奥川浩彦の「レースと写真とクルマの話」

第8回:日本のサーキットの変遷その4「富士スピードウェイ(後編)」

2020年の富士スピードウェイ

 モータースポーツファンに贈る「日本のサーキットの変遷」シリーズ。前回は富士スピードウェイの2005年のリニューアル前までを振り返ったが、後編はリニューアルされたサーキットとこれから大きく変化する道路事情などをお届けしよう。

トヨタ傘下に入りリニューアル

 国際格式のサーキットとして国内外で知名度は高かったが、施設の老朽化が目立っていた富士スピードウェイに転機が訪れた。2000年にトヨタ自動車が三菱地所から株式を取得し富士スピードウェイを傘下に収めた。2003年秋から2005年春まで1年半サーキットを閉鎖し、ヘルマン・ティルケのデザインによる新しい富士スピードウェイが誕生した。

リニューアル工事の様子。ピットエンド~1コーナー付近(富士スピードウェイ提供)
ダンロップ~GRスープラ付近(富士スピードウェイ提供)
パドック、コントロールタワー(富士スピードウェイ提供)

 コースレイアウトは、ヘアピンまでの前半部分は従来のレイアウトを残ししつつエスケープゾーンを拡張し、300Rから先の後半部分はコーナーが連続するテクニカルコースとなった。ピットビルや観客席なども刷新し、名実とも世界に誇れる、日本を代表するサーキットに生まれ変わった。

2005年春にリニューアル工事が完了。新しいサーキットに生まれ変わった(国土地理院の空中写真閲覧サービスを加工して掲載)

 筆者の曖昧な記憶では、旧サントリーシケイン(Aコーナー)と現在のコカ・コーラコーナーは同じようなレイアウトと思っていたが、空撮で比べるとかなり違う。同様に旧ダンロップシケイン(Bコーナー)と現在のダンロップコーナーも似たようなコーナーと思っていたが、比較すると全然違っていた。

変貌をとげた富士スピードウェイ

 2005年のリニューアル後は2007年~2008年にF1グランプリ、2012年からWECを再開し、2018年からは24時間レースを復活させるなど、国内ビッグレースの開催を含めてモータースポーツの聖地としてゆるぎない地位を確立している。

2007年~2008年にF1日本グランプリを開催。写真は2008年の13コーナー立ち上がり。遠くにダンロップコーナーと仮設スタンドが見える
2008年、ウィリアムズ・トヨタの中嶋一貴。グルーブドタイヤが懐かしい
2012年からWECが再開された
アウディも懐かしい
2018年には24時間レースが復活した
24時間レースは1968年以来の開催となった

20年ぶりのF1も2年で終わった

 WEC、富士24時間レースは継続中だが、F1グランプリは1977年以来2度目のチャレンジも2年の短命に終わった。筆者は富士スピードウェイとF1は「なんとなく縁がなかった」と思っている。筆者のようなジジイにはつい最近のことに思えるが、2008年の開催からすでに13年が経過した。若い人は「エッ富士でF1があったの?」と思われるかもしれない。当時の様子を少し振り返ってみよう。

 トヨタは2002年から2009年までF1に参戦。前述のとおり、2005年に富士スピードウェイをリニューアル。2007年に富士スピードウェイでF1日本グランプリが開催されるが、残念なことに初開催となった1976年と同様、またも悪天候。サーキット内にクルマで入れないシャトルバス方式の観客輸送にもトラブルが発生した。

 筆者自身、決勝日は東ゲートのはるか手前でバスを降りて長い坂を上って観客席にたどり着いた。レース後、筆者はサクッと脱出できたが、多くの観客が遅くまでサーキットに取り残された。

