インタビュー

マツダ100周年特別記念車はなぜ「R360クーペ」をモチーフにしたのか?

デザイン本部の中山雅氏、村上佳央さんに聞いたマツダの“レーゾンデートル”

2020年に100周年を迎えたマツダは、2021年3月末までの期間限定で「100周年特別記念車」を発売。これまでマツダを支えたユーザーへの感謝とともに、創立時からの「人々の生活を豊かにする」という志を継承し、クルマづくりの原点を忘れないという想いが込められたモデル

 マツダは2020年に100周年を迎えた。それを記念し、現在販売されている乗用車の全ラインアップ(除く軽自動車)に「100周年特別記念車」を設定。このモチーフとなったのは「R360クーペ」だ。なぜこのクルマが選ばれたのか、そして、どのようにしてこの企画はスタートしたのか。企画に関してやデザインモチーフなどについて、マツダ デザイン本部副本部長の中山雅氏、デザイン本部プロダクションデザインスタジオカラー&トリムデザインGの村上佳央さんに話を聞いた。

“活きの良い”カラーデザイナーをアサインして

――初めに伺いたいのですが、100周年記念車のプロジェクトはどのような経緯で始まったのですか。

中山氏:2018年の秋ぐらいに100周年を盛り上げる企画がスタートしました。そのときはデザイナーだけではなく、エンジニアなども含めて本社の中で10人くらいのタスクチームによって、100周年に仮に記念車を作るとすればどんなクルマがいいのかという企画でした。

 実はその時、私はそこに入っていなくて商品本部でロードスターを担当しており、全然知らなかったのですが(笑)。その活動はちょっとだけ休止状態になり、棚上げとなってしまいましたが、結構色々な企画がありました。

 そして、私が2019年の夏くらいにデザイン部に帰ってきて、2020年に100周年を迎えるということで、「短期的に(企画を)立ち上げて上手くできるのはお前だ」と指名され(笑)、過去の彼らの資料を全部見たのです。その中にいくつかいい提案がありました。特にR360クーペをリスペクトした案が一番いいと思って、それをすぐに前田(デザイン担当役員の前田育男氏)や藤原(副社長の藤原清志氏)に展開し、基本的に即決されたのです。

 そこからすぐにスタート。その内容はカラーに関することが多かったので、カラーデザイナーの“活きのいいの”をアサインしてくれとお願いしたところ、非常に優秀な入社2年目(当時)の村上が担当することになりました。確かに噂に違わぬ逸材でしたよ。

R360クーペをオマージュした理由

R360クーペ

――R360クーペをベースにしたオマージュ以外にはどんなアイデアがありましたか?

村上氏:少しスペシャルな塗装色を作ろうとか、匠寄りのものなどが打ち出されていました。例えば、革の用品を手作りで綺麗に仕立て上げるなど、そういう凝った、お金も時間も少しかかりそうなものという印象でした。

 また、他にはサバンナやRX-8などをオマージュするものもありましたし、例えばセダンタイプであれば、当時のセダンをモチーフにするなど、車格に合ったオマージュをしようというものもありました。

 ただし、私が担当になった時に、R360クーペのオマージュというのは決定していました。2019年の7月から8月の時点です。そこからどのように量産化するか、どのようにキレイにできるかを進めていったのです。

R360クーペのインテリア

――最終的にはR360クーペのモチーフで統一しようとなぜ決断したのですか。

村上氏:R360クーペに対してはオマージュするための経緯、マツダ初の四輪乗用車ということもありますので、きちんとコンセプトになる核がありました。そこで今回はこの1台をリスペクトして100周年として全てに展開していくことにしたのです。

中山氏:チームの提案の中には違うクルマをリスペクトする案もありましたし、もっと未来志向のヘリテージではないものもありました。しかし、若い人たちのチーム(当初のクロスファンクションチームは若い人たちで構成されていた)でしたので、なんでR360クーペなんだろう、マツダですから最初の三輪トラックやコスモスポーツじゃないのかということがすごく新鮮でした。その提案にもロードスターのルーフを赤にした絵がすでに入っていて、あーなるほどな、これだなと思ったのです。

 また、未来志向の提案は、実はマツダの中のある車種限定の提案でした。しかし、これは自分が担当すると決まった時から「全てのクルマでやる」ということは決めていましたので、そうすると一番シンプルなR360クーペをオマージュする方が、それぞれのクルマに適用でき、世界観としても伝えやすいので、これでいこうと決めたのです。

おじさん世代と若い人との時代の捉え方の違い

――このプロジェクトで若い人たちが捉えるマツダというイメージと、中山さんたち“おじさん”が捉えるマツダのイメージが違うと以前の発表会でおっしゃっていました。それは具体的にどういうことでしょう。

