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奥川浩彦の「撮ってみましたF1日本グランプリ2024」(後編)
2024年5月31日 12:02
Car Watch創刊の2008年から掲載している「撮ってみましたF1日本グランプリ」。前編は金曜日のFP1、FP2などの情報をお届けした。後編は、予選が行なわれた土曜日、決勝が行なわれた日曜日の様子をお伝えしよう。F1関係の放送、雑誌、写真集などでアイルトン・セナ没後30年が話題になっているので、ジジイの古い写真なども最後に掲載する。
土曜日は渋滞少なめ、1時間遅く出発
金曜日、土曜日はセッションの開始時間は同じだが、セッション初日と違い気持ちにゆとりがある。加えて土曜日は四日市市内の通勤ラッシュがないため渋滞は少なめ。前日より1時間遅く7時30分に名古屋市内を出発した。この日は伊勢湾岸道のみえ川越ICを降りて、「四日市・いなばポートライン」は利用せず、国道23号を四日市方面へ。
試しに国道23号とシドニー湾通りが上下に交わる陸橋までの時間を2つのルートで比べてみた。
金曜日:みえ川越IC→四日市・いなばポートライン経由→国道23号の陸橋下まで
土曜:みえ川越IC→国道23号経由→国道23号の陸橋上まで
上記の走行時間をドラレコで確認すると、金曜日は9分、土曜日は7分。国道23号が渋滞していなければ四日市・いなばポートラインを利用するより国道23号が早そうだ。
四日市競輪から先が渋滞していたので、カインズホームのある踏切で線路を越え、JR四日市駅の手前で国道23号に戻り鈴鹿へ。中勢バイパスの入口が閉鎖されているのを横目に、従来ルートでサーキットに向かった。サーキットの少し手前、中勢バイパスとサーキット道路が交差する付近の民間駐車場に満車の表示。これは前年より観客が増えているから?
2023年、久しぶりにF1開催時のサーキット付近の駐車場事情を調べて、写真と地図で紹介した。詳細は2023年の「撮ってみましたF1日本グランプリ 2023」(後編)を参照いただきたい。この駐車場の記事に関して、同級生2人からクレームがあった。「奥川が駐車場を記事にしたから、いつもの駐車場が今年は値上げしてた」。関係ないと思うが、満車の看板も見たので、もしかして2024年は民間駐車場の人気が上昇した?
FP3の撮影はピットレーンから
FP3の前半はピットレーンで撮影。ピットレーンで撮影できる人数はセッションごとに限られていて、事前の申し込みにより選ばれる。木曜日の搬入日にFP3の申し込みをして当選していた。
グランプリのピットの並びは、前年のコンストラクターズチャンピオンシップの順。鈴鹿の場合は1コーナー側からレッドブル、メルセデス、フェラーリ、マクラーレンと続き、1番最終コーナー側はハースとなる。当然、カメラマンは1コーナー側のトップチームの前に集まる。
ザックリした流れは、「ドライバーがピットに出てくる」「チームスタッフと打ち合わせ」「ヘルメットを着用」「マシンに乗り込む」「乗り込み完了」「ピットアウト」。
これが各ドライバーのピットで同時に進行する。撮りたいのは最後の2枚。カメラマンの撮影位置はタイヤ交換が行なわれる付近で、隣のチームの進行状況は見えない。レッドブルの撮影をしていると、隣のメルセデスがピットアウト。「あっ、行っちゃった」という感じだ。
加えて、ドライバーの前にモニターが置かれたり、バイザーを上げてくれなかったり、思いどおりに撮るのは難しかった。
トップチームの撮影を終えて(諦めて)角田選手を撮りに移動。遠い。もう少しでたどり着く、と思ったら角田選手がピットアウト。1~2分早く移動を開始していれば撮れたかもしれないが、いつ戻って来るか分からないのでピットでの撮影を終了した。
前日午後のFP2は雨で撮影が消化不良となったため、FP3の後半は走りの写真を撮りにS字のインフィールド側へ。まずは桜を背景に入れてS字2つ目を抜けるマシンを撮影。
