まるも亜希子の「寄り道日和」
「ルート66」の思い出
2018年9月6日 00:00
大学生の甥っ子が、10日間のアメリカ1人旅へ元気に出かけていきました。いいですよね~、若いうちにいろんな世界を見て歩くというのは。道に迷ったりいろんな苦い経験もするでしょうけど、それはのちのちきっと、甥っ子の人生を深く豊かにしてくれるものだと思います。
私の大学時代は極貧だったし、今より飛行機代も高かったような!? でも、それを言い訳に海外旅行にトライしなかったことを、今でも後悔しています。私の海外経験はほとんど、この仕事を始めてからのもの。もっと学生時代にプライベートで訪れていたら、フラフラと好きな場所に立ち寄ったり、現地の友達もたくさんできていたりして……。なんて、タラレバですけどね。
そんな私のアメリカでの思い出といえば、一番印象的なのが2008年に「ルート66」を旅したこと。1985年に廃線となった、シカゴとサンタモニカを結ぶ全長3755kmの旧国道です。
もちろんそれも取材だったのですが、ジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」や、映画「バグダッド・カフェ」などに影響を受け、夢にまで見て憧れていたルート66。ロサンゼルス側から入った瞬間から、タイムスリップしたかのような不思議な感覚で全身が震え、そこかしこに残っている古きよき時代の残像、壮大な自然の風景に、もう感動しっぱなしでした。
そして、映画バグダッド・カフェのモデルになった、その名もバグダッド・カフェをベリースプリングスという街で発見した時の驚きといったら! しかもちゃんと営業中! クルマを停めて恐る恐る中に入ってみると、優しい笑顔の女性オーナーがフレンドリーに出迎えてくれて、たっぷりとしたマグカップに淹れてくれたコーヒーも美味しくて、本当に夢のような時間だったのを思い出します。いろいろ話していると、やはり私のように映画を見て憧れ、「1度来てみたかった」という観光客が世界中から訪れていたそうです。
ドライブコースとして見たルート66は、想像していたよりもずっと路面がわるく、道幅が極端に狭いところや、非力なクラシックカーには過酷だったろうと思われる急坂、切り立った崖なのにガードレールもないような危険な区間など、現代のクルマでも走るのに緊張する険しい面もあり、当時のドライバーたちの苦労を偲ばせてくれました。すぐ近くを太くまっすぐなフリーウェイが通っていて、そちらの交通量の多さに比べたら、やはりひっそりとしているルート66は、時代に取り残された感じは否めません。
でも、だからこそ今のうちに走っておきたい、記憶にとどめておきたい道の1つ。ところどころでフリーウェイなどに寸断されてしまった区間もあるのですが、それを縫い繋ぐように「ルート66制覇の旅」をしている人も多いようですね。私もまだ、アリゾナ州のフラッグスタッフという街までしか走れていないので、近いうちにまたその続きから走って、いつか制覇したい。そんな夢を持っています。
甥っ子も本当はクルマでアメリカを走ってみたかったようですが、アメリカのほとんどのレンタカーは21歳以上という年齢制限があるので今回は断念。でも、日本では売っていないアメ車をたくさん見てくる、と言っていました。私もそんな甥っ子のお土産話が今から楽しみ。だから声を大にして言いたいです。「若者たちよ、世界を走れ~!」。