中山氏:実はR360クーペも私が生まれる前のモデルです。さすがにコスモスポーツくらいになると生まれた後になりますが。しかし彼女(村上さん)ぐらいになると、ほぼわれわれおじさんが考えるマツダのいいクルマの現役を知らないでしょう。初代ロードスターですら生まれていないですから。つまり、いまの20代は初代ロードスターですら完全なクラシックカーだと思うのです。あのクルマは若い時のものだと思っているわれわれおじさん世代とでは全くマツダに対する思い入れも違い、いい時代だなぁと思うその時代もまるで違っているわけです。

 もしかしたら、僕らおじさん世代が「あれはよくない時代だった」と思う時も、いまの若い人たちからするといい時代のマツダなのかもしれませんし、逆におじさんがいい時代と思っているときは、そもそも生まれていないので何とも思っていない。よしあしの尺度が全く違うというのが新鮮でした。つまり、R360クーペもファミリアもコスモスポーツも、若い人たちからすると昔のクルマということで同じなのです。おじさんは当然違うのですが、そういうことを学びながら、改めて今後どのようにマツダは生きていかなければいけないかという勉強になったかなと思っているのです。

 それにも関わらず、素直にあんな小さなクルマをリスペクトしてくれた。僕ら世代になるとなんとなくコスモスポーツになってしまいますが、ちゃんとR360クーペも視野に入れて考えてくれていることが嬉しかったですね。

R360クーペの手描きのデザインスケッチを発見!

――さて、R360クーペをオマージュしてと言われた時に、村上さんはどう思いましたか。

村上氏:実際に私が見て頭に残っていたR360クーペは白一色のもので、白赤や白青のツートーンの印象があまりなかったので、最初に聞いた時はそこから調べようと、倉庫に入って昔の資料を見てみたり、インターネットで調べてみたりしたのが始まりです。

 そこで最も目に焼き付いたのは、フロアマットが赤いことでした。また、いまのクルマよりもノイズが少なくてキレイな赤と白の配色が素敵だなと思ったのが第一印象です。

――その倉庫ではR360クーペの手書きのシートのスケッチを発見したとのことでしたが、それを見てどう思いましたか。

村上氏:ちゃんと赤く塗ってあると思いました。ほかのページは結構鉛筆で薄く塗られていたり、ちょっとドットがついていたりなど、そういった図面が描いている中で、このページだけキレイに赤く塗られていて、そこにグッとくるものがありました。すごく意思を感じてとてもやりたいと思いもしました。昔の方がすごく丁寧に図面を描いていて。

 その図面を見て一番驚いたのが、いまのマツダのマークではなく、東洋工業のまる工マークがきちんと印刷されていて、そこにヘリテージも感じました。本物をちゃんと見ることができたのは嬉しかったですね。

 実は、この資料の中にボディカラーの配色図があり、そこに室長のサインがあったのですが、そこに書いてあった名前が前田(デザイン担当役員の前田育男氏)のお父さんのものだったというのは裏話です(笑)。

――R360クーペにはいまお話されたようにツートーンは2種類ありました。そこからあえて赤の方を選んだのはなぜですか。

村上氏:それはやはりマツダがいま赤を打ち出していますので、そこで赤を尊重して選びました。

 そしてボディカラーの白はアルペンホワイトという名称でした。しかし、実際には少し黄色味がかった白だったのです。そこで、アルペンとは真っ白な雪山を想像してその名前になっていると考え、いまここで当時の色を量産として新しく再現・開発するのではなく、昔の意思を尊重していまあるスノーフレイクを選びました。“スノー”でかかっていますし、この色を使うことにしたのです。

いわばお祭り

――今回村上さんは文字通り大抜擢です。しかも、このオマージュを全モデルに反映させなければいけないというのは相当な力量とセンスがないとできないと思います。そのあたりのご苦労はどんな感じでしたか。

村上氏:まず全車種に展開するにあたって、シートはバーガンディと決めていましたので、全車種の全ての表皮材をリスト化し、どれに赤がなくて何を開発しなければならないのかを、自分の中で整理するところから始めました。

 そして“デザイン本部あるある”(笑)かもしれませんが、自分の担当車種以外のクルマは知らない人が多かった。そこで、全車種の仕様を事細かく自分の中で理解して取り入れる必要がありましたので、そこが結構大切で大変でした。例えば、ロアグレードとハイグレードで何が違うのか、使われている素材は何なのか。また、CX-5とCX-8のインテリアは一緒に見えるかもしれませんが、実際に何が違うのか。さらにCX-5であればここがアイデンティティ、CX-8だったらここと、似ている車種でも必ずそれぞれのアイデンティティがありますので、そういったところも勉強しました。