S字1つ目に移動。普段はマシン単独を流し撮りで撮影するポイントだが、桜を背景に入れたバージョンも同じ場所で撮影。これでFP3は終了した。
予選はデグナーで撮影
予選はセッションの前後にコースを1周してくれるメディアシャトルに乗って移動し、デグナーのアウト側へ。国内レースはガードレールの切れ目がデグナー1つ目と2つ目の中間付近と、立体交差のヘアピン側にあるが、F1開催時は立体交差の先が看板でふさがれていて出入りができない。2年前、現場で気付き“エッ”って感じになったので、前日にシャトルバスで移動中に切れ目がないことを確認しておいた。
若いカメラマンはガードレールを跳び越えるが、ジジイは骨折や怪我の恐れがあるので避けたい。普段、デグナーアウト側の撮影は、デグナー1つ目から撮影を始めて立体交差の先へ移動し、セッションが終わったらガードレールの切れ目からコースに出てバスに乗る。今回はバスを降りてデグナー1つ目と2つ目の中間の切れ目からガードレールの外に出て、グルーッと回って立体交差側から撮り始め、デグナー1つ目に戻って撮影することにした。
予選Q1は立体交差下でデグナー2つ目から立ち上がってくるマシンを撮影。予選はマシン同士が間隔を取って走行するので、全車撮りが可能。記事で使用する写真は上位に限られるが、保険としては「○○の写真が欲しい」と言われた際に全車の絵があると心強い。
予選Q2はヘアピン側に移動して、立体交差の下を通過するマシンを撮影。ほとんどの撮影はシャッター優先AEで撮っているが、このケースはマニュアル露出で撮影。次は立体交差下に戻って焦点距離24mmで流し撮り。このシーンもカメラをスイングする間に激しく露出が変わるので、マニュアル露出で撮影した。
デグナー1つ目方向に移動し、予選Q3はデグナー1つ目に進入するマシンから撮影開始。編集部からLenovo看板を入れた写真というリクエストがあったので、FP2に続き看板を意識して撮影。ここからの撮影はシケインのQ2席スタンドを背景に入れることができる。最後の撮影はデグナー1つ目から2つ目の短いストレートを流し撮り。まずはマシンを大きめにフレーミングしてシャッター速度1/125秒で撮影。オーソドックスな絵はニュース記事で使用しやすい。最後の最後はマシンを小さめにフレーミングしてシャッター速度1/60秒で撮影。これはフォトギャラリー用。セッションが終了しすぐ近くのガードレールの切れ目からコースに出てシャトルバスに乗ってパドックに戻った。予選の記事を掲載するためメディアセンターで写真をセレクト、レタッチして納品。この日の仕事は終了した。
この日の渋滞は金曜日よりは少なめ。メディアセンターで作業をしたので、スタートは遅め。同行するKさんをデグナー東ゲートでピックアップし、18時23分に公道に出ると前日と違い渋滞はなし。国道23号もそこそこ流れていた。四日市市内の渋滞を避けるため、鈴鹿川を渡り「かつや」の先で右折して県道6号へ。JR四日市駅の先で国道23号に戻り、伊勢湾岸道のみえ川越ICへ。料金所を19時25分に通過、名古屋高速の呼続ランプを19時49分に出た。
日曜日は鈴鹿PAスマートからサーキットへ
日曜日はドライバーズパレードと決勝。土曜日よりさらに1時間遅く8時半に名古屋を出発。この日は新名神の鈴鹿PAスマートインターを利用した。パーキングエリアの今回の展示車両はマクラーレン・ホンダ MP4/5B。1990年にアイルトン・セナがドライバーズチャンピオンを獲得したマシンだ。
鈴鹿PAスマートインターを出て、国道1号線に入り定五郎橋までは渋滞なし。その先は徐々に混雑し、サーキットに近づくとかなりの渋滞となった。飯野小学校方面に回避することはできるが、民間駐車場の様子も見たいので渋滞をそのまま直進。2023年の土曜日と比べ満車になっている駐車場が多い印象。日曜日だけ観戦の人は駐車場を探すのに苦労するかもしれない。ちなみに鈴鹿PAスマートインターからの所要時間は鈴鹿川を渡る定五郎橋まで18分、そこから鈴鹿サーキット前の交差点までは渋滞に付き合って34分、インターからサーキットまでの所要時間は合計52分だった。
