まるも亜希子の「寄り道日和」
鈴木修会長の退任を聞いて
2021年3月4日 00:00
2月の終わりに飛び込んできたビッグニュースは、驚きとともに一抹の寂しさと、いよいよ時代が大きく変わるのだという背筋の伸びるような思いを運んできました。スズキを世界の自動車メーカーとして飛躍させ、アジアの自動車文化の発展にも尽力してきた鈴木修会長が、ついに2021年6月をもって退任するというニュースです。
発表会場などでお話をされているところを、遠くから取材させていただくことは何度かあったと思いますが、残念ながら1対1で鈴木修会長にお会いしたことはありません。でも、スズキの社員の方と接していると、常に鈴木修会長への尊敬の念を言葉の端々に感じることがあり、やはり本田技研工業の創業者である故本田宗一郎さんと同じように、社員にとっても神様のような存在なのではないか、と感じていました。
そして、それを何倍も強く感じたのが、インドのデリーモーターショーへ取材に行った時。確か2010年と2012年に2度、取材しているのですが、ちょうどその数年前に鈴木修会長が「自動車産業を通じてインドの発展に寄与した」ということで、栄えあるインド国勲章を授与されたんですね。なのでもう、誰もが日本人といえば「オサムサン」を連想するみたいな感じで、とくにすごかったのはマルチスズキのディーラーを取材した時です。
店長の部屋に案内されたら、大きな額縁に鈴木修会長と店長が並んでいる写真が誇らしげに飾ってあり、直筆サインまで入っているんです。聞けば、修会長は自らインドのディーラーを訪問して、スタッフの話を聞き、困っていることがあれば改善を約束し、一緒に頑張りましょうと激励してくれたと、すごく嬉しそうに話してくれたのです。
さらに店長は、ずっと憧れていてやっと手に入れた愛車のスイフトをとても気に入っていて、「走るたびに私はスズキで働けて幸せだ、こんないいクルマに乗れて最高だと思っている」と、目をキラキラさせて語ってくれたのが印象的でした。
その時の私は、日本にいて見たり感じたりしているスズキとは、まったく違う顔を見たことで目からウロコ。こんな風にインドの人々に思ってもらえるような土台づくりから、コツコツと信頼を積み重ねてきた鈴木修会長は、本当にすごい人だなとあらためて実感することができたのでした。
そして日本では、浜松にある「スズキ歴史館」に行ってみると、鈴木修会長のリーダーシップの凄さ、時代を造るパワフルさをヒシヒシと感じることができると思います。1909年に創業し、1920年に織機メーカーからスタートしたスズキの歴史を紐解き、貴重な初代社長が発明した織機に始まり、二輪と四輪の進化を時代背景までも再現した展示で辿ることができる、スズキ歴史館。やっぱりそこで、今見ても圧倒されるのが「ジムニー」「アルト」「ワゴンR」の衝撃です。
ジムニーは、当時まだスズキ東京の社長だった鈴木修会長が、社内の反対を押し切って製造権を買い取ったところから始まっているし、アルトの発売までをグイグイと牽引したのは、当時は社長就任直後だった鈴木修会長。その後ワゴンRのプロジェクトを推し進めたのも鈴木修会長だと言われていて、今でもスズキの看板モデルであり続けるビッグネームを生み出した手腕は本当にすごいですよね。
御年91歳になられたという鈴木修会長。ゆっくり余暇を過ごしていただきたいと思う反面、日本の自動車産業の未来が道を外れないように、どこかでもう少し、目を光らせていていただけたらと願うばかりです。