土曜日の朝。東ゲートからバスの列ができていた
日曜日の朝。サーキット手前でバスは動けなくなり、観客は歩いてサーキットへ向かった
東ゲート付近の交差点で振り返る。動かないバスの列と徒歩でサーキットへ向かう人の列
1コーナーの仮設スタンドは傾斜がゆるく、コースのレコードラインが見えないというトラブルも発生
決勝直後のバス乗り場。筆者はここから乗り場に直行してサクッと脱出できたが、その後はバスの到着が遅れ観客が溢れたらしい

 翌2008年は“これでもか”という本気を見せた。沼津、三島方面からのシャトルバスは御殿場IC(インターチェンジ)を利用せず、足柄SA(サービスエリア)から一般道に降ろす奇策で渋滞を回避。帰路のバスを事前に並べて待機させ、各バスに観客を数十人ずつドン、ドン、ドンと瞬時にまとめて乗せるなど目覚ましい“カイゼン”でリカバリーした。しかしさまざまな事情もあり、トヨタのF1撤退と富士スピードウェイのF1開催返上でまたも2年の短命に終わった。

シャトルバスは足柄SAから一般道に出る奇策で渋滞を回避した
帰路も一般道からSAに入るルート。現在の足柄スマートIC付近
ストリートビューと当時の空中写真で確認すると、このルートで足柄SAと一般道をつないだ
2008年の決勝日。コースの先、モビリタに数えられない台数のバスが待機していた
2008年のバス乗り場(現在のP2)。朝なので人もバスもまばら。レース後は大量のバスが待機していた

半世紀前の痕跡を訪ねてみた

 ほかのサーキットにない激変の歴史を刻んだ富士スピードウェイ。旧コースを代表する30度バンクは、現在もその一部が「30度バンクメモリアルパーク」として保存されている……素晴らしい。

 訪ねてみた。現在の1コーナー、TGRコーナーの外側の道路の少し先に案内看板が設置されている。その先に用意された道を下ると、30度バンクの途中に降りることができる。

1コーナーの少し先に案内看板が設置されている
案内看板はこの位置
30度バンクメモリアルパークの案内看板
30度バンクに降りる道が用意されている

 残された30度バンクはまわりが草木に覆われ、路面の継ぎ目から生える草が半世紀の時間の経過を感じさせる。バンクの下部は傾斜がゆるく、上部に行くほど傾斜がきつくなっているが、その傾斜は滑らかとは言えず、継ぎ目に生える草がそう見せているのか下段、中段、上段と3段階で傾斜がきつくなっているように見える。

 昔から不思議なのはホームストレートと30度バンクの高低差だ。この30度バンクの入口付近で1コーナーより高度は18mも低い。当時、ストレートエンドで急激に下りながらバンクに進入するレイアウトはドライバーにとって困難かつ恐怖だったと思われる。

ストレート方向。左端、木々の上に1コーナー正面の看板が見える。1コーナーとこの付近の高度差は18m。ストレートから30度バンクへ急激に下っていることが分かる
進行方向を見ると徐々にバンクの傾斜がきつくなっているように見える
進行方向に100mほど進んだ位置。もう少し進むとバンクの傾斜が徐々にゆるやかになってるように見える
1コーナー正面のau KDDI看板下から撮影。ホームストレートとほぼ同じ高さから見るとバンクが急激に下っていることが分かる

 30度バンクの下をくぐる部分のトンネルも半世紀前の雰囲気を残している。リニューアル以前は、グランドスタンド裏や1コーナー付近の駐車場から東ゲートに向かうときは30度バンクの外をまわってこのトンネルを通るルートだった。足を運ぶとトンネルは当時の雰囲気を残している。

30度バンクのイン側。P9の脇に立つと上の30度バンクがチラッと見える
アウト側も当時の雰囲気がたっぷり残っている

 もう1個所、半世紀前の遺産を見てみよう。旧コースはグランドスタンドの下からヘアピン側に抜けるトンネルが用意されていた。現在のグランドスタンド裏とヘアピン側を結ぶエスカレーター付きの広い地下通路とは異なり、ひと言で表すと“土管”だった。