この日も西パドックの駐車場に向かう途中、西ストレートゲートで自分の電子チケットで入場手続き。金、土、日、3日間で延べ3人分をカウントした。これでチケットは不要となったので、Kさんに筆者のチケットを分配。決勝は同級生2人と一緒に筆者が購入した指定席でKさんに観戦してもらうことにした。
ドライバーズパレード
日曜日、レース前のイベントはドライバーズパレード。グランドスタンドの手前で航空自衛隊中部航空音楽隊が生演奏。曲はF1中継でドライバー、コース、タイヤアロケーション、リザルトを紹介する際い流れる「Formula 1 Theme」。この曲はブライアン・タイラー氏によるもので、ブライアン・タイラー氏は映画「ワイルド・スピード」「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」「ランボー」「エクスペンダブルズ」などの音楽を担当された方らしい。「Formula 1 Theme」で検索するとAmazon Music、Spotify、Apple Musicなどでフルバージョンを聞くことができる。
ドライバーは地下通路からグランドスタンド前を横切りコースへ向かう。1人ずつ出てきてくれると撮りやすいが、ドライバー同士がかぶったり、関係者が前を横切ったりで思うようには撮れない。
2024年からドライバーズパレードの方式が変更された。2023年のラスベガスGPでドライバーズパレードに使用されたクラシックカーからオイルが漏れ、決勝レースに影響したためと言われている。そのため長年行なわれてきた、クラシックカーにドライバーが同乗してコースを周回する方式から、デコレーションされたトラックの荷台に全ドライバーが乗って周回する方式となった。これにガッカリしたのは筆者だけではないだろう。ドライバー同士が集まるので、荷台の上は雑談会場。背中を向けているドライバーが多く、撮影は困難となった。
途中、2コーナー先でフェルスタッペン、ペレス、リカルド、角田の4人は降りてインタビューを受け、それぞれS660に乗ってコースを1周し戻ってきた。十数人のドライバーが一瞬で目の前を通り過ぎるより、1台(1人)ずつだと、やはり撮りやすい。
それでもドライバーズパレードから9人のドライバーをフォトギャラリーに掲載した。
28年前のドライバーズパレード
話は脱線するが、筆者は2022年、デグナーで転倒した。骨折を疑う痛みでサーキットのメディカルセンターのお世話になった。2023年、メディアセンターのキッチンカウンターにいた男の子から「脚立から落ちて骨折した方ですよね」と声を掛けられた。チョット違うが人違いではない。それをきっかけに会話をする機会が増えた。メディア向けのお弁当やパン、コーヒーなどの提供をするアルバイトで、聞くと大学生。もう1人の女の子も大学生のアルバイトとのこと。
2023年、ドライバーズパレードが終わった後で、彼女から「あのクラシックカーって、個人の所有なんですか」と聞かれ、「たぶんそうだと思うよ」と答えた。するとスマホの画面にフェルスタッペンと書かれた写真を見せてくれて「友達のおじいちゃんが昔パレードに参加した」とのこと。そう、写真に写っているフェルスタッペンはマックスのお父さん、ヨス・フェルスタッペンを乗せたという写真だった。「オォ~すごい」と思い少し気になったが半年が過ぎていた。