ロードスター 100周年特別記念車
CX-5 100周年特別記念車
CX-30 100周年特別記念車
CX-3 100周年特別記念車
MAZDA6 100周年特別記念車
MAZDA3 100周年特別記念車
MAZDA2 100周年特別記念車

――中山さんはその時に何らかのサジェスチョンなどはしたのですか。

中山氏:していません(笑)。ただ1つだけ僕がやったことといえば、各車種にはチーフデザイナーがおり、その人たちに入社2年目が説明する場面もあります。その時に横にいて、あまり難しいことを言うなよという目で見てはいました(笑)。

 その説明とは、R360クーペのコーディネーションを採用していますので、床は赤で、インテリアには何らかの白いアクセントを入れることをルール化しています。例えば、車種によってはシートのカラーを変えることにもなります。そこをまともにデザイナーに聞いてしまうと「えーっ」となってしまうかもしれません。そこで、これは統一したコンセプトで、室内に必ず赤と白を使おうというコンセプトだという説明をしていったのです。

――チーフデザイナーの中にはえっ! という人もいたと思います。それをどのように説得したのですか。

中山氏:それはお祭りだから(笑)。

正しい記念車の考え方とは

――このプロジェクトは、これまでの100年の感謝と、これからの100年への誓いということが語られています。そこをもう少し詳しく教えてください。

中山氏:元々、“感謝”が100周年のテーマでした。ただ、全体として未来志向で行きたいというのはあります。それは単なるリスペクトではなく、将来に何かを伝えるターニングポイントになったらという思いです。ロードスターの30周年も全く一緒で、振り返るだけではなく、ロードスターをこの先30年後も作りますよという約束のようなもの。それがこの100周年記念車にも当然必要で、100年終わっちゃったので還暦祝ではないですが、長く生きたねというものではないのです。必ずこの後があるんだということを何らかの形で表現したいと思っていました。

 そういうこともあり、ボディカラーも完全に昔のものをそのまま復活させるのではありませんし、世界中でこのクルマを生産できるようにして、従業員全員で祝えるようにしたのです。例えば、メキシコの工場でもこのクルマは作りますので、メキシコで働いている人たちもクルマのラインオフを楽しむことができ、当然販売会社の人は販売することを楽しむこともできます。これは藤原副社長にも言われたのですが、とにかく全従業員がこの100周年記念車で楽しめるようにしたい。それは、楽しむことによってこれからもマツダのクルマを作っていこう、クルマを伝えていこうということなのです。つまり、これが未来志向ということ。単にクルマを作ってありがとうございましたではなく、作る側も買う側もこの先のことを考えられるように、という思いなのです。

 全てのクルマに適用するので、ネタ自体は正直あまり大したことはないかもしれません。その中で未来のことを考えようと思うと、深いコンセプトを考えなければいけない。そのことをチーフデザイナーにも説明していきました。

――これからの100年への誓いというのは大きくてとても大切なテーマでもあります。それに対して今回の100周年記念車は、比較的オマージュを強く押し出していますので、少しギャップも感じますが、その辺りを中山さんはどう捉えているのでしょうか。

中山氏:ギャップはあると思います。限定車を作る際には、未来を先取るようなコンセプトはだいたい考えられるものです。しかしそれは限定車ではなく、普通に量産車があればいいですよね。実は、これはロードスター30周年の時にも同じ悩みがありました。例えば魂動デザインの将来を先取りしたようなコンセプトモデルを仮にロードスター30周年として作ったとしたら、それは何年後かに出てくるロードスターです。

 しかし、自分たちで勝手に仮に5年後に出す、5年後を先取りしたクルマといっても、最初に出した時は嘘か本当かは分かりませんよね。5年後になって初めて本当かどうかが分かるわけです。なので、先の話をするコンセプトは正直成立しないと思いました。ですから、過去のことを表現するのが正しい記念車の考え方で、次にどうするかはわれわれの話です。そこで自分たちが決意を示し、記念車としてマツダを信じてくださいというしかないのです。

クルマ文化を発展させるために

RX-VISION

――マツダデザインとしてクーペは重要なボディタイプです。現在もデザインとしてはクーペを重要視しており、そして今回もクーペをモチーフとして採用しました。デザインとしては将来に渡ってクーペは大切にしていきますというメッセージも感じられます。それは、モデルカーの写真でもR360クーペとRX-VISIONが並んでいる写真もあるからですが、その点はいかがですか。

