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【ニュル24時間 2019】豊田章男社長でもあるモリゾウ選手に聞く。「悔しさとともにカムバックしていますよ」ということをお伝えしたい

2019年6月20日~23日(現地時間) 開催

豊田章男社長でもあるモリゾウ選手。TOYOTA GAZOO Racing決起集会後に共同インタビューが行なわれた

 6月22日15時30分から翌23日15時30分(現地時間、日本時間6月22日22時30分~翌23日22時30分)まで戦いが行なわれている「第47回 ニュルブルクリンク 24時間レース」。決勝前のTOYOTA GAZOO Racingの決起集会後、チーム代表モリゾウ選手が決勝前の共同インタビューに応えてくれた。

 モリゾウ選手は、トヨタ自動車 代表取締役社長 豊田章男氏であり、現在は日本自動車工業界の会長も務めている。また、モリゾウ選手は、自身がスバル&STIやレーシングプロジェクトバンドウのピットを巡った記事を読んでいてくれたようで、「単なるクルマ好きな、おっさんです。はい。」(豊田章男)とコメントをくれていた。そのため、共同インタビュー最初の質問は記者が発しているものだ。

 決起集会で触れられたように、決勝のゴールとなる6月23日は、トヨタ自動車のマスターテストドライバー 故・成瀬弘氏の命日となり、成瀬氏はモリゾウ選手の走りの師匠になる。成瀬氏の作り上げたクルマについてはTOYOTA GAZOO RacingのWebサイト「成瀬弘 プロフィール クルマの味づくり」に詳しいので、参照していただきたい。またここには、「ニュルブルクリンクへの挑戦 2007」など、GAZOO Racingのニュル挑戦の軌跡が刻まれており、当時モリゾウ選手がニュルにかけた思いなどが分かるものとなっている。

TOYOTA GAZOO Racing決起集会での一コマ。自身が選手でもあるため、最大限ドライバーを、そしてスタッフをリスペクトするチーム代表でもある

──クルマ好きのただのおっさんとして記事に書いたCar Watchです。まずは、クルマ好きのおっさんとしてニュル24時間に挑戦する今の気持ちを教えてください。

モリゾウ選手:ただのおっさんと言っていただいたというのは、やっぱりクルマが好き、やっている環境(ニュルブルクリンク24時間レース)が好きというのが、体と態度に表われていたのだと思います。自工会(自動車工業会)会長のときは作っていますからね(笑)。

 だから、やはりこの年になって好きなことができるのはいいし、それに対して今回はスープラと、成瀬さんに対してちょっと特別な感傷、感情はありますけど、成瀬さんと一緒に走りたいなという気持ちが今まで一番強いですね。

──2007年に中古の「アルテッツァ」に成瀬さんと(モリゾウ選手が)乗って始まったニュルですが、改めて新型のスープラで乗り込むときに、どういう思いで乗り込まれますか?

モリゾウ選手:やはりね、13年目なんですよね。この活動ね。最初のうちは本当にね、社内からも反対されね。予算も付けてもらえないね。という状態で。会社からは、なんか……まるで変なね、どら息子扱いを受けた最初の3年の参戦だった。だから、その間はトヨタという名前を付けることすら許されなかった。ところがその3年があるが故に、GAZOOとしての存在価値が出たのだとも思います。

 だから今でもスバルに会え、プライベーターで参加している坂東レーシング(レーシングプロジェクトバンドウ)に会え、メーカーを超えて、同じニュルで戦う身として、なにか心一つ体制があるんですよ。

 それははじめから「トヨタワークス」という形で入っていなかったのがニュルに対しての姿勢だった。一時、会社が認めだしてからワークスっぽく行き始めたと思います。そのときに、やはり自分が感じていたのは、人づくりだし、クルマづくりだし。「優勝を狙うものでもないよね」ということで、1秒でも、1周でも多く走ることが一番の目的だよねと。だんだんそうなったときにモリゾウの場所がなくなった。

 それでモリゾウは一時ラリーに行った。

 ところが、また改めてROOKIE RACING登場とともに、限度見本みたいなものを示せた。S耐で。その延長で、ニュルの活動も限度見本をベースに「目的はこうだったよね」とか、「これが出発点だったよね」というところに、改めて会社も、みんなも分かり始めた。一番最初の再スタートだと思います。

 それ(再スタート)をスープラで一緒に走れるというのが、スープラ、成瀬さん。なんかね、なんか感じるものがある。だからやらされているよう気がしますね。それを、私が。

──サクラの木の下で、成瀬さんとともにマスタードライバーとして走ってくださいと(先ほどのあいさつで)おっしゃいました。成瀬さんはなんとモリゾウさんにおっしゃいましたか?