今年もパドックでアルバイトの彼から声を掛けられた。同じ顔ぶれでメディアセンターのキッチンにいるとのこと。別の日、2人と会ったときに記念撮影。彼女に「2023年に見せてもらった写真ある?」と聞いて、あらためて見せてもらった。彼女の友人から別の写真も見せてもらったところ、1996年、ヨス・フェルスタッペンがアロウズFA17/ハートV8に乗っていたころに撮影されたものらしい。あまり意識したことはなかったが、昔々からクラシックカーを使用したドライバーズパレードは行なわれていたようだ。
決勝は1コーナーからシケインへ
決勝のグリッドにつく前、レコノサンスラップは各マシンが数周コースを回ってグリッドに向かう。金曜日のFP1で時間がなくて撮れなかったS字2つ目を撮るためD4席の最上段へ。マシン単独と、広角で手前に観客を入れた2パターンを撮影して1コーナーへ移動した。
スタートの撮影はストレート正面の報道用スタンド。スタートの撮影はミラーレスカメラの「乗り物優先」機能がマシンを追従してくれるので楽になった。スタート直後、S字1つ目でクラッシュ、赤旗。再開に時間がかかりそうなので2コーナーの先まで移動して、再スタートを待つことにした。
再スタートは2コーナーを抜けるマシンを正面から撮影。続いてB/B2席スタンドの観客を背景に入れて撮影。少しS字側に移動して短いストレートを2パターンで流し撮り。もう少し進んでS字に進入するマシンをグランドスタンドとピットビルを背景に入れて、計3パターンで流し撮りをした。
S字1つ目の先に移動。S字1つ目のクリッピングポイント付近を正面から撮影。このS字、次の逆バンク、終盤のシケインの正面からの撮影は、多めに撮っておけば、記事などで「○○の写真が欲しい」と言われたときに対応ができる。高速シャッターで歩留まりもよいので、1~2周撮れば全車撮りに近くなる。
レコノサンスラップでS字2つ目は撮影済みなので逆バンクへ移動。ポスト手前のカメラホールを利用して、S字から逆バンクへ向かってくるマシンを正面から撮影。続いてポストの先、TVカメラが使用しているカメラホールの隙間を利用して、鈴鹿の街並みを背景に入れて撮影。同じ場所でマシン単独の絵も撮影。トンネルをくぐってインフィールド側へ移動した。
シケインに向かう途中、逆バンクからデグナーへ向かうNIPPOコーナー(旧ダンロップコーナー)へ。逆バンクからの上り勾配を浮き上がってくるマシンを、背景に2コーナーのB2席スタンドを入れて撮影。空気の透明度が高いとスタンドの先に街並み、伊勢湾、知多半島が写るが、この日はそこまでは写らなかった。
東コースのショートカットをふさぐような形で、F1開催時はガードレールが設置される。E1席(E席のデグナー側)が正面となる場所で、国内レースでは撮れない絵が撮影できる。仮に国内レースでこの場所で撮影できても、スタンドが観客で埋まることはなく、その点でもE1席の観客を背景に入れて、NIPPOコーナーを駆け上がるマシンを撮影できるのはF1だけだ。多くのスタンドを埋めてくれる観客に感謝、感謝だ。
レース終盤、無事シケインまで来ることができた。まずはシケインから最終コーナーへ駆け下るマシンをQ2席を背景に入れてシャッター速度1/30秒で撮影。次はマシン単独の絵をシャッター速度1/60秒で撮影。
まもなくチェッカー。シケイン2つ目のクリッピングポイント付近をシャッター速度1/800秒で写し止める。次はシャッター速度を1/60秒に落としてヘルメットだけ芯になるようにスローシャッターで撮影。最後はさらにシャッター速度を1/30秒に落として撮影。これで決勝レースの撮影は終了となった。
コースサイドの撮影を終えて表彰式へ。大勢の関係者が集まっていたので、ピットウォールの人の隙間で撮影することに。インタビュー中のトップ3を狙うが、関係者がごった返しているので、かぶるかぶる。
最後は表彰式。無難に撮影を終えてF1日本グランプリの撮影は終了となった。
決勝日10万2000人、延べ22万9000人
レース終了後、決勝の記事で使用する写真を納品。ピットビルのメディアセンターでオフィシャルの観戦者数を確認した。結果は金曜日5万人、土曜日7万7000人、日曜日10万2000人、3日間延べ22万9000人となった。