中山氏:そうですね、何のためにクーペだったのか、なぜR360クーペだったのかが重要なのです。戦後、全てトラックだったのになぜマツダはクーペというクルマを出したのか。それはクルマ文化、この言葉自体は当時ありませんでしたが、物資ではなく文化的にクルマを発展させたいという思いがあったからです。その表現の手段がクーペだった。そういう意味でいうと、マツダはこれからもクルマを文化的に発展させるというクルマを作り続けます。ロードスターはその1つなのです。

 そもそもクーペは2人乗りの馬車の総称で、それがクルマに適用されているわけですが、重要なことは人を乗せることだけを目的にしているのではなく、運転を楽しむとか会話を楽しむとか、そういう文化的な匂いのするようなクルマ。若干遊びグルマという匂いもするクルマがクーペであり、そこがセダンと違うところなのです。

――そういったことを踏まえると、今回の仕事はとても重要でしたね。

村上氏:結構プレッシャーも大きかったのですが、やるからには特別感溢れるようにこだわりをもって、自分のやりたいことはちゃんとやり遂げようという意識で進めました。

 例えばシートのエンボス加工なども開発的には難しく、あまり最近行なっていないところですから、それを全部のクルマに入れるということは、開発側からすると結構大変でした。でも記念車だからやろうと、ほかにもいろいろ問題はありましたが進めることができました。

 問題といえばフロアマットで、その色を変える際、最初から赤い糸を使ってやればフロアマットの色を変えることはできるのですが、いまの量産の基準の耐候性などを踏まえた上で、黒の糸を混ぜつつどこまで赤い色をキレイに見せるかなどが難しかったし大変でした。

――今回100周年記念車を作成するにあたっては、ロードスターからスタートしました。その時に村上さんとして、ここは上手くいったとか、ここはちょっと苦労したとかはありましたか。

村上氏:ロードスターはルーバーリンク(室内のエアコンの吹き出し口)の内側が黒で外側がサテン調のものしかありませんでした。そこに白をきちんと入れることができたことです。それから、ロードスターはインパネのアッパー部分がエクステリアカラーになっています。そこをほかのクルマに合わせると、ロードスターの外板色の白と表皮材の白で色の差が結構出てしまい、あまり見栄えがよくありませんでした。そこでここは潔く全体的に黒にして、きちんとすっきり見せるように仕上げました。

将来の決意を示す年

――最後に今後の100年に向けてのお2人の意気込みを教えてください。

中山氏:文化の話の続きですが、僕がマツダに入る前に山本健一さんが社長になったとき、自動車文化論のようなものを語っていらっしゃいました。そこでレーゾンデートルという言葉を使っていたのです。これは存在意義という意味で、マツダの存在意義をこれから示さなければいけないと。お客さまは感性を持っていますので、その感性を大切にしたクルマを作らないと、マツダのレーゾンデートルはないということでした。その時以来、僕はレーゾンデートルという言葉が大好きになりました。文化という言葉も大好き。マツダは何度も潰れそうになりましたが、100年経ちました。そして、まさにこれからまた100年生き延びていいかどうかのレーゾンデートルがいま、問われている年だと思います。

 マツダの何が提供価値となるのか。それはやはりマツダのレーゾンデートルとしては文化だと思います。そういう意味で文化に貢献した、物資の運搬ではなくて自動車文化に貢献したR360クーペをリスペクトしたクルマをこのタイミングで出すというのは、重要な意味があるわけです。非常に内部的な話ではありますが、将来の決意を示す年ではないかと思っています。ですから、このレーゾンデートルを大切にしたいということが1つあります。

 もう1つ、R360クーペとロードスターが邂逅する動画があります。これは僕の勝手な設定なのですが、ロードスターに乗っている青年の、おばあさんがR360クーペに乗っている。つまり「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように、時空を超えてお互いが遭遇するというシチュエーションなのです。そして、いまから60年後(R360クーペが誕生して今年で60年なので)、今度はそのロードスターに乗っている青年が、未来のクルマに乗っている人に出会う。そのときはおじいちゃんになったいまの青年とすれ違う。そういうことを誰かやってくれたらいいなと思っています。

MAZDA 100周年特別記念車 コンセプト動画(1分22秒)

村上氏:いろいろあるのですが、マツダに入社したきっかけは、運転を楽しむことが素直に現れているクルマをたくさん作っていたからこそマツダを志しました。それよりももっと大きなバックグラウンドでいうと、小さいころからキッズカートなどに乗ってタイムを競ったり、何かを操ってタイムを競ったりすることが結構好きでした。マツダは走る喜びといいますが、そういう文化をちゃんと消さないようにこれからの100年先も、そういう文化がきちんと残っていくことが私としては嬉しいなと思っています。