 現在は閉鎖されていて、ヘアピン側の出入口だけ見ることができる。場所は現在の地下通路の少し最終コーナー側。パドックに通じる道の脇ににある。昔を知らない人には“土管”にしか見えず「えっ人が通ってたの?」と思うかもしれない。トンネル内を覗くと舞い込んだ枯れ葉やゴミで廃墟ツアーな雰囲気がある。

昔のトンネル通路はこの位置に残っている
トンネルの出入口。現在は閉鎖されている。「あっ、見たことある」という人がいるだろう
鉄格子の隙間から内部の撮るとこんな感じ。廃墟ツアーな雰囲気がある。当時は右側のポール部分に直径30cmほどのパイプが設置されていた

 このトンネルが使用されていたころの映像が残っている。映画「汚れた英雄」で最終戦に臨む、主人公の草刈正雄とメカニックの奥田瑛二がトンネルを抜けて決勝グリッドに向かうシーンがある。レースシーンはスポーツランドSUGOが舞台だが、演出として使用されているトンネルが富士スピードウェイのこの地下通路だ。

 このシーンは1時間52分の映画の1時間22分30秒あたりに登場する。当時、筆者は何度も通ったトンネルだが内部の記憶はなく、映画を見ると蛍光灯が4~5mごとに1本ずつ設置され、トンネル内の写真の右側のポール部分に直径30cmくらいのパイプ(用途は不明、通信や放送用?)が設置されている。

 ちなみに映画「汚れた英雄」は1983年の正月映画として1982年に撮影された。テスト走行のシーンで富士スピードウェイが使用されている。ピット、1コーナー、250R、ヘアピン、300R、最終コーナーなど当時の様子を見ることができる。

変化する道路事情

 変貌を続けた富士スピードウェイ。これからも富士スピードウェイを取り巻く環境は大きく変化する。まずは新東名高速道路のルートを見ていただこう。

富士スピードウェイの目の前を新東名(赤線)が通過する
コースの南側で新東名高速道路の工事が進んでいる

 富士スピードウェイから東名高速は現在もそれほど遠くないが、新東名のルートは圧倒的に近い。新東名の全線開通は2023年度なので、フルに利用できるのは2024年シーズンのレースとなるが、新東名の御殿場JCT(ジャンクション)~新御殿場IC間と、国道138号須走道路および御殿場バイパスは2021年4月10日16時に開通。2021年5月のSUPER GT以降、名古屋方面など西から富士スピードウェイへアクセスする人は大幅な時間短縮が期待できる。

 道路の一般的な開通情報はトラベル Watchの「新東名 新御殿場IC~御殿場JCT/国道138号バイパスなどが4月10日16時に同時開通」開通前の新東名 御殿場JCT~新御殿場ICと国道138号バイパスを走ってみた」を参照していただきたい。

 ここでは新東名の新御殿場ICと国道138号御殿場バイバスの開通により、富士スピードウェイのアクセスがどう変わるかを紹介しよう。

 新ルートで富士スピードウェイに向かうときは、名古屋方面から新東名の新御殿場ICを降り、そのまま御殿場バイパスの仁杉JCTに進む。富士吉田方面に向かい水土野ICを降りよう。御殿場バイパスは無料で利用することができる。

国土交通省の資料から関係するところだけ色を残した。新東名の新御殿場ICから御殿場バイパスの仁杉JCT、水土野ICへ進む
水土野ICを降りて右折し富士スピードウェイに向かう。帰路はその逆となる

 水土野IC降りて北へ。しばらく道なりに進み突き当たりを右折。そのまま進むと富士スピードウェイの西ゲートに到着する。帰路はこの逆。西ゲートを右折して1個所左折すると水土野ICに行くことができる。水土野ICから御殿場バイパスに入ったら案内に従って新東名に乗れば、これまでの足柄スマートICや御殿場ICから東名高速に乗るルートより大幅に時間短縮できそうだ。