前年より日曜はプラス1000人、延べ人数はプラス7000人とまずまずの結果だが、少し気になったので、決勝日6万8000人でボトムとなった2017年からの人数を表にしてみた。
台風で土曜日が閉園となった2019年の延べ人数を除外すると、2017年はすべて最少(赤文字)。最大(青文字)は土曜日は2023年、それ以外は2024年が最大となった。金曜日、日曜日は常に右肩上がりで推移しているが、日曜日はやや伸びが鈍化の傾向、土曜日が前年より微減したことを考慮すると、今後は大きな伸びは難しいかもしれない。
以前は当たり前のように開催されたドイツGPやフランスGPは近年開催されていない。一時は日本グランプリの開催が途絶えることを懸念していたが、その心配は薄れていたように思う。来年以降も多くのF1ファンは鈴鹿サーキットへ足を運んでいただきたい。
また事故渋滞
メディアセンターに寄った際に話し込んでしまい、サーキットを出るのが遅れてしまった。そのおかげでサーキット周辺の道路の渋滞はなくなったが、サーキットを出る前に確認すると伊勢湾岸道が渋滞していた。木曜日と同じく事故渋滞。
「伊勢湾岸道 飛島IC手前で追突事故 みえ川越IC~飛島IC 渋滞11.0km 通過時間50分」の情報。木曜日の100分よりは少ないがなかなかヘビーだ。どうする。
東名阪道の鈴鹿ICは激しく渋滞。決勝日としては初めて帰路に新名神の鈴鹿PAスマートインターを利用することにした。「鈴鹿PAスマートインターはおすすめ」と記事で紹介しているが、筆者自身は決勝日の帰路は伊勢湾岸道のみえ川越ICを利用しているので、今回はお試しで利用することにした。もう1つの理由は、国道23号でみえ川越ICを目指し、伊勢湾岸道の渋滞が解消されなければ、選択肢は国道23号をそのまま進むしかない。新名神であれば、四日市JCTで伊勢湾岸道と東名阪道を選択できる。
19時過ぎ、朝の往路と同じルートの逆走。鈴鹿サーキット前の交差点から鈴鹿川を渡る定五郎橋まではやや混雑していて14分。朝は34分かかったので半分以下、20分の短縮だ。そこから鈴鹿PAスマートインターまでは朝と同じ18分。サーキットからインターまでの合計所要時間は32分、朝より20分短縮となった。
新名神は渋滞なし。伊勢湾岸道の事故渋滞は解消されず四日市JCTで渋滞の短めな東名阪道を選択。合流地点で少し渋滞。すぐに流れ始めるが、名古屋市内に近づくとまた渋滞。途中の蟹江ICで東名阪道を降りた。
国道1号線はF1とは無縁の通常の流れ。筆者の自宅は国道1号線から100mくらいの距離。国道1号線を進み、自宅付近に30分ほどで到着した。鈴鹿PAスマートインターから蟹江ICは37分、サーキットから自宅までは1時間40分もかかった。SNSを見るとF1の帰路に伊勢湾岸道の事故渋滞に遭遇した人は多かったようだ。
原富治雄氏が亡くなられた
フォトグラファーの原富治雄氏が5月11日に急逝された。日本人F1フォトグラファーの先駆者の1人として30年近く活動され、2010年からF1開催時に設置されたカメラマンエリアのアドバイザーを務められた。逆バンクオアシスでF1開催時に行なわれた撮影セミナーに何度も登壇しているので、読者の中に参加された人もいるだろう。
この連載の2010年の記事では、カメラマンエリア(初回は席と撮影エリアがセットになったカメラマンシート)の撮影講座を取材した。
2年前から自身のYouTubeチャンネルにて、F1グランプリの写真について語る動画を公開していた。
YouTubeチャンネル「フォトグラファー・原 富治雄」
https://www.youtube.com/@user-oo4gc8zz1y/videos