モリゾウ選手:成瀬さんはね、決してものを言う人ではないです。運転トレーニングのときも「テールライトを見て走っていなさい」と。「テールライトのところでブレーキを踏め」と。距離が残ったらアクセルが足りないと。その2つしか教えてもらっていません。今回も成瀬さんに運転中に怒られないようにしようと思っています。「もう少しクルマやさしく扱え」とかね。「24時間だぜ、おまえ何考えてんだ?」とかね。そういう声はきっと聞こえるような気がします。多分、何も言われないのではと思っています。言われないことが正解だろうと思っています。

──昨日の予選で2つのコース(グランプリコースト北コース)とどういう対話をされましたか?

モリゾウ選手:最初はグランプリコースしか回れず、クルマも初めてだったんです。スープラは去年VLNで走ったきり。ちょっと不安はあると思っていたんですけど。(このスープラは)非常にね、号口品(量産車部品)を使っています。燃料タンクとか除いてね。

 そういう意味では、私がいろいろなクルマで運転してきましたけど、非常に安定しています。安心して競い合える。最後の何周かをリラックスして運転していました。

──楽しめましたか?

モリゾウ選手:しっかりその後に佐々木選手から、データを見て「アクセルの踏み込みが早すぎる」と、「もうちょっとガマンしてください、そのほうがより安全に速く走れますよ」と。アクセルを一番使う走りを今日はやりますから。最初のうちはね、運転の仕方で夢中になりますから。一応、楽しむどころではない(笑)。

──日本のみなさんはスープラがここ(ニュルブルクリンク)で走ることをものすごく期待していると思うのですが。そのスープラでニュルを走るのは、他のモデルで走るときと違った気持ちであるとか、クルマとしての戦闘力であるとか?

モリゾウ選手:僕は昨日も聞かれたのですが、「スープラはモリゾウさんにとってどんなクルマですか?」ということです。「モリゾウを育てた相棒であり、同士である」という答え方をしました。

 まさしくスープラでこの道を走る。そしてその当時生産中止になり、販売中止になったスープラで、成瀬さんと一緒にトレーニングしたんですよ。そのくやしさがスープラ復活になっているし、そのくやしさがある内は「もっといいクルマを作っていこう」という情熱は負けないし。なので、その悔しさだけは大切にしていきたい。

 そういう意味で、「悔しさとともにカムバックしていますよ」ということをお伝えしたいです。

モリゾウ選手の右肩にある「Morizo」ロゴ。いろいろなものを背負ってニュルブルクリンク24時間挑戦を行なっている

 決勝前の短い時間ではあるが、モリゾウ選手の言葉から読み取れるのは、2007年に一緒にニュルブルクリンク24時間挑戦を始めた成瀬氏に対する深い思いだろう。それと同時に、モリゾウ選手としての分かりにくさは、豊田章男選手として挑戦ではなくモリゾー(2007年当時)選手として挑戦しなければならなかった当時のトヨタへの思いだろう。

 今でこそ豊田章男氏=トヨタ自動車というように世間は見ているが、ときおり飛び出す「予算も付けてもらえない」などの発言は、当時のトヨタ自動車の目指している方向と豊田章男氏の思う方向がずれており、そのずれが当時のモリゾー選手となって現われていたのかもしれない。

 豊田章男氏が社長に就任したのは2009年6月。就任記者会見は2009年1月20日(関連記事:豊田章男氏の社長昇格で会見)で、そのときに「“現場に一番近い社長”でいたいと思っている」と語っており、驚くほどその姿勢はぶれていない。

 ただのクルマ好きのおっさんでもあると同時に、さまざまな思いを胸に現場の最前線の1つであるニュルブルクリンク24時間を走るモリゾウ選手。完走を目指すのではなく、「目標は1周でも多く、1メートルでも長く、1秒でも多くクルマを走らせること」という部分に注目し、インターネットのライブ中継などでその戦いを見ていただきたい。