおかしくはなかったらしい。現在は精密検査を受けている段階で、原因はハッキリしないが、いずれにしても生きた状態でこのレポートを書けただけでもラッキーだ。くだらない話が多いが、そんな記事を目にしてくれる読者の皆さま、まだまだ続きます。今後ともよろしくお願いいたします!(笑)

 そんなわけで、なぜに電車移動をしていたのか? そこに引っかかる方々もいるだろう。いつもは自走だの積載車移動だの言っているくせに……。それは今回の岡山大会に向けて、事前テストを行なっていたからだ。かつて優勝したことがあるサーキットであり、個人的にも好きなサーキットだから気合が入っていたのだ。その時は自走で岡山入りしたのだが、いち早く東京に戻る必要があり、佐々木選手と仲のよい岡山の渡海自動車さまにクルマを預かっていただいたのだ。ほんとは預かってもらうだけの予定だったが、飛び石を佐々木選手からくらい、ガラスが割れたのでその修正をお願いすることになったのではあるが……。いずれにせよ、全ては順調に流れていたわけだ。

 だが、その引き取りをしようと向かっている最中に前述の事件が起きた。もうレースは欠場しようかとも思ったのだが、せっかく命拾いしたことだし、アレルギーを対策しておけばフツウの生活はできそうだしと、救命救急センターから岡山入りして練習走行をすることに。あとはいつもの流れである。

 とは言うものの、やっぱり体力は消耗しているようで、しばらくはハアハアと息が上がってしまう始末。アナフィラキシーショックを引き起こす前の2日間はウイルス性腸炎にかかっており、体重が数kg落ちるほどだったから、それも要因なのかもしれない。だが、気合を入れて走ればタイムはみるみるアップしていく。もしや、ダイエットできちゃったことが効果を発揮したのか!?

 ということで、金曜日の占有走行では全体の4番手タイムを記録。セッティングもドライビングもまずまずであり、まだ引き出しはあるので上も望めそうな状況だったのだ。何としてもポールポジションが欲しい。そして優勝に繋げたい。そんな思いを知っていたのだろう、メンテナンス担当のレボリューションはいつも以上に気合いを入れ、入念なチェックを行なってくれた。少しでも上に行けるように、万全を尽くしてくれたのだ。

 その甲斐あってか、土曜日の予選も順調だった。クリアラップを取るために遅れてスタート。雨が上がったばかりで難しそうなコンディションだったが、ウエットパッチがところどころに見えるくらいで、走りに影響はなさそうだと判断。ドライの時と同じように走ろうとアタックを始める。1コーナーを無難にクリアして高速の2コーナーへとアプローチ。ここはアクセルOFFで進入して、その後はジワリとアクセルを入れて行くのだが、その時にわずかにオーバーステアを出してしまう。若干ミスったかな? くらいだったが、実はセクター1は全体ベストを記録。その後も順調に走ることで、セクター2も全体ベストを記録していたそうだ。ピットはそれを見て盛り上がっていたようだが、実はその時、クルマは不調に陥っていた。何と、またもやガス欠症状が発生したのだ。クルマはそこで失速。タイムを記録することができず、ユルユルとピットに戻ってきてしまったのだ。

橋本:「ガス欠症状がまた出てアタックできないんだけど、ガソリン入っている?」
メカ:「前日まで問題がなかったギリギリの燃料を入れました」
橋本:「もしかしてグリップが高まって燃料が吸えないんじゃない?」
メカ:「そうかもしれません。すみません……。このままもう1度アタックしてもらうしか……。」
橋本:「分かった。もう1回行ってくる!」

 こうしてふたたびコースインするが、ガス欠症状はひどくなるばかり。左コーナーが連続した後にガス欠症状になるのは鈴鹿で出たものと同様だが、その後の症状の悪化の仕方から見ても、今回のものは単にガソリンを入れる量が少なすぎたのは明らかだった。少しでもタイムを詰めてやろうと考えたメカニックの思いやりが裏目に出たわけである。これもレース。仕方なしである。結局はガス欠症状を起こしながらの走行で記録したタイムが予選結果となり、ナント人生初のBレース(予選落ちした人たちのためのレース)行き。グリッドは20番手である……。

 だが、この結果が同じチームの佐々木雅弘選手には活きた。僕と同じガソリン量で出発するはずだったものを改めて予選アタック。見事にポールポジションを取ることに成功した。お役に立てて光栄だと考えるしかない。落ち込んでいたが、よしとせねば……。命の恩人に少しでも返せたことはとりあえずよかった。

クリーンな展開が印象的だったBレース

Bレースでは全24台が出走

 翌朝一番に始まるBレースは、人影もまばらで盛り上がりはあまり感じない。きっとみんなまだサーキットに訪れていないのだろう。だが、そこでも少しでも上に行けるように頑張ってみた。すると、1周目で7位まで浮上! 2周目には全車を抜き去ってトップに立っていたのだ。

 その後は順調に周回を重ねて優勝! Bレースは荒れるのではないかと心配していたのだが、周囲の方々はきちんとお互いの場所を開けながら走行していて、とてもクリーンなレースだったからこその結果と言っていい。ホントは本戦で戦いたかったが、病み上がりのレースとしては上々。生きてレースができているだけで幸せである。

順調に周回を重ね、なんと優勝することができた

 その後は佐々木選手のレースを応援していたのだが、スタートこそ手こずったものの、その後はトップを死守して今季初優勝! クルマのトラブルなどがあって、しばらく苦戦していた後の優勝だったから、わがことのように嬉しい。おめでとう!

プロクラスでの佐々木選手の優勝はわがことのように嬉しかった

 このように、まさに波乱万丈の岡山。結果を出せなかったことはもちろん残念ではあるが、手応えを感じることができたし、次に繋がりそうだと思える1戦だった。ま、命も繋がったことですし(笑)。

次に繋がりそうだと思える岡山での優勝。次戦の富士(7月21日~22日)も頑張ります!
ちなみにBレース優勝者には「アイラブカーズ賞」が贈られる。優勝賞品はなんとタイヤ1セット! ラッキー!

橋本洋平

学生時代は機械工学を専攻する一方、サーキットにおいてフォーミュラカーでドライビングテクニックの修業に励む。その後は自動車雑誌の編集部に就職し、2003年にフリーランスとして独立。走りのクルマからエコカー、そしてチューニングカーやタイヤまでを幅広くインプレッションしている。レースは速さを争うものからエコラン大会まで好成績を収める。また、ドライビングレッスンのインストラクターなども行っている。現在の愛車は日産エルグランドとトヨタ86 Racing。AJAJ・日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

Photo:高橋 学