初回が2022年4月22日に公開された「セナとの出会いそして初勝利」。最新・最終の公開は2024年4月26日の「【Formula1】30年前の忘れられない記憶」。最終の公開はつい最近なので、突然の訃報と言えよう。謹んでお悔やみを申しあげたい。
アイルトン・セナ 没後30年
アイルトン・セナが1994年のサンマリノグランプリで亡くなって30年が経った。本屋でモータースポーツ関連雑誌にアイルトン・セナの特集記事が掲載されているのを目にしたり、熱田護氏の写真集が発売されたりしているので、読者の中にもセナに対する関心が高まっている人がいるだろう。
セナが亡くなったイモラサーキットで開催されたエミリアロマーニャグランプリ、セナが6回優勝したモナコグランプリもセナ追悼が色濃いグランプリとなった。
30年。親に連れられて鈴鹿サーキットに行った小学生は現在40歳前後。チケットを買って観戦した社会人は50歳以上。リアルにセナを知っている人は、筆者のように60歳を超えている人が多いだろう。筆者と同世代の人からよく言われる言葉は「F1、セナがいたころは見ていた」。F1=セナくらい強い印象を残した存在だった。若いF1ファンの人はアイルトン・セナをどうとらえているのだろう。
筆者ごときがセナについて書くのはおこがましいが、記憶をたどってみたい。筆者がセナの存在をモータースポーツ誌で知ったときは「A・S・ダ・シルバ」(アイルトン・セナ・ダ・シルバ:Ayrton Senna da Silva)と表記されていたと思う。1984年、雨のモナコグランプリの活躍で一気に注目され、ロータスに移籍してからは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。一方で悪童っぽい印象を与える記事も掲載されたと記憶している。
1987年、フジテレビがF1中継を始めた年にロータスはホンダエンジンを搭載、中嶋悟氏もチームに加入。翌1988年にはマクラーレン・ホンダに移籍しチャンピオンを獲得。日本でF1ブームが過熱する中、速さ、強さ、ルックスをそろえたヒーローだった。
どうでもよい話をしよう。1987年から鈴鹿サーキットでF1が開催された初期のころは、今では考えられない“ゆったり”した光景があった。ベルガーがピットからトンネルを抜け、グランドスタンドの階段を上がってサーキットホテルに向かったり、夜、サーキットのボーリング場でマンセルがボーリングをしているのを、後ろでF1ファンが観戦していたり、F1ブームが過熱する前はファンとの距離が近かった。
ある日、サーキットの正面ゲートに向かう途中、サーキットホテルの出入り口付近で誰かが「セナだ」と叫んだ。振り返ると本当にセナがノーヘルで原付に乗ってゲートから出てきた。原付にまたがり、人混みをかき分けるようにゆっくり進むセナの左腕に筆者は触った(笑)。
ちなみに当時はバイクでホテルから通りに出て、サーキット前交差点を左折して関係者ゲートからパドックへ向かうドライバーを何度か目にした。皆、ノーヘル。それを警察官が誘導する光景は微笑ましかった。
この歳になると若い人をうらやましく思うシーンは多い。反面、長く生きていたからできた経験もある。アイルトン・セナがいた時代にF1観戦ができたことはその1つだ(ちなみに長嶋茂雄の400号ホームランを小学生のときに中日球場で見た)。筆者のF1初観戦は1986年のモナコグランプリ。アイルトン・セナが黒金のJPSロータスに乗っていたころだ。カッコよかった。1987年、キャメルイエローのロータスには正直ガッカリした。
ということで筆者が撮ったセナの写真を最後に掲載しよう。先に言い訳をすると、当時は単なる1人のカメラ小僧で観客席から撮影。当然、マニュアルフォーカスのフィルムカメラ。家庭用のフィルムスキャナーでデジタル化して、せっせとゴミ取りをした写真なので、腕も画質もそれなり。強いて言えばネット上で1920ピクセルの画像はなかなかない点では貴重。期待しないで見ていただきたい。