水土野IC降りて北へ進み突き当たりを右折すれば西ゲートに行くことができる(Googleマップに加工)

 筆者が開通前に想定したルートは上記のとおり水土野ICを利用し、一般道は1回曲がるだけのシンプルなルートだ。開通直後にトラベル Watchに掲載されたルートは、富士スピードウェイの西ゲートから新御殿場ICに直接向かうルートとなっている。どちらが早いかは不明だが、選択肢があることはよいことなので、こちらの記事に掲載された動画も参考にしていただきたい。

新東名 新御殿場IC周辺の開通区間を走ってみた。富士スピードウェイへのアクセスも便利に

https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1317996.html

 残念なお知らせもしておこう。2019年3月に開通した足柄スマートIC。従来の御殿場ICより近く、すでに便利に利用した人も多いだろう。2020年は夏ごろに無観客レースでシーズンが始まり、途中から観客数を制限して開催した。例年より観客数もクルマの台数も少ないはずだが、足柄スマートICの渋滞は徐々に長くなり、2020年11月のSUPER GTのときは大渋滞が発生した。

 サーキットを出る前に「大渋滞しているだろうな」と思い、Googleマップのスクリーンショットを残しておいたので見ていただこう。このときデータ上は足柄スマートICの手前2.5kmから渋滞していた。足柄スマートIC付近を拡大して見ると、主に御殿場アウトレット側から進入する人の多い高速道路の側道も渋滞していた。

11月のSUPER GTでは2.5km手前から渋滞していた
アウトレット側からも渋滞していた

 一時停止が必要なスマートIC。しかも1レーンなので、利用者が集中すると構造的に渋滞は避けられない。新東名の新御殿場ICの開通すると若干利用者が減るだろうが、大渋滞時も足柄スマートICの下り線は混雑していなかったので、渋滞に並ぶ大半のクルマは東京方面の利用者だと思われる。ここまで渋滞すると東名高速の上り線が流れていれば御殿場ICを利用した方が早いだろう。

 2024年シーズンには富士スピードウェイの東ゲートと西ゲートの中間にスマートICを併設する新東名高速の小山パーキングエリア(仮称)が開設する。複数レーンのスマートICが設置されることを期待したい。

2024年シーズンには富士スピードウェイの目の前にスマートICが設置される。東和不動産が2018年8月27日発表した小山パーキングエリア周辺地区に関する資料(PDF)より

サーキットに隣接したホテルとモータースポーツミュージアムを開業

 東和不動産は、2022年秋に富士スピードウェイ隣接地に開業するホテルの名称が「FUJI Speedway HOTEL」に決定したことを発表した。場所は西ゲート付近、グランドスタンドに向かって左側だ。

富士スピードウェイ隣接地に2022年秋開業予定のホテル、名称「FUJI Speedway HOTEL」に決定

https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1314545.html

 併設されるモータースポーツミュージアムの名称も「FUJI MOTORSPORTS MUSEUM」(日本語表記:富士モータースポーツミュージアム)に決定した。名古屋市郊外にあるトヨタ博物館は乗用車を中心としたミュージアムだが、今回はレーシングカーが対象となるので、筆者は今から待ち遠しい。

 ホテル&ミュージアム、新東名高速の全線開通と今後もその周辺で変化が続く富士スピードウェイ。新型コロナウイルスが終息するまでは入場制限などもあり行き辛いかも知れないが、誰もが認める日本を代表するサーキットにぜひ足を運んでいただきたい。

奥川浩彦

パソコン周辺機器メーカーのメルコ(現:バッファロー)で広報を経て2001年イーレッツの設立に参加しUSB扇風機などを発売。2006年、iPR(http://i-pr.jp/)を設立し広報業とライター業で独立。モータースポーツの撮影は1982年から。キヤノンモータースポーツ写真展3年連続入選。F1日本グランプリ(鈴鹿・富士)は1987年から皆